ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

一人称単数

2020-08-15 22:23:58 | 本のレビュー

 

村上春樹の新刊「一人称単数」を読む。面白かった。 上の写真は、本の表紙がパソコンにうまくスキャンできなかったので、部屋の棚に置いてみたところ。

ただ読んでいて思ったのだが、さしものハルキも、老成したなあという感じがする。まあ、実年齢も七十才を越えているのだから、当然だけれど。

相変わらず文章が巧みで、現在の本邦には、これほどの書き手はいないだろう、と思わせられる超一流の筆力。(あのトルーマン・カポーティーの音楽的美しさに満ちた文章に、匹敵すると思う)

個人的に一番面白かったのは、やはり掉尾を飾る短編「一人称単数」。他の短編が、ややもすると冗長なエピソードが紛れ込み、クラシック音楽に対する蘊蓄が、少しくどい印象を与えるのに対して、これは簡潔で、しかもナイフの刃が迫るような、迫真力に満ちている。より短い言葉でいうなら、白眉である。

ここに登場するのは、裕福な(多分、功なり名なりとげた)老作家である。村上春樹自身をも、想起させるのだが……。

彼は普段はラフな服装をする人物なのだが、年に2~3回は、ちゃんとしたネクタイやスーツが着たくなって、そのきちんとした格好で外出する。そんな彼が、ふと立ち寄ったスノッブなバーで、ウォッカ・ギムレットを飲むのだが、そこで奇妙な出来事がおこるのだ。中年のなかなか魅力的な女性が、近くのカウンター席に座っていて、突然、挑発するように、明確な悪意を持って話しかけてくる。

彼女の話によると、作家の親しくしていた女性は、今では彼の事を大嫌いだと言っており、彼は三年前、水のほとりで、彼女におぞましいことをしたはずだというのだ。身に覚えのない糾弾――しかし、そこで感じる居心地の悪さは、彼が家を出る時、鏡に映してみた自分のスーツ姿に対するやましさに通じるものなのだ。何か恥につながる、後ろめたさを感じずにはいられない……思いあまった「私」は、バーの外に出るのだが、そこには異様な夢のような情景が広がっている。

宵の散歩に出る時見た明るい満月はなく、「……空の月も消えていた。そこはもう私の見知っているいつもの通りではなかった。街路樹にも見覚えはなかった。そしてすべての街路樹の幹には、ぬめぬめとした太い蛇たちが、生きた装飾となってしっかり巻きつき、蠢いていた。彼らの鱗が擦れる音がかさかさと聞こえた。歩道には真っ白な灰がくるぶしの高さまで積もっており、そこを歩いてゆく男女は誰一人顔を持たず、喉の奥からそのまま硫黄のような黄色い息を吐いていた。空気は凍りつくように冷え込んでおり、私はスーツの上着の襟を立てた」

のエンディングで終わっている。ここに、村上春樹自身の老境というか、一種の寂寥感を感じ取ったのは、わたしだけなのだろうか?


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