傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

福島原発事故:沈静化初期作業の問題もあるが?

2011-09-17 10:04:14 | 社会

最近、福島原発事故の沈静化の初期現場作業の問題が問われているが、現場作業の問題もあったが、原発の導入した根源的な問題があり、責任を現場作業だけに押し付けるのは疑問を感じますね。
東電には主体的な責任があることは事実であるが、政府・政府関係機関・学識者およびメディアも責任の一端があることは事実であり、現場に責任を負わせる風潮は違和感を感じますね。

当方は、福島原発事故の沈静化には、外部電源の確保と現場体制拡充が急務とブログで書いてき、6月5日のNHKスペシャルの『事故はなぜ深刻化したのか』を視聴し、本ブログ「NHKスペシャル「事故はなぜ深刻化したのか」・・・責任分散、責任不在」で、
”「6月5日のNHKスペシャル『事故はなぜ深刻化したのか』を視聴したが、NHKらしく卒のない『各関係部門が努力したが?』という内容であり、責任分散化し、誰も責任は感じているがという内容ですね。
原発事故を深刻化したのは、対策本部が事故全体像を推察しなかったことで、現場から遊離し「事故は対策本部でおきてんじゃない。現場で起きてるんだ!」であり、対策本部の機能不全が要因です
。」”
と書きました。

その後、NHKのETV特集『アメリカから見た福島原発事故』の再放送を視聴して、アメリカでは、80年代に、福島原発に導入されたGE製のマーク1の原子炉の格納容器の独特の形状・小さい容量は廃炉すべきと問題提起されたが、アメリカでも、日本と同様に、原子力ムラが形成され、重大事故の対処には、地震の危険性の少ない西海岸側に設置と、格納容器を守るベント設置での対処という曖昧に終息し、日本側は、アメリカの動きについては、情報はあったが、地震らによる外部電力喪失の重大事故は想定外とし、喪失事故の予防策として非常発電装置らの設置で対処したと。
問題は、多重・多様な安全策の非常発電装置の設置が多様性を欠落しており、電力会社・メーカー(東芝・日立)・保安院らの人災だったということです。
要は、福島原子炉は基本設計のミスであり、チェックできないミスの人災であるということです。

ブログ「Blog vs. Media 時評」様のエントリー『事故対応で東電は無能:専門家の指摘相次ぐ』で、
”「福島原発事故で「2、3号機が炉心損傷に至る確率は1割程度」「2号機への注水が4時間早ければ炉心溶融回避」と専門家が相次いで指摘しました。旧式設備の1号機はともかく、2、3号機まで炉心溶融事故に至らせたのは東電の無能さだったのです。」”
と東電を無能と酷評しています。

ブログ「Blog vs. Media 時評」様の取り上げているNHKニュースの『“4時間早ければ溶融回避”』(9月15日 19:50更新)を取り上げていますが、当方はNHKニュースを一見し、何を今更という思いでした。

5月13日、「日経ビジネス」に、山口 栄一氏が『見逃されている原発事故の本質 東電は「制御可能」と「制御不能」の違いをなぜ理解できなかったのか』 で、
”「隔離時復水器(IC)ないし原子炉隔離時冷却系(RCIC)が作動しても、相変わらず放射性物質は格納容器にとどまり、外界には出てこない。
しかし、原子炉が「制御不能」の事態に陥り、格納容器の圧力がついに暴走し始めて設計耐圧を超えたらどうするか。このときは、圧力抑制室(SC)のところに備えられたベントと呼ばれる弁を、手動で開ける。
もっとも、ベントを開けたとしても、原子炉の発熱を抑制することはできず、核燃料の崩壊熱を上回る熱容量を持つ水を注入しない限り、熱暴走を止めることはできない
。」”
と、ベント開口作業と注水作業が不可避で、現場は認識していたが、東電トップの決断の問題と論じていました。

福島原発事故については、原子力の知見もない素人の当方は、事故検証委員会が報告するまでは、静観するつもりでしたが、菅前首相・枝野前官房長官らが、当時の状況をメディアで語っており、「やれ、情報がなかった」「無知だが、自分なり精一杯努力した」という自己弁明めいた言動とそれを容認するメディアの風潮に違和感を感じています。

NHKのETV特集『アメリカから見た福島原発事故』の冒頭は、マーク1の格納容器の問題を指摘したGE元技術者が、81年に安全性分析し、
”「電源喪失・・・300分(5時間)後、温度上昇し、炉心溶融し、水素爆発になる」”
と問題提起した場面であり、81年に、GEが5時間後に、炉心溶融し、水素爆発になると公表している内容を、日本原子力研究開発機構が、今頃になり、ベント開口し、水を注入しとけば、溶融回避できたと発表することは、自分らはそれなり仕事をしており、現場作業が事故回避できたという責任回避としか思えないですね。

当方は、東電を擁護する気持ちは毛頭ないし、吉田所長も現場責任者として責任を負う立場であるが、現場作業だけに責任を負わせる風潮には、違和感を感じています。
18日22:00に、ETV特集の続編 シリーズ 原発事故への道程(前編)『置き去りされた慎重論』を視聴する予定で、責任問題を改めてブログする予定です。

当方は、福島事故を発生させた根源的要因を言及せずに、事故の沈静作業の責任だけに収束させたい風潮は日本の硬直化社会を垣間見する思いですね。
 


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