傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

「日本未来の党」の分党騒動・・・表面的な平和的な着地は禍根を残す(雑感)

2012-12-28 15:57:41 | 日本未来の党・嘉田由紀子

「日本未来の党」の共同代表の嘉田代表の人事案で、元「国民の生活が第一」グループの議員が反発し、年内に分党が確定的になり、案の定、メディアは「成田離婚」「偽装結婚」「選挙互助会」などと沈黙の小沢一郎氏が悪者と喧伝していますね。
「主権在民の理念に頑固一徹で不器用」な小沢一郎氏のマイナス要因もあるが、純な「一途で割り切り」の女性資質の嘉田代表の現場の生存競争のパワーゲームの疎さが騒動の主因ですね。

「日本未来の党」は分党し、「日本未来の党」を引継ぎ森ゆう子議員が代表の「生活の党」となり、嘉田由紀子知事は新たな「未来の党」の代表となり、予想したように急浮上した「みどりの風」は谷岡郁子代表であり、「社民党」は福島瑞穂党首で、政治に変化させる原動力は女性かなと思いますね。
本ブログ「日本の再生を女性に委ねることも一考?(雑感)」で、打算的な男性より一途で割り切りの女性に日本再生を任せることが賢明かなと書き、長期安定が確実視される自公政権への抵抗勢力には弱小野党の女性群に一類の望みですね。

とはいえ、「日本未来の党」の分党騒動は、「一途で割り切り」の女性資質の嘉田代表の「私が代表よ。小沢さんとは党の要職に就けない約束があるのよ」という言質を「錦の御旗」にし、小沢グループの議員が何を言おうとも、「私は、小沢一郎氏を仕切れるのは代表の私だけよ」という慢心が主因ですね。
もうすこし、良くも悪くも小沢一郎氏の影響力を活用する術があれば、要職に就かせる就かせないは別にして、掲げた理念を実現する政治力(政治は数)を計算でき、総選挙で大敗することが無く分党騒動はなかったと思いますね。
嘉田代表が予想された小沢傀儡政党の批判を計算し、早々に自ら「要職に起用しないのは小沢氏と私との約束」を公言したことが活動の自由度を失ったのです。
もし、予想される小沢傀儡政党の批判を計算し、悪名高い小沢一郎像は認識しているが、「要職云々は別にして、未来の日本の為に手腕を発揮してもらうことを小沢氏と約束している」と公言すれば、小沢一郎氏の「オリーブの木構想」には共感でき、脱原発の方向性は合致しており、一緒にできると思ったとすれば分党騒動の弁明に一理があったのです。

しかしながら、嘉田代表は小沢一郎氏グループとは「家風が違った」という弁明は、自分は小沢一郎氏から分党の申し入れを受けざるをえず、「日本未来の党」は乗っとられた被害者だったという印象を世に与え、嘉田代表が計算したかどうかわかりませんが、「やはり、ワルは小沢一郎か」という「悪名小沢」世論を利用したことになりますね。

一連の「未来の党」の分党騒動を傍観すれば、純な「一途な割り切り」の女性資質の環境学者の嘉田知事は、小沢一郎氏の「オリーブの木」構想実現に共感・合流し、他方、嘉田知事は地方政治の良化に「未来塾」を創設し、「びわこ水源を守る」という使命から飯田哲也氏を重用し「未来の党」を創設し脱原発の受け皿を計算したのでしょうね。
小沢一郎氏が合流したことで、第三極の流れが変わると最初に焦燥したのが「維新の会」の橋下市長で、飯田哲也氏批判を発したが、小沢一郎氏が表看板にならないと判れば、飯田氏の言いなりの嘉田知事が心配だと相手にしなくなりましたね。
小沢一郎氏の合流で一番真剣に深刻に考えたのは、飯田哲也氏だったと思いますね。

飯田哲也氏については、ブログ「社会科学者の時評」のエントリー『■ 地震と原発と天皇 ■』 で、飯田哲也NPO環境エネルギー研究所・所長を人物紹介をしております。転載すると、

”「京都大学原子力実験所出身者の1人:飯田哲也
 本日〔2011年4月13日〕『朝日新聞』朝刊23面「文化」欄に,飯田哲也談「原子力からシフトを-自然エネルギー 50年までに100%に」という提案が紹介されている。飯田は,2050年を目標に「省エネ・節電」と「自然エネルギー」とで挟みうちにする方向で,原子力・石炭石油・天然ガスを主力する現在の発電体制を完全に不要化する構想を,具体的に提案している。

 最近,東京電力福島第1原子力発電所の損壊事故を介して,とくに京都大学原子力実験所の小出裕章助教(1949年生まれ),今中哲二助教(1950年生まれ)のような,原発に批判的な姿勢を採ったがために,還暦を過ぎた年齢まで〔そして退職を迎えるまで〕助教〔以前の肩書でいう助手〕の地位に留めおかれてきた大学研究者が,原発の危険性を議論する輪のなかで〈注目されるべき姿〉となって浮上してきている。飯田は,小出・今中両助教のように,京大原子力実験所の檻のなかで半生状態で飼い殺しにされる道は歩まず,自分の人生行路を独自に開削してきた人物である。

 現在,環境エネルギー研究所所長である飯田哲也の経歴を,さきにみておく。


 1959年,山口県生。京都大学原子核工学専攻修了。東京大学先端科学技術研究センター博士課程単位取得満期退学。大手鉄鋼メーカ,電力関連研究機関で原子力R&Dに従事したのちに退職。現在,非営利の研究機関の代表を務めつつ,複数の環境NGOを主宰し,科学者でもあるというトリプルコースを歩んでいる。自然エネルギー政策では国内外で第1人者としてしられ,先進的かつ現実的な政策提言と積極的な活動や発言により,日本政府および東京都など地方自治体のエネルギー政策に大きな影響力を与えている。国際的にも豊富なネットワークをもち, 21世紀のための再生可能エネルギー政策ネットワークREN21理事,国際バイオマス協会理事,世界風力協会理事なども務める。

また日本を代表する社会イノベータとしてしられ,自然エネルギーの市民出資やグリーン電力のスキーム創造など,研究と実践と創造を手がけた。鳩山新政権で,中期目標達成タスクフォース委員,および行政刷新会議の事業仕分け人に指名される。主著に『北欧のエネルギーデモクラシー』,共著に『グリーン・ニューディール―環境投資は世界経済を救えるか』(NHK出版),『日本版グリーン革命で経済・雇用を立て直す』(洋泉社新書),『自然エネルギー市場』(築地書館),『光と風と森が拓く未来―自然エネルギー促進法』,『環境知性の時代』,訳書に『エネルギーと私たちの社会』など
。」”

と自然エネルギーの第一者ですね。

その飯田哲也氏は、今年の山口県知事選に出馬し、自民党・公明党が推薦の候補に敗れ、その後、地域政治団体「みらい山口ネットワーク」の設立を発表し、嘉田由紀子知事と「卒原発」を旗印の「未来の党」の共同代表に就任し、国政進出を表明し、12月16日投開票の総選挙に「日本未来の党」公認候補とし山口県第一区から立候補したが大差で敗れ、比例復活ならず落選する。

当方は、飯田哲也氏はNPO団体だけでの活動に物足らずを感じ、自己実現に山口県知事選に立候補し善戦したことで国政参画を意識し始めたと邪推しました。
安倍昭恵・首相夫人は勉強会に飯田哲也氏を呼び、安倍首相と飯田哲也氏とは同じ山口県、神戸製鋼と共通項もあり、飯田哲也氏とすれば、与野党には人脈があると自負があり、「卒原発」で国政に影響力を発揮できると嘉田知事と「未来の党」の設立準備をしていたのでしょうね。
そこに、嘉田知事が小沢一郎氏と密会?し、合流することになり「未来の党」の主導権の流れがかわると慌てたのが飯田哲也氏だったのでしょうね。

嘉田知事とすれば、飯田哲也氏の原発から自然エネルギーへの移行論に共感し「未来の党」を飯田哲也氏とともに立ち上げた経過もあり、飯田哲也氏の不満?不安?解消に、「要職に起用しないのは小沢氏と私との約束」が第一声だったと邪推しますね。

本ブログ「嘉田代表の一途な思いは飯田哲也氏で小沢一郎氏には割り切り?(雑感)」で、嘉田代表の女性特有の「一途で割り切り」は、飯田哲也氏には自分の政治生命をかけた「一途」な思いがあり、小沢一郎氏には自分の政治生命が終わるので「割り切り」の思いが邪推されると書きました。

当方が、当初から不可解だったのは、何故、小沢一郎氏と2枚看板で正々堂々と戦い宣言せず、「要職に起用しないのは小沢氏と私との約束」を第一声したのかでした。
小沢一郎氏を要職に起用しないのに、小沢一郎氏の手腕を国政に活かすとか、小沢氏を怖がっているのは皆、利用してきたからとか、小沢氏は「良薬口に苦し」など小沢一郎氏の力量を認める発言をしながら要職に起用しない矛盾がありました。
嘉田知事は、飯田哲也氏の「卒原発」を第一とし、小沢一郎氏から分党と言い出すのを待ち、平和的な分党に至ったとの釈明は、諸悪の根源は小沢一郎氏だったという印象を与える自己弁明ですね。

「日本未来の党」の分党喧騒は、飯田哲也氏の存在なのか、悪名高き小沢一郎氏なのか、嘉田代表の慢心なのか、一概の言い切れないが、各々に大きな負の遺産を残したことになりますね。
森ゆう子議員が、BS11で、卒原発の選挙活動はサークル活動の域が出ておらず、国民から脱原発実現できるという信頼にいたらなかったと発言し、悪名であろうが小沢一郎氏との2枚看板で戦えればという苦しみを語っていましたが同感の思いを持ちましたね。
マアー、メディアに「成田離婚」「偽装結婚」「選挙互助会」と揶揄され、このハンディは大きいですね。
さて、みどりの風はどちらになびくか?



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