昨夜は北から吹き越しの雪が舞い、南の空には星が見える天気でした。今朝、道路が濡れている様子もなく雪は舞った程度だったようです。
快晴で、風もなくいい一日になりました。
横田めぐみさんが拉致されて42年になりました。夕方5時前には暗くなるような季節です。学校帰りには薄暗くなっていたのでしょうが、山の作業を終えて暗くなる様子を眺めながら、拉致事件が起きたのはこんな時間帯だったんだろうか?」なんてことを話しました。
42年前のこの日、私は何をしていたか記憶があります。高校生で柔道やっていたころで、部室で千歳飴なめてました。息子が七五三だった顧問が買ってきて、「練習上がりに一杯やれや。」と千歳飴を置いて行き、「おらぁ、子供のお祝いがあるから。テキトーに練習切り上げろや!」とさっさと帰ってしまいました。ミルキー味でしたね。一本は部室でなめ、残りは弟の土産に持って帰りました。
千歳飴の袋ぶら下げながら帰る時には外が暗くなっていましたが、柔道部員を拉致する悪人は現れませんでした。
こんな事件が起きていたにもかかわらず、報道もできない時代だったんでしょうが、この頃、日本海側で不審な失踪事件が起きていることは雑誌で取り上げられていたのを憶えています。金ちゃんよりももっと大きなソビエトと言う脅威が鎮座している時代で、疑わしいことはソビエト?と言う時代でしたが、左巻きも強かった。
バス会社のストライキなんて毎年二回、国鉄までストライキをしたり、「左」が正しい風潮で「暗い」ことが良い時代でした。
「あゝ野麦峠」が映画化されたのもこの頃で、担任の教師が見に行って大竹しのぶに魂抜かれてました。ただ、こちらは養蚕地帯だったので、製糸工場の工女の悲哀は聞いていないどころか、全く逆の受け止め方をされていました。娘が製糸工場に工女として行ったおかげでいてが大きくなったとか、実際、富岡製糸工場で働いていたおばあさんなんかが生きていましたが、「長野じゃこんなことが本当にあったのかね?」なんて話を聞いた覚えがあります。
あれも一種のプロパガンダなんでしょうね。おかげですっかり変なイメージが出来上がってしまった長野と岐阜の県境の野麦峠ですが、私もこの長い峠を越えてみたことがあります。およそ、冬のさなか、あの装備で病気の妹を背負って超えられるような峠ではありませんが、映画の胸像が立っていました。
「資本家」=悪、「労働者」=正義の図式が固定化されている時代だったんですね。
実は上に立つものの「忖度」で成り立っていた日本なんですが、忖度はいけないことになったようなので、ニダに対する忖度も必要なくなりました。あと一週間。貫き通して新時代ですかね?
ニーハオでスパイ容疑をかけられて拘束された北大教授は釈放されたようですが、まだ拘束されている日本人は9人いるようです。
現代の拉致事件はまだ続いています。
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