紀元前、334年、マケドニアのサレクサンダー大王が東へ勢力を伸ばしてきて、現在のイランあたりまでを支配下に置きました。このときギリシアから持ち込まれたギリシア美術がインドでは仏像に影響を与え、仏教美術となって遠く日本にまで美の共通観念が伝わったと言われています。
一国の代表が外遊する時には夫人を伴っていくのが世界の慣例ですが、ソビエト・ロシアの代表が婦人を伴って世界を回り、印象の強いファーストレディだったのはフルシチョフ夫人とゴルバチョフ夫人くらいと言われています。
ソビエト時代、オリンピックのような世界大会でもなければ、ロシア人を見ることも稀でした。
ケネディ大統領の時代のUSAにフルシチョフ夫妻が訪問し、ケネディ夫人のジャクリーヌと、フルシチョフ夫人のニーナが並んだ写真を見たことがありましたが、誰がどう見てもジャクリーヌ夫人のほうが美人でした。
上の写真はアイゼンハワー(中央)とフルシチョフ夫妻。
美の発祥地のギリシアの大富豪オナシスは未亡人となったジャクリーン夫人と結婚しましたが、フルシチョフ亡き後に未亡人となった美人の国ロシアのニーナ夫人とは再婚しなかった。もしオナシスがニーナ夫人を選んだら世界の美の概念は変わっていた。ロシアのジョークです。
フルシチョフは最初の妻を餓死と言う形で失っており、ニーナ夫人は再婚相手で、ユダヤ系ロシア人だそうです。美人の評判とは縁遠いけれど、ロシアのおっかさん的な風貌や性格もあって悪い評判は聞きません。
1982年にブレジネフが死亡したときに、ブレジネフの葬儀で泣き崩れるビクトリア夫人を支えるように立っていたのが、フルシチョフのニーナ夫人で、テレビのアナウンスが、「フルシチョフ未亡人のニーナ夫人だと思います」と解説していたのを憶えています。ニーナ夫人は1984年に亡くなっています。 ブレジネフに追い出されて、フルシチョフ夫人も辛い思いをしたはずですが、「それでもビクトリアをいたわったのは彼女の偉さだ」と評価する人もいます。
ブレジネフはフルシチョフを追い落として共産党書記長になった豪腕派ですが、閉鎖的で恐怖政治を推し進めたために、スターリンに次ぐ悪評です。
ブレジネフ夫人をテレビで見たのは1982年のブレジネフ死去の時が初めてで、、ビクトリアというよりもビックリシタに近い風貌だなと、冗談を言い合ったものです。
その後、短命だったアンドロポフ、チェルネンコと続きますが、就任したかと思えば葬儀が報道される時代でした。両者の夫人もそりゃもうすごいもので、名前さえおぼえていません。ゴルバチョフが就任し、ライザ夫人が出てきたときはビックリしました。
ゴルバチョフが訪米した時はブッシュパパの時代で、現ブッシュ大統領のお母さんのほうがロシアのファーストレディーのような風貌でした。
ロシア女性が晩年太る。そう印象付けたのは歴代ファーストレディーが一様にでっぷりしていたこともあるでしょう。一般人はでっぷりするほどおいしいものを食べられなかったのに。
ロシアのジョークにブレジネフがボケたことを話題にするものは多くありますが、晩年のブレジネフは本当にボケていたようで、国家機密のごとく扱われていたようです。
考えてみれば、私達も日本のファーストレディーの名前などおぼえていませんし、小泉首相は独身でしたが、今の日本のファーストレディなど下品すぎて名を聞くのも汚らわしい。
ロシア人も歴代首相夫人の名前など知らない人が多く、唯一例外的にゴルバチョフ夫人のライザ夫人はロシアでも知る人が多いです。
ライザ夫人も西側のような華やかなファッションを好んだために、長老夫人達からは評判がよくなかったようですが、民衆は何かを期待していたようです。
ゴルバチョフの役目はソビエトを終わらせるまで、その後ロシアの大統領になれなかったように、一気に影響力も人気がなくなりました。ライザ夫人の死後は特にその傾向が強くなったようです。
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