傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

延命医療(胃ろう)の中止も選択肢・・・「ピンピンコロリ」が現実解

2012-05-22 07:00:54 | 社会保障

17日、NHKの「クローズアップ現代」の『人生の最期 どう迎える? ~岐路に立つ延命医療~』で、延命治療「胃ろう」を継続か中止かで葛藤する家族について報道。
当方は、両親が入院時に、病院側から最悪の事態に陥った際に、延命治療をするかどうか問われ、90歳まで生きた人間にとっては、人間の寿命であり、天命であり、延命治療を施す事は無用と返答しました。

NHKの番組『人生の最期 どう迎える? ~岐路に立つ延命医療~』の番組紹介を転載すると、

”「今年3月、日本老年医学会は「患者本人のためにならない場合には治療の差し控えや撤退も選択肢」とするガイドラインを発表した。
特に議論となっているのは食べられなくなった患者のお腹に穴を開け、胃に直接栄養を流し込む「胃ろう」。
寝たきりで意思表示もできないまま何年も生きる患者を前に、「本人は生きることを本当に望んでいるのか?」と悩み、胃ろうの中止を希望する家族が出てきている。患者本人の意思を確認できない中で、医師や看護師は患者の人生や家族の願いにどう寄り添えばいいのか。模索する現場を取材し、変容する終末期医療の現状と課題を探る
。」”

で、「胃ろう」の問題を取り上げていました。
番組で紹介された家族の声らについては、全文テキスト化されています。

当方は、7年前に、自宅看護中の90歳父親が検査入院した際に、病院側から膵臓ガンの疑いがあり手術することで延命できると問われ、90歳まで生き、寿命であり、天命であり、手術らの延命治療は無用であり、本人の痛みなど解消を施す治療はお願いしたいと申し入れし、入院後1ヶ月で死去しました。

今年4月末、ディサービスを利用しながら在宅介護の認知症の91歳の母親が特養入所し、入所翌日に、体温が38.9度で、食欲も無く、特養の提携の老齢者専用病院に入院する事態が発生し、病院から呼び出しがあり、主治医から診察・治療の説明と最悪の事態の場合に、「胃ろう」などの延命治療を施すか問われ、平均寿命より生き、自らの食欲で食べれなくなったり、治癒力が無くなったら、人間の寿命であり、自然死を望むとし、延命治療は無用と回答しました。
母親は、お蔭様で、点滴と抗生物質の投与で翌日には体温が下がり、食欲も出、5月1日に退院し、特養に再入所いたしました。

NHK番組で取り上げた寝たきり「胃ろう」の患者の家族が看護で心身とも疲弊し、「胃ろう」を中止することは、”「私が決めて、結局主人の命が決まるわけですから…いいのかな」”と苦悩する姿を紹介していましたが、当方の場合には、両親とも90歳で平均寿命を超えており、本人も「もう、明日にも死んで良い」と言っており、無理強いして生かすことに抵抗感があり、意識のあるうちに親孝行をしたい気持ちがありました。

父親の場合には、意識はしっかりしており、死去する2年前から主治医に往診をお願いした自宅看護してきましたが、食が細くなり、呼吸が荒くなり、黄だん症状が出、主治医の意見で、検査入院と称して病院に入院させましたが、本人は自宅で最後を迎えたく、帰宅すると病院側の迷惑をかけましたが、2週間経過後は、意識が混濁するようになり、流動食も受け付けず、時間の問題になりました。
(長患いせず、親への経済負担もなく、子供孝行の父親でした。)

母親の場合には、数年前から痴呆が見られ、4年前に、徘徊で転倒事故をおこし、事故後は、24時間在宅介護をしてきましたが、ケアマネジャーから、在宅介護は家族の犠牲が大きく、特養に入所すれば静かに余生を送れるという助言もあり、介護の問題に看護の問題も解消出来るという思いで、特養の入所手続きをし、4月末に、特養に入所しましたが、母親は自宅帰宅願望が強く、毎日、面会に行っています。
母親が特養入所し発熱した際、当方は、母親が入院した老齢者専用病院にも、連日、面会に行きましたが、番組で紹介されたような「胃ろう」の寝たきりの患者もおり、認知症状の高齢者の患者もあり、母親を老齢者専用病院に入院は考え物と痛感し、家族の責任で退院を促したことは事実です。

今国会で、「社会保障と税の一体改革」で、社会保障の「年金・介護・医療」がテーマとなり、施設介護から在宅介護へ、施設医療から在宅看護・医療が取り上げられ、社会保障の安定財源に消費税増税を論争していますが、現実は、在宅介護、在宅医療への移行は社会保障分野の表面的な費用軽減は実現されるが、核家族の少子高齢社会に、家族の犠牲が増加するのは事実であり、結局は、家族負担による施設介護、医療になるのではないかと性急な「社会保障と税の一体改革」の消費税増税は疑問ですね。

人間の尊厳云々は否定しないが、核家族の時代に、その余裕がないのが現実ではないかという思いで、「ピンピンコロリ」が現実解と思うこの頃ですね。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。