傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

原発事故:「海水注入」の中断・・・組織責任と責任者責任

2011-05-26 09:43:06 | 民主党(菅政権)

福島第一原発事故で海水注入が55分間中断した問題を、政府は、東電から保安院には、「海水注入の準備着手」の事前連絡があったが、実作業開始の連絡がなく、菅首相の「海水中断には関与していない」という答弁には矛盾がないと。
マアー、組織は責任があるが、責任者は「知らなかった」ので責任はないということですか?

海水注入については、東電は保安院に「作業準備に着手」を連絡したと報道があり、枝野官房長官は、事前報告は認めたが、菅首相の言動については、「まったく矛盾していない。首相は『実際に水を入れ始めた』という報告をまったく聞いていないということだ」と問題はないと報道あり。

当方の常識では、事前報告し、何ら音沙汰がなければ、了解されたという認識ですね。
本チャン開始の報告がなかったと後から文句いわれたら、冗談じゃないと思いますね。
また、組織は知っており、組織が組織の長に報告していなかったのに、組織の問題でなく、火急の現場の勝手さと批判されたら「やっていらねぇー」になりますね。

当方は、菅首相が海水注入を知っていたのか知らなかったが定かではないが、菅首相が「海水注入が再臨界の可能性」を問題視し、関係者での議論の様子を垣間見した東電側が海水注入を中断し、関係者は再臨界の抑制にホウ酸を投入することで菅首相を説得したのではないかと想像し、ブログに書きました。
確か、国会の菅首相では、海水注入を知らず、再臨海の危険性を議論し、海水注入にはホウ酸の投入することになったと答弁し、海水中断には関与していないと。しかしながら・・・、

産経新聞の記事『海水注入中断「首相の言動」焦点 安易に外部意見頼り混乱?』では、菅首相は「ホウ酸」投入を問題視していたのですね。

産経新聞の記事を転載すると、
”「福島第1原発1号機への海水注入に関する経緯
 東電福島第1原発への海水注入中断問題は、政府の原子力政策の根幹を担う内閣府原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長が猛反発し、政府が発表済みの文言を急遽(きゅうきょ)訂正する異例の展開となった。放射能を封じ込める初動を妨げたのは誰なのか-。23日からの国会論戦や、25日にも発足する原発事故調査委員会で焦点になるのは、政府の意思決定の核心「首相のふるまい」となりそうだ。(阿比留瑠比)

 「いよいよ検証の時期に入った。ここは覚悟を決めなければならない」

 細野豪志首相補佐官は22日のフジテレビ番組で、海水注入中断問題に関連してこう述べた。省庁幹部も「いかに官邸が情報を止め隠してきたか。全部国民に克明に明らかにすべきだ」と事故調に期待感を示す。

 21日の政府・東電統合対策室の記者会見などによると、東電が3月12日午後7時4分に1号機に海水注入を始めたという情報は、官邸には届かなかった。

 だが複数の政府高官が証言する。「首相が『聞いていない』と激怒した」。首相は海水注入が再臨界を引き起こす可能性があると知人に言われたようで、海水注入を主張する官僚を怒鳴りつけたという。首相の問題行動は、部下である官僚や政府組織を信用せず、安易に外部に「セカンドオピニオン」を求めることだ。

 「首相が再臨界について心配していたのは事実だ」

 細野氏は22日の番組でこう認めた。細野氏らは首相が直接指示して、海水注水を中断させたとの見方は否定するが、首相の言動が東電側に「首相の意向」として伝わった可能性がある。

「首相が誰かから『海水にホウ酸を入れてもしようがない。むしろ有害だ』と聞いた。原子力安全・保安院も東電も『ホウ酸が必要』と訴えたが…」と官邸筋は語る。

 結果的に、3月12日午後7時4分の海水注入時や、同8時20分の注入再開の際には、中性子を吸収し再臨界防止に有効な「ホウ酸」は投入されなかった。首相が外部の声に頼り判断を遅らせたとの疑惑は絶えない。

 そもそも東電の清水正孝社長は5月2日の参院予算委員会で、3月12日の海水注入指示の時間を「真水停止(午後2時53分)の前」と証言。この日は官邸に東電幹部もいた。首相が本当に海水注入を知らなかったとしたら、初動時に、首相がほとんど状況把握できていなかったことになる。

 首相は、3月15日に自衛隊による空中放水の検討を指示する際の打ち合わせでも外部意見にこだわった。

 首相「ところでホウ酸は粉末で入れるのか液化して投入するのか」

 事務方「…」

 首相「答えられないのか。俺の知っている東工大(首相の母校)の教授と議論してから来い」

 班目氏の問題は「文言訂正」で一件落着を装ったものの、抗議を受ければその場で訂正できるほど、政府の報告書が裏付けのないものであることを世に示してしまった。首相の判断根拠は、さらに説明されなければならないだろう。

【用語解説】再臨界

 運転を停止した原子炉の燃料が、再び核分裂の連鎖反応「臨界」を起こすこと。連鎖反応では、燃料の原子核の分裂で放出された中性子が、別の原子核にぶつかり、次々に核分裂が起きる。冷却が進まず高熱で核燃料が溶け、燃料に含まれるウランの密度が高まり「臨界量」に達すると発生する場合がある。制御は非常に難しく大爆発を起こす恐れがあり、東京電力は原子炉を冷やすため注入する水に、中性子を吸収するホウ酸を加え、再臨界防止措置を取った
。」”

と報道しています。

当方は、海水注入の中断問題で、組織責任と責任者の責任、「組織は知っていたが責任者が知らなかった」の場合の組織責任と組織責任者の責任の許容をどうするのかではないかと思いました。

本ブログで、
”「要は、官邸主導とは組織対策だけの「船頭が多い」対策に過ぎず、「報告しろ」と騒ぎ、現場の問題解決作業の足を引っ張っていたのでしょう。」”
と書き、
”「組織責任とは責任の分散化であり、誰も責任をとらず、当事者のみが責任を負わされ、順調に終息したら、組織の功績となり表彰されるのが世の常ですからと書きました。」”
と書きました。

また、この度の海水注入中断問題は、菅首相の資質・気質が起因と思いました。
過去、本ブログ「菅政府では、「破壊と創造」が期待できそうもない?・・・市民運動家の限界」で、
”「最小不幸社会」は、社会的弱者に重視する社会運動家的な発想で、野党的な発想ですね。
要は、社会の歪み、不平等を質すことに生きがいを感じる資質であり、質し、良化させることに満足する資質で、世の中を、破壊し、新たな社会を創造するという政治家の資質を持ち合わせていないのではないかと思いますね。」”
”「菅・仙谷・枝野トリオは、問題を質す論客であるが、現行社会を「破壊」し、新たな社会を「創造」する資質を有するのか疑問を持っています。
マニフェストを一見する限り、問題解決型の「無難」であり、問題そのものを否定からはじまる「破壊」し、新たな社会を「創造」する息吹きが感じないです。
社会運動家の限界ですね
。」”
と書きました。
菅首相の野心家気質は、世を批判することは長けているが、世を新たに創造する資質は希薄の一方で、権限を固執するのです。
周辺の人間に、怒鳴り散らす気質、責任転嫁する資質は、野心家が獲得した権限を堅持する資質の現われですね。

この度の海水注入中断問題は、単に、責任者が「知らなかった」から責任はないということではなく、対策本部と現場との守備範囲と責任の問題に、責任者の資質・気質の問題に、責任者を擁護する周辺の「宮使い」体質(長い物には巻かれるのが無難)らの問題が潜在していると思いますね。

当方は、対策本部が現場作業であろうが全て責任を持つという考えであり、本部は現場作業を最大限に支援する責務があるということであり、本部が現場作業の障害になっているのは、「船頭多く、現場が犠牲」、「トップが馬鹿だから現場は苦労」と「事故は対策本部で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」ですね。

「付記」

官邸は、組織は情報を入手していたが、トップに報告しなかった問題には、「SPEEDI」試算結果もありました。
本ブログ「原発事故:政府は「SPEEDI」試算結果の存在知らなかった?・・・疑問」で、

”「枝野官房長官は、”「スピーディの存在を枝野氏らが知ったのは、12日から数日後だった」”と説明し、”「(官邸でファクスを受け取った官僚が)重要な情報でないと判断したとしか考えられない」と述べ、職員の対応がまずかったとの認識を示した」”と報道あり。」”

”「今回の震災に当てはめると、東電から政府に福島第一原発の1~3号機の電源喪失を報告する「10条通報」は、震災当日3月11日の15時42分になされた。
政府はマニュアル通りに原子力安全センターに指示し、SPEEDIは緊急モードで動き始めた。同センターはこう説明する。
SPEEDIの拡散試算図の配信を11日の17時頃からスタートさせました。それ以降、1時間ごとに拡散状況を計算し、原子力安全委員会などの端末に送っています
。」”

と、対策本部のメンバーである原子力安全委員会などは、事故当日の17時から情報を入手していたのです。

要は、組織は情報を入手していたが、責任者は「情報の存在を知らなかった」と職員の問題と強弁していますが、世の中、責任者が「知らなかった」で責任なしと許容されれば、組織責任者の責任とは、なにぞや?






1 コメント

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irresponsible (noga)
2011-05-27 01:31:38
意思は、相手の理解により効果を発揮する。
恣意は、相手の察しにより効果を発揮する。

意思は本人の内容である。
恣意は本人の内容ではない。

恣意は、恥ずかしくてまともには公言できない。
恣意は、社会に受け入れられない。ここは、甘えさせてもらうしかない。

その内容はあいまいで、相手の勝手な解釈とも考えられる。
俺の目をみろ 何んにもいうな 男同志の 腹のうち。
お前らに、俺の腹の底が読めてたまるか。
だから、腹を割って話さなければならない。談合が必要である。

英米人の社会には、意思を通す権力の序列がある。これにより声明を発表する。
日本人の社会には、恣意を通す権力の序列がある。これにより天の声を使う。

東条英機は、昭和天皇の意思に従って、太平洋戦争を始めたか。
それとも、昭和天皇の意思に背いて、太平洋戦争を始めたのか。

意思がなければ、社会に対する責任がない。
日本人は、意思の存在を認めることができない。
犯意の存在も証拠不十分で不起訴となる可能性が高い。
だから、日本人の社会では、とかくこの世は無責任となる。

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

昔の日本人は、15歳の見習い乗子の責任は考えられたが、5代将軍と佐土原藩主の責任については考えられなかったようである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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