のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

スケート

2006年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 前回のソルトレークオリンピックのフィギュアスケート競技で、採点の不正があり、不可解な優勝をしたエレーナ・ベレズナヤ、アントン・シハルリゼ組は金メダルを剥奪され、フィギュアスケートの採点規準が感覚的なものから、より機械的なものに変更されました。
 これによって日本のフィギュアスケート選手もすいぶん苦労をして新しい採点方法でも評価に対応してきました。

 世界的な評価では女子フィギュアスケートではロシアのイリナ・スルツカヤがダントツで優勝だろうといわれています。
 ところがそういわれて喜ばないロシア人もいるようで、「これでロシア人が金メダルを取ったらまた採点方法が変わってしまうだろう」と懸念しています。

 長野オリンピックジャンプ競技で日本勢が活躍したら、スキーの長さを身長に比例してと長身選手が多いスカンジナビア有利にレギュレーション変更してしまったように、冬季オリンピックの背景には西側ヨーロッパ主導のルール作りがあることを強く感じます。しかし。ロシアは主流派ではなく弱い立場のようです。

 ソルトレークシティオリンピックのフィギュアのロシアペアの場合明らかに裏取引があったわけですから、金メダル剥奪は当然にしても、その後の世界選手権では実力発揮して優勝。優勝が決まった瞬間、舞台裏ではエレーナ・ベレズナヤが泣きながら玄関の外にいるアントン・シハルリゼには知っていき飛びついた光景が印象的でした。妙にかわいかったが、このペアは女性が年上。

 イリナ・スルツカヤの優勝よりも、日本人三選手が活躍した場合のほうが採点規準変更される可能性が高いのではなかろうかと、私は懸念しています。
 次世代は4回転ジャンプの安藤美姫やトリプルアクセルを軽々こなし、4回転の期待もできる浅田真央などジャンプが得意な選手が主流になるでしょうから、よほどヨーロッパにジャンプの得意な選手でも出てこない限り、ジャンプの得点が低くなるかもしれません。

 環境がいいから必ずしも優れた選手が出てくるわけではなく、フィギュアスケートなど温かい名古屋勢が主流です。
 何より自分が楽しむことがスポーツの重要な基本で、”勝たねばならぬ”だったら日本のアルペンスキーなどスキー人口と世界的選手の比率が圧倒的に低すぎてしまいます。

 リレハンメルオリンピックの女子フィギュアスケートで、当初下馬評だったのがUSAのナンシー・ケリガンと刺客を雇ってナンシーをぶん殴ったトーニャ・ハーディングで、オリンピック以後プロにおなっていくら稼げるばかりに間が行ったアメリカ人の愚かさを見る思いでしたが、その隙に優勝したのはウクライナのオクサナ・バイウル。ソビエト崩壊の余波があったころでしたので、コーチは亡命、彼女の父親は混乱期に行方不明の悲劇を背負って出てきて一躍時の人になりました。こういうどんでん返しがあるからオリンピックは面白い。

 このとき、かつての氷上のヒロイン、二大会連続金メダルの東ドイツのカタリナ・ビットが統合ドイツの代表選手で出てきて、”Where have all the flowers gone (花はどこへ行った)”で内戦中のサラエボについて世界に問いかけました。彼女のスケーティング技術は既に時代彼方の物でしたが、このメッセージには胸を打たれました。こういう選手を出してくるドイツもすごいと思いました。

 ”花はどこへ行った”はUSAのフォークシンガーのピートシーガーが作ったとされていますが、マレーネ・デートリッヒが"Sag mir wo die Blumen sind"とドイツ語で歌ったり、60年代ベトナム戦争真っ只中にはUSAのPPMが反戦歌として世に広めました。元の歌詞はロシアのショーロフが書いた小説”静かなるドン”に出てくるコサックの子守唄。
あしの葉はどこへいった?
少女たちが刈り取った
少女たちはどこへいった?
少女たちは嫁いでいった
どんな男に嫁いでいった?
ドン川のコサックに
そのコサックたちはどこへいった?
戦争へいった

コメント
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