のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

結核

2009年04月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 お笑い芸能人のハリセンボンというグループの女性が結核で入院し、彼女に接した人たちに結核がうつっていないか検査するなどの騒ぎになっているようです。
 もし彼女がお笑い芸人ではなく、美人女優だったら悲劇のヒロインのごとくもてはやされたのかもしれませんが、まるで汚いものを扱うかのごとく朝のテレビで取りざたされていました。

 疫病を持ち込んだかのような騒ぎ方を気にするのは私自身が2-3歳の頃小児結核を患った事があるからで、小学生の頃はツベルクリン検査の注射をするたびに反応が出るので嫌な思いをしたものです。
 子供心に枕元で祖母たちが「この子は長く生きられないかもしれない」などと泣きながら話している記憶があり、死ぬことがどういうことかわからなかったこともありますが、そんなことより穏やか呼吸したい思いが強かった記憶があります。
 我が家では乳牛を飼っていたにもかかわらず、山羊の乳の方が栄養価が高いと飲まされたのですが、これが独特の匂いがあって飲みにくかった記憶があります。

 先週だったと思いますが、NHKで日露戦争の時代を描いた「坂の上の雲」のドラマを制作しており、今年の11月頃放送されると予告版をやっていました。坂の上の雲は軍人となって日露戦争に赴く秋山兄弟と同じ松山の出身で散文の改革者ともなった俳人正岡子規を通して、欧米型の近代化に向かう日本を描いた小説。
 正岡子規の「子規」はホトトギスのことで、結核を患ったわが身を「鳴いて血を吐く不如帰」になぞらえたペンネームだそうです。

 戦前までの日本文学など結核を飯の種にしていた思いもしますが、樋口一葉、梶井基次郎、新美南吉など結核で亡くなった作家も多くいました。作曲家の滝廉太郎もそうですね。
 
 トーマス・マンの「魔の山」は高原のサナトリウムが舞台ですが、不健康な「美」の対象として結核患者が描かれています。日本の文学における「結核」の描き方に近い感覚をドイツ文学が持っていたことに驚いたものです。

 一種の伝染病ですから忌むべきことですが、今回のハリセンボンの結核に対してはメディアの反応が過剰するぎる感じがします。

コメント
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