傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

民主代表選:小沢一郎氏は「ナタ」、菅直人氏は「錆びたカミソリ」(印象論)

2010-09-02 10:18:57 | 生活の党・小沢一郎

民主党代表選挙の火蓋が切られ、昨日、両者の「政見」を一見し、共同記者会見を視聴したが、小沢一郎氏は、鈍器「ナタ」で、菅直人氏は、鋭器「カミソリ」だが「錆びたカミソリ」を連想しましたね。
「ナタ」は一撃で致命的な殺傷力をもつが、一方、「カミソリ」は、急所を切り裂ければ、致命的な殺傷能力を持つが、錆びたカミソリでは、致命傷をあたえることができませんね。

当方は、政治には無関心の傍観者であり、長い物に巻かれろの適当な人間であるが、「老化体質」「自閉気質」の硬直化の日本社会は、「破壊と創造」の新陳代謝が不可避という思いで、金権政治家であろうと小沢一郎氏の「破壊力」を期待した人間です。

昨日の発表された「政見」、共同記者会見を一見し、本ブログ「民主代表選の政見・記者会見:菅首相は自己顕示・好戦的・、小沢氏は理念・政治主導・先鋭的(印象)」で印象を書きましたが、何か、「ナタ」と「カミソリ」を連想しましたね。

小沢一郎氏には、ガキが扱うと危険な「ナタ」を連想しましたね。
硬直化社会を政治家の責任で、有無を言わさずに、一撃で破壊する主張(政策)ですね。
一方、菅直人氏は、昔は、薬害エイズ問題、金融国会では「カミソリ」で殺傷したが、その後は上昇志向の野望を持ち、自己実現に精を出し、政治家としては錆付き、俺は鋭利な「カミソリ」を持っていると主張(口撃)している印象ですね。
極論すれば、小沢一郎氏は大人が扱う鈍器「ナタ」であり、菅直人氏は得意技の「口撃」と抱き合わせの「錆びたカミソリ」ですね。

営々と築かれてきた政官業の頑強な既得権社会には、「ナタ」でなければ立ち向かうことができず、「錆びたカミソリ」では、急所を一撃で切り裂く事が出来ず、立ち向かうことより、俺はカミソリを持っていると口撃するが、現社会に順応同化しか自己保全・自己保身できませんね。
「カミソリ」の切れ味をもっていた菅直人氏は、錆び出始め、既得権組織は、組みやすいでしょうね。
「ナタ」の小沢一郎氏は、営々と築かれた頑強な既得権社会からは、危険な人物「凶器」に映り、「小沢潰し」で小沢一郎氏に「ナタ」を振るわせないことに既得権社会の組織防衛力が働いてきたのです。
マアー、小沢一郎氏と菅直人氏の生まれ育ちの違いと政治への関わり方の相違が、各々「ナタ」と「カミソリ」に醸成してきたのでしょうね。

また、政見、記者会見での印象は、菅直人氏が強調する「クリーン」「オープン」「全員参加」という美辞麗句は、国民向けには清涼飲料水的な爽やかさを与えるが、片や、小沢一郎氏は、今日の硬直化した社会は、戦後の民主主義が理解不足のまま推移が日本社会の精神的構造の一因をなすと大上段から問題提起する愚直さ・重厚さを感じさせる。
清涼飲料水は一時の爽やかさだけの一過性の「風頼り」で、清涼飲料水だけでは主食の穀物の代替にならないと同様に、社会安定さは、「風頼り」でなく、基幹・基軸が不可欠であり、小沢一郎氏の政見には基盤になりえる「重厚さ」が感じますね。

贔屓目抜きにしても、政見・共同記者会見では、クリーンさを強調する菅直人氏は「軽く」、訥々と話す小沢一郎氏に「重み」を感じましたね。
一度、小沢一郎氏に「剛腕」発揮させたいという心情になりましたね。




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