傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

高齢者の終末:家族が最終決断を強いられる覚悟が問題(所感)

2013-04-13 12:03:36 | 社会

12日、NHKの特報首都圏『それでも“延命”を ~揺れる 人生最期の決断~』で、高齢者の終末期の在宅看護を取り上げていました。
当方も、認知症の老母(92歳)の終末を在宅看護を検討したが、緊急時の対処と事前検討不足で在宅看護を断念し、現在は、病院にて延命治療中であり、放送された家族の犠牲的負担は想像でき、最後の最後で延命医療の停止を強いられる覚悟が待ち受けており、当方にはとても出来ないと思いました。

NHKの特報首都圏『それでも“延命”を ~揺れる 人生最期の決断~』の番組紹介を転載すると、

”「最新の医療機器を使って
“病気でも住み慣れた自宅で医療を受け、暮らしていく”。
「新生在宅医療・介護元年」との掛け声のもと、在宅療養推進の政策が始まって1年。
大きな課題が見えてきている。

24時間見守る家族
「医療依存度の高い患者」の在宅療養が相次ぎ、今後はさらに増えると見られている。
人工呼吸器や胃ろうの経管栄養など、生命維持に必要な「医療行為」を伴う患者を「在宅で診なければならない時代」へ入っている。
その患者を毎日看る家族には、あまりに大きな負担がかかっているのだ。

家から出られない
そうした患者を在宅で看ることは、これまでの介護とは大きく異なる。
人工呼吸器のコントロールや、のどに詰まった痰の吸引など「医療行為」が必要なため、家族が24時間、患者に付きっきりにならざるをえない。

家族の負担を減らすには
「医療行為」は専門性が高く、在宅での訪問制度で、家族に代わって行えるのは医師や看護師などに限られる。
ショートステイなどの場を見つけることも困難だ。
「夜、眠ることができない」「自分が病院に行くこともできない」家族からは、悲痛な叫びが上がっている。

ショートステイの取り組み
どうすれば、医療の必要な患者と家族の生活を守ることができるのか。
現状を詳細に取材するとともに、地域や病院との連携など対策を考えていく。
出演:英 裕雄さん(医師
)」”

で、在宅で延命医療を決断した本人とその家族を取り上げています。

当方の母親の場合は、特養で転倒事故前までは、車椅子を使わず、シルバーカーでの自力歩行でき、日常会話も出来、昨年11月末の転倒事故後、拒食となり、数時間の末梢静脈点滴は2週間程で不能になり、病院に入院時は車椅子となり、現在は経鼻胃管栄養のベット生活しております。
終日、無機質の病室でのベット生活より在宅での看護を検討(高齢者の終末・・・自宅で看取るには覚悟と事前検討が不可欠(所感)2013-02-15)しましたが、断念しました。
断念した理由は、延命医療・在宅看護の事前検討不足でしたが、やはり、最後の最後で延命医療を中止する決断への抵抗感ですね。
本ブログ「高齢者の終末期医療:自然死が自然だが?(所感)」(2013-02-06)で紹介した宮本顕二・礼子夫妻のコラム『今こそ考えよう 高齢者の終末期医療』で、終末期の高齢者が食べれなくなるのは老衰であり、食べなくても苦しむことなく自然の流れに接し、延命医療を中止することへの抵抗感は希薄になったが、いざ、自分が中止の決断できるかといえば二の足を踏む事になると思ったことです。
また、番組で家族が喉に詰まった痰の吸引作業の場面がありましたが、当方は、愛煙家だった父親が、喉に痰が詰まった「ゼーゼー」の表情は息苦しそうで直視できず、看護婦コールをした記憶があり、在宅で看取るには強い覚悟が求められますね。

当方は、母親を病院で看取る決断したが、最近の在宅で看取る番組・情報に接する度に、決断が早計だったのか後悔の念が浮かぶとともに、子供には負担を掛けさせたくなく、「食欲がなくなったら寿命で、延命医療を無用」「葬儀も無用」と申し伝えるようと思うこの頃ですね。



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