のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

メーデー

2011年05月01日 | 日記・エッセイ・コラム

 1952年の5月1日。皇居外苑で一部の暴力的左翼団体と警官が衝突し死者1名、警察、デモ隊あわせて1000人近い重軽傷者が出たことから「血のメーデー」事件と呼ばれています。

 日本ではメーデーが祝祭日になっていないので、特にこの日がどんな意味を持つのかなど気にしないで生活していますが、私の同級生に5月1日に生まれた男がいます。「俺の誕生日はメーデーって言う記念日らしいぞ。」と当人は意識していましたが、小学生の頃だったので、どんな日なのかはわからない。

 そのうち、どこかで調べたんでしょうね。しかしながらどこかずれているので、「どうやらメーデーって日は、警察と一般人が集団で殴り合いをする日らしい。」

 時代は第二次安保闘争時代で、学生達のでも活動がエスカレートした時代でした。そうか、学生運動の発祥の日だったのか!と考えたのは当時の私でした。以後、私たちの間ではがクセのデモの名称が「メーデー」と言うものだと勘違いしたまま育ってきました。

 今でもメーデーと言うとデモの団体と警官隊が激突し、火炎瓶が燃え自動車がひっくり返されるイメージが付きまとっています。

 もともとはヨーロッパでは5月になったことで春の到来を祝うのメーデーで、労働運動としてのメーデーは1886年の5月1日にUSAのシカゴで8時間労働を要求する労働者がデモを起こしたことに始まっています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする