行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく 止 とゞ まる事なし。世の中にある人と 住家 すみか と、またかくの如し。
鴨長明の方丈記ではありませんが、時代は常にうつろっていて、その時点その時点で評価されることが異なるものです。根本的な価値観は早々変化しないものですが、後で考えればどうでも良いようなうつろいやすいものほど人を惑わすものです。
マニアックな話ですが、一頃、ロシアに行くと旧ソビエト製のカメラが格安で売られていました。経済混乱期に二束三文で売り飛ばして生活の足しにしていたのでしょうね。
第二次大戦後ドイツに侵攻したソビエト軍がカール・ツァイスの工場など中の機械まで丸ごとウクライナのキエフに運び込んで、優秀なドイツの工学技術を乗っ取ったので決して悪い代物ではありませんが、その後の時代の変化に合わせることをしなかったので、時代遅れになってしまいました。
基本的にドイツ物の丸ごとコピーなので、”なんちゃってライカ”や”なんちゃってコンタックス”などと呼ばれています。
ソビエト崩壊の頃は時代の歯車が「レトロ」に回ってきて、この時代遅れが逆に評価されるようになっていました。
カメラは道具だったので、怪しいソビエト物には手を出さず、東ドイツのプラクチカのカメラを買ってきましたが、ロシアにはいつでも行けてソビエト製のカメラなどいつでも手に入ると見下した部分もありました。
最近、キワモノにはまるようになって、ソビエト製のカメラを勝手置けばよかったなと思っていますが、いつのまにか程度の良いソビエト製カメラはほとんど西側に行ってしまい、「CanonやOlympasならたくさんありますよ」それなら日本にもたくさんあります。
ソビエト製のカメラでロシア人妻の写真を写す。ささやかな夢ですが、「馬鹿じゃないの?最低!」大方のロシア人にはソビエト製カメラの評判がメチャクチャ評判が良くありません。
本物のドイツ製ライカまで「こんなの写らない!」と馬鹿にして、評価してくれません。
工業製品とは思えぬ「不完全」な部分が「人間的」だと思います。
できなくて当然、できれば嬉しい至らなさに愛情を感じるものだと思います。
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