小沢一郎氏の裁判は、26日に東京地裁で一審判決が下るが、無罪になるかどうか半信半疑にさせる異常な社会が今日の日本ですね。
マアー、小沢一郎氏が無罪になれば、小沢一郎氏の事件は何だったのかが問われ、日本を動かしている政治、検察、司法、メディアは総懺悔せざるを得ず、微罪でも有罪になることを口には出さず切望していることでしょうね。
一方、現行社会に問題意識のある一部は、無実で無罪と信じているが、推認裁判の例もあり、国家権力の堅牢な組織力の怖さを知っており、半信半疑の心中穏やかにいられない状態ですね。
当方も、話題になっている「週刊ポスト」(4月20日号)を購読し、小沢一郎事件の疑念・疑惑が総括されているという感想をもちました。
敢えて物を申すなら、何故、09年3月、東京地検特捜部は小沢一郎氏の公設第一秘書・大久保隆規氏を事情聴取なしに逮捕し、小沢一郎氏の事務所を強制捜査したかの推察があれば事件全般の構図が鮮明になったと思いましたね。
本ブログ「小沢裁判:西松献金事件、検察審査会の申立人の精査が不可欠(1)・・・邪推」で、
”「小沢一郎氏の事件の発端は何か?検察審査会に申立者と検察・検察審査会との関係を精査しないと、雑魚は捕まえたが大魚を逃すことになり、守旧体勢には、「蜂の一刺し」程度で終息し、社会の構造変革への契機にならない懸念があります。」”
とし、西松献金事件は、リークで、検察特捜部は、海外事業で捻出した裏金を外為法違反容疑での捜査で、裏金が西松建設の政治団体を経由して政治献金に使途されている事実をつかみ、小沢一郎氏ほか与野党の議員の捜査情報を、時の麻生政府側が小沢一郎氏へダメージにならないかと特捜部に示唆し、特捜部は、テレビカメラが待ち構えている中で、仰々しい検察による小沢一郎氏の事務所捜査がTV報道され、メディアは小沢一郎氏を金権政治家と喧伝し、ダメージを与え、小沢一郎氏を代表辞任に追い込んだと書きました。
検察側の読み違いは、小沢一郎氏が検察と全面戦争で挑んできた読み間違いと、もう一つは、西松献金事件で、逮捕・起訴した大久保秘書の公判の雲行きが怪しくなり、陸山会を事件化せざるを得ず、陸山会事件で小沢一郎氏の抹殺に検察審査会を悪用したと邪推しました。
西松献金事件を、「週刊ポスト」では、疑惑(1)~(8)で疑惑を列挙し、疑惑(8)で、”『「西松事件」はすでに終わっている』”と総括していますが、司法的に終了しているだけで、検察の違法捜査の疑惑は終わっていないですね。
オリンパスが巨額の損失を「飛ばし」事件をスクープした「FACTA」の有料記事について、本ブログ「小沢裁判:弁護団は、西松献金事件からの検察の違法的捜査を問うべし」で、
”「月刊誌「FACTA」発行人の阿部重夫氏のブログ『「西松事件」も検察の虚構だった 「会社を潰すぞ」「部下を逮捕するぞ」という脅しに屈した國澤元社長。彼を主犯とする特捜部のシナリオは間違っていた。』(2012年3月号 [真相明かす新証言])に接したからです。」”を紹介しました。
有料記事ですが、見出しで、西松献金事件も特捜部の違法な捜査が推察できます。
西松献金事件では、死人も出ており、TVカメラの待ち構えている中での小沢一郎氏の事務所の強制捜査は、何ら疑惑は明らかになっていませんね。
「週刊ポスト」は、疑惑(28)で、”『石川氏の女性秘書を監禁、恫喝』”で、
”「秘書裁判には、石川被告の女性秘書が証人として出廷した。そこで特捜検事の違法な取り調べの実態が語られた。
押収した証拠品の返却を口実に女性秘書を検察庁に呼び出すと、「あなたを被疑者として取り調べる」と検事が突然宣告した。女性秘書を取調室に閉じ込めた後、「逮捕することもできる」「自分から罪を認めて話せ」と迫り、事情が飲み込めない女性秘書はパニックに陥った。保育園に預けた子供を「迎えに行かせてほしい」と何度も懇願したが、「人生そんなに甘くない」と、検事は鼻で笑うのみ。追い詰められた女性秘書が過呼吸を起こし、ようやく開放されたのは10時間後のことだった。違法な捜査であることはいうまでもない」”
と書いております。
本ブログ「小沢裁判:石川議員の女性秘書への不当取り調べをも問うべき!」で、
”「ブログ「カナダde日本語」様のエントリー『石川知裕氏の女性秘書が民野検事から受けた不当な取調べの実態を語る』で、石川知裕衆議院議員の女性秘書が特捜部からの不当な取調べを語ったと紹介しています。
この女性秘書への検察の不当な取調べは、過去にも問題になり、「週刊朝日」が取り上げていました。
本ブログ「検察の閉鎖性独善は糾弾されるべきですね。」で、上杉隆氏と週刊朝日取材班の記事「子育て女性をも脅かす検察の卑劣」を紹介し、「「週刊朝日」の「石川議員への違法監禁」は進行形?・・・特捜の権威?」で、「週刊朝日」の上杉隆氏の記事「石川議員事務所への違法捜査・女性秘書の監禁聴取」について、検察が「抗議書」で抗議し、その「抗議」に、上杉隆氏が再度、検察へ抗議している事案を紹介しました。」”
と書きました。
小沢一郎氏に関する事件は、疑惑・疑念だけでなく、違法・不当な取調も裁かれるべきです。
「週刊ポスト」の記事を総括すれば、無実の小沢一郎氏を、時の権力が小沢一郎氏抹殺を思慮し、呼応した国家権力の組織が違法・不当に捜査・起訴し、検察審査会を司る最高裁事務総局が協働し、メディアも協働した、政治、検察、司法、メディアの国家的な犯罪が裁かれることです。
国家的な犯罪に、無罪の判決を半信半疑になる雰囲気は、異常な惰性社会としか思えないですね。
やはり、日本社会は、「破壊と創造」を避けて通れないのです。