のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

陶芸

2009年05月11日 | 日記・エッセイ・コラム

090511g  ロシアの伝統的な陶磁器として「Гжель(グジェリ)」があります。モスクワ近郊のグジェリ村で作られたことからこの名が広まりましたが、中国の青磁をモチーフにしたような磁器で、日本の伊万里焼などに似た色使いや感触があります。
 ウラジオストクの友人宅に一見グジェリと思わせる食器がありましたが「よく見るとわかるけど、スイフンヘイで買ってきた中国製。本物は高くて買えないよ。」と、言われてよくよく眺めてみたら絵の雰囲気が中国的だったり、さらに食器の裏に漢字で何かかれていました。

 ウラジオストクの商店に並んでいたグジェリを窓越しに眺めたことがありましたが、陶器とは違い歪みのない磁器は左右対称のシンメトリーを好む民族向きなんだなぁと感じたものです。

090511h_2  それにしても、興味深いアートを発掘することが上手いのが中之条の真澄さんで、アートのほうから彼女に接近してくるような引きの強さを持っているオバサンです。
 六合村にウクライナ人のナタリアさんという陶芸家がいると教えられ、真っ先にイメージが思い浮かんだのが理論整然とした磁器でした。スラブ人と侘び寂び歪みの陶器のイメージがどうにも思い浮かびませんでした。

 作品はまだ見たことはないが、人格が優れた人だと真澄さんが絶賛するので、是非見に行きましょうと出かけたのは夕方のことでした。

090511f  日本の侘び寂とも、冬の長いロシア的憂鬱とも違う、気候に恵まれたウクライナの感覚なんだなぁと感心しつつ、目が釘付けになったのは手前のチューリップのティーカップ。凛とした造形でその色合いにはДнепр(ドニエプル川)の水面に写る花を感じさせました。
 この人、自分の故郷をしっかり持っていると感心しながらも、取っ手の装飾や文様など日本人がやるとくどくなるような装飾を自然に見せてしまうのですから、感性が異なる素晴らしさも発見でした。

090511a  カップの外側は異国情緒がありながら、中は日本的な色合いです。釉薬は藁にしてはきめ細かいし、楢灰釉だろうか?それよりも色合いが淡い感じがしましたが、高温で焼き上げることで釉薬の中のケイ石がガラス質になりることで作り出すひび割れ模様も味わいがあります。
 おいしい米ができる田んぼはケイ石が含まれた田んぼと言われており、古い田んぼの下の粘土を使って陶芸をする人がいると聞いたことがあります。良い田んぼでとれた稲藁なら良い釉薬ができるのかも?
 赤い色の出し方なども研究を重ねたんでしょうね。

090511b   この作家の紫の作り方使い方は圧巻で、リラの花の紫のようにも思えましたし、地平線に沈む夕日のようにも思えました。

 この紫が光の加減で微妙に変化して、真珠のような光沢にも思えましたし、虹のような風合いをかもし出していました。

090511d  ギターの装飾などに「ツリー・オブ・ライフ」など唐草模様を取り入れるのは西洋人の感性なんでしょうが、唐草模様はメソポタミアかエジプトあたりから世界に伝播した文様と聞いています。

 シルクロード経由で中国に入り奈良時代に日本にも伝わり、獅子舞や東京ボン太のトレードマークになったようです。

090511c  真ん中の湯飲みはストロボの光が直接当ってしまったために釉薬の持つ鈍色が表に出てしまいましたが、この独特の柔らかい紫色で思い出すのは、冬のシベリア鉄道の窓から見た雪原に繰り広げられる夕日や朝焼けの色で、なんとも温かく柔らかい色合いになるんです。

 日が落ちて時折闇の中に見える人家のランプの暖かい色合いに心和ませたときのことなどを思い出しました。

090511  縄文人の末裔?新潟の影響が強い我が家の界隈ですと火焔式土器が出てきますが、山を一つ越えて吾妻では水焔式土器などと呼ばれる、異なる文様を持つ土器が出土します。
 以前、野焼きで土器を焼いてみたことがあります。燃焼温度が低いから水が染み込むスカスカの土器でしたが、古代の人たちはこれに漆を塗って強度を増し水漏れを防ぐ方法を持っていました。漆を塗った土器の破片を見たことがありますが、深い黒い色で、焼き締めのシャープな黒い色を日本人が好むのはきっと漆塗りの縄文土器の感性を引き継いでいるからだろうか?なんて考えたことがあります。

 外の複雑な文様も美しいけれど、炎と釉薬で生み出されるカップの中の色合いや艶が貝の殻の内側のような滑らかさで、真珠のようでした。
090511e  真澄さんがもらった時計。結婚式の引き物に製作依頼を受けた作品だそうで、裏には新郎新婦の名前が入っているために売り物にならなかったのだそうです。
 もちろん陶器ですが、最初、遠目に見たときは木材に漆を施して、絵柄はアバロンかパールのセルでバインディングしたものかと思いました。絵柄が時が流れていくさまをかもし出していて、長い秒針は天の川にかかるカササギの橋のようでもあります。

 中国では置時計をプレゼントすることはタブーで、置時計を意味する「金中」と、臨終を意味する「終」が同じ発音「zhong」なので、縁起が悪いと言うことになっています。「もらえるものなら全然気にしない」と言う人も多いようですが・・・

 人物も凛とした潔さを備えているし、作品もしっかりした世界を持っている。素晴らしい人材がいたと、帰りの車中で真澄さんと絶賛しながら帰ってきました。作品に人生を感じるような迫力があり、同時に陶芸の奥深さを再認識する思いです。

コメント
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