世界の報道自由度ランキングでは日本は72位なんだそうです。180の国や地域の中なので中の上ってところですかね。
自由には責任が付きまとうものですから、報道の責任という側面から見ればどうなんだろうか?報道の品質を問えばどうなんだろうか?と、考えると72位は妥当な順位ではないでしょうか?特に恥じ入る必要もない。日本の報道の品質は72位ってとこなんでしょう。
ソウルオリンピックの前年ですから1987年に韓国に行ったことがあります。
学生運動真っ只中で投石や催涙弾が飛び交う事態になっていました。1960年代から70年代のかけての日本を見る思いもしましたが、実際の韓国はそれより100年古い自由民権運動の時代だったようです。
盧泰愚が直接選挙による大統領選により民意で初めて選ばれた大統領となったわけですが、それまで存在しなかった民意の暴走がここから始まります。成功体験が身を亡ぼす始まりです。
日本では1970年代に崩れた「市民の団結」なんてものが今の時代でも残っているようですが、ストライキをしたりデモで騒げば世の中が変わるという稚拙な考えが今もあの国を覆っています。今、その場の感情で暴れた結果、それが自分の身の上に降りかかっていることに気が付かない。民主主義の道はまだ遠いようです。
5月になったらハチ刺されのショックが起きた時の特効薬、エピネペンの更新のために病院で講習を受けなければなりません。
薬の中身はステロイドで、アナフィラキシーショックが起きて血圧が下がった場合、この薬で血圧をあげて一時しのぎをする理屈になっています。ステロイド。オリンピックで目の敵にされる薬物ですが、要は興奮させて記録を伸ばすってことなんでしょう。
エピネペンと言うのも別の言い方をすればエピネフリンと言うアドレナリンのこと。
19世紀末に高峰譲吉と言う学者が世界で初めてホルモン物質の抽出に成功し、これをアドレナリンと名付けのちに外科手術直に大いに活用されるようになりました。が、アメリカ人のエーベルと言う学者が「高峰は私の研究を登用した」と虚偽の告発をして業績をすべて奪い取ってしまいました。この時に名付けられたのがエピネフリンと言う名前です。
当時は世界の辺境の日本人がこんな発見するわけがないと見下されていたので、北里柴三郎だって血清療法を構築しながらも共同研究者のベーリングだけがノーベル賞受賞でした。アジア人の研究など相手にされていなかった時代があったんですね。
ヨーロッパではアドレナリンと呼ばれるこの物質はアメリカではエピネフリンと呼ばれています。日本もアメリカにならってエピネフリンと呼んでいましたが、元々発見した高橋譲吉の祖国がそれじゃまずいでしょうと、今ではアドレナリンが当たり前の呼称になっているようです。
一昨年の講習会では医師から余談でこんな話を聴きましたが、一番勉強になった話でした。
日本もこうした悲運の時代を経験しながらもあきらめずに培ってきた研究で、毎年のようにノーベル賞が出るような国になれたのです。
高峰譲吉の研究には植物からでんぷんを分解する酵素のアミラーゼを抽出に成功。後の胃腸薬(消化薬)として今でも私がよく使う「三共胃腸薬」に活用されています。
後世のほとんどをアメリカで過ごしていた高峰譲吉ですが、日本のアルミニウム製造の技術を導入し、そのための電力確保に自分の故郷富山の黒部川に注目します。
黒部川に発電所を作るための資材運搬に作ったのが現在の黒部鉄道。宇奈月温泉街もこの事業の中から生まれました。