傍観者の独り言

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朝日新聞の22日の小沢一郎氏関連の記事・・・過去を不問の論調

2011-01-22 12:20:30 | 検察・メディア

1月22日の朝日新聞は、小沢一郎氏関連の記事が「天声人語」、「社説」、「小沢氏証人喚問」、「耕論:日本史に見る小沢流」と満載であるが、「小沢悪し」の偏向報道記事ですね。

まずは、「天声人語」では、
”「その松山さん(松山幸雄:知米家で知られる先輩記者)が、「米国の知日派の会合で『小沢一郎氏の力の源は何か』と聞かれるのが一番困る」と言っていた。思想的な牽引(けんいん)力があるわけではない。演説は下手。時々雲隠れし、たまに会見してもレベルの高からぬ話――。それでいて政治のリーダーなのが、彼らには何とも不思議らしい
▼たしかに、納得させる答えは難しそうだ。日本人にとっても、小沢氏の輪郭はなぞりにくい。今回も、衆院政治倫理審査会に出ると思ったら、あれこれ駄々をこねている。民主党内はきしみ、またぞろのうんざり感が募る
▼よく「司法の場にゆだねる」と言うが、一国の政治リーダーの場合、そう単純ではあるまい。権力をゆだねた国民に、潔白を進んで明らかにする道義的責任を常に負う。それを知らぬ氏でもなかろうに、と思う
▼のどに刺さったトゲというより、国政の十字路に転がり落ちて動かぬ巨岩だろう。「与党街道」も「野党通り」も渋滞し、クラクションの音ばかり大きい。岩に足が生えぬなら、動かすしかない
」”
と、小沢一郎氏の政治力の不可思議さを挙げ、国政の障害物の「巨石」とし、除去するしかないと。

社説「小沢氏の姿勢―国会を台なしにするのか」では、小沢氏は国会招致に対しては言行不一致と指摘し、政治倫理綱領を作ったのは小沢氏として、
”「小沢氏がかたくなな姿勢を崩さず、政治家としての説明責任を果たさないのなら、小沢氏が唱道してきた政治改革は果たして真摯なものだったのか、原点から疑われることになろう。
この事態を受けて、民主党執行部は証人喚問や、離党勧告の検討に入る。小沢氏が政倫審出席を拒否する以上、当然の対応である。
これを見過ごし、何もせずに放置すれば、週明けに召集される通常国会はまたしても「政治とカネ」をめぐる不毛な対立に終始するだろう
。」”
と、民主党執行部は証人喚問や、離党勧告の検討は当然という主張で、執行部が放置すれば、「政治とカネ」の不毛な対立に終始するという内容ですね。

政治面では、大見出し記事『小沢氏証人喚問 本気度は・・・?』では、前書きに、
”「24日に開会する通常国会は民主党の小沢一郎氏元代表の証人喚問と議員辞職勧告決議案の行方が焦点だ。民主党執行部は野党の要求を利用して「脱小沢」を進める「外圧頼み」。一方で自民、公明両党は、問題を長期化させて政権に打撃を与え続けるもくろみで、政治とカネの問題がしっきり決着する気配がない。」”
と書き、見出し記事『岡田氏 今こそ原理貫け』では、
”「岡田氏は、小沢氏の強制起訴に合わせて離党勧告も念頭に置くが、1政党の処分と国会で党の意思を示すことは根本的に違う。「自ら進んで説明すべきだ」という党役員会の決定に従わない小沢氏の責任は重いが、党の指導者には、そうした不条理にどう向き合うのかが問われる」”
とし、岡田幹事長には、「合理」より「原理」だと叱咤激励してます。

また、ネットでは、『土肥・政倫審会長、奮闘の末に外されたはしご』で、政倫審会長の土肥隆一衆院議員が、小沢一郎氏に「執行部がコケにされて黙っているのか。絶対に議決だ」と安住淳国対委員長に、出席に強制力を持たせるための法改正を求め、”「民主党の意思を明確にし、小沢さんが出てこなくても政倫審を開くべきだった。執行部の腰が引けていると思われても仕方ない」と語った」”と紹介しています。

朝日新聞の特集コーナー「耕論」欄では、『日本史に見る小沢流』では、松本健一氏(評論家・慶応大教授)の小沢一郎氏をは「ビジョン見えぬ権力闘争」とする批判的意見と保坂正康氏(ノンフィクション作家)の小沢一郎氏は「田中政治」を脱し、昭和を貫いてきた民主主義とは何か自問し、その世代を代表とする政治家として歴史に刻印を押してもらいたいと好意的な意見を語っています。

松本健一氏は、小沢一郎氏の歴史的な役割が残されているとすれば、西郷隆盛になることで、西郷隆盛は中央集集権国家形成されてゆく過程で、取り残された人たちの側に立ち、政府の矛盾や腐敗を正そうと西南戦争を起こしたとし、政治から取り残されて苦しんでいる人の声を代弁し、国家の社会保障政策に生かしてゆくことが、小沢一郎氏にやるべき最後の仕事と結んでいます。

一方、保坂正康氏は、小沢一郎氏も菅直人氏も、悪しき昭和の政治家のタイプで、小沢政治にくわえ菅政治も清算しないと、平成の政治家への道は開けないと。
平成の政治家は昭和の色合い、汚れから脱皮した政治家であり、前原外相、岡田幹事長らは、どこか無機質で無色、透明な印象がするとし、小沢政治をただ批判するだけだと無機質で無色、透明な政治家ばかりになりかねず、危ういと。
今回の強制起訴は、小沢一郎氏の最後のチャンスとし、倫理面で反省すべきは率直にわび、無罪になれば、これまで明確でなかった自らの政治理念をきちんと語り、最後の一勝負を。
そして、そんな小沢氏を乗り越える政治家が出てはじめて、政治家の劣化は止まり、平成の政治家の時代がくると。

朝日新聞の報道記事を一読し、小沢一郎氏の言動が国政の障害という論調には違和感をもちますね。

小沢一郎氏が自ら政倫審出席を拒否することが記事の基点になっていますが、小沢一郎氏の拒否する経緯・背景に何も論じられていない点です。
メディアが言う小沢一郎氏の「政治とカネ」問題は、西松建設献金疑惑による報道カメラの待ち構える中での異例の強制捜査され、秘書の逮捕・起訴が起点で、小沢一郎氏への「説明責任」の世論で、小沢一郎氏は代表辞任したが手腕を発揮し、政権交代の実現させる。
不透明な市民団体が陸山会の土地取引を告発し、検察は秘書を逮捕・起訴したが、小沢一郎氏の不起訴処分を不透明な市民団体が小沢一郎氏を検察審査会に申立し、検察は再度の小沢一郎氏を不起訴処分を不透明な検察審査会は二度「起訴相当」の議決し、強制起訴に至る。
この間に、西松献金事件は訴因変更で事件は消滅し、西松献金疑惑の強制捜査・起訴で、メディアが喧伝した小沢一郎氏への「説明責任を果たせ」は何だったかとメディアに問いたいですね。

そして、不透明な検察審査会については問題になりながら、メディアは傍観し、内容の大小を不問にし強制起訴を絶対視し、小沢一郎氏は「国会招致」に応じるべきという世論を形成し、その世論を楯に、菅首相は「不条理を正す政治」を目指すと表明し、原理主義の岡田幹事長は「代表・役員会の決定」を「錦の御旗」という思考停止であり、野党は思考停止の岡田幹事長に打開策を要求し続け、不毛な政局はメディアに一因があります。

当方は、疑惑の検察審査会の強制起訴の議決を最高裁が司法の世界で決着という結論がでた以上は、国会招致は無意味で、裁判での白黒の決着を見守る考えであり、小沢一郎氏の合理的な理由なく政倫審を拒否は妥当性があり、国会の決議があれば出席するという姿勢は妥当であり、それでも菅首相は国会招致させたいのであれば、菅執行部は議決すべきで、議決できないことは小沢一郎氏の問題でなく、菅執行部の問題ですね。

朝日新聞の記事・社説は、民主党執行部が議決できないのは小沢一郎氏の問題という論調は、現時点の表層の出来事が基調で、無意味な政倫審招致が実現できなかったのは、合理的理由もなく議決する覚悟が執行部になかっただけで、朝日新聞の「小沢一郎氏の悪人」の論調は偏向ですね。
朝日新聞は、西松献金事件で、盲目的に、小沢一郎氏は道義的に説明責任があるとし、「説明責任を果たせ」と喧伝してき、西松献金事件を総括する道義的な責任がありますね。

「耕論」の松本健一氏の意見については、そういう見方もあるかなーという程度で、保坂正康氏の前原外相、岡田幹事長らは、どこか無機質で無色、透明な印象がするという部分には納得する部分ですね。



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