ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

奥の部屋

2015-07-17 09:47:33 | 本のレビュー
 ひそかなる愛読書である怪奇小説集。
「奥の部屋」 ロバート・エイクマン著。国書刊行会。

この表紙がまず不気味である。窓のようにくりぬかれた黒い函の中に、焦点のあわない目でどこかを見ている女の絵が見える。
この凝った装丁にたがわず、内容も傑作ぞろい!

巻頭の「学友」は、頭脳明晰でありながら、浮世離れした友人のサリー(数学に才能を発揮するかたわら、小アジアで考古学関係の研究にも従事しているらしい)が、中年となったわたしの前に再び姿を現すところから、物語がはじまる。
かつての、身ぎれいな姿とはうってかわって、汚れた服を着たサリーは、父親が住んでいた家に舞い戻ってきたのだが、どうも様子がおかしい。

家の中は乱雑で、父親が寝起きしていた寝室には、何かこの世ならぬものがいるらしい。エイクマンの雰囲気づくりの腕は見事で、サリーという女性の不気味さと、とりとめのないムードを描ききっている。わたしが訪れた時に出したお茶セットが、そのままずっと放りだされていたり、ぴったり封じ込まれた謎の部屋があったり…サリーが交通事故にあい、わたしはやむなく彼女の家の捜索にとりかかるのだが、描かれた家のありさまが、なんとも不気味で、怪奇小説っぽさムンムン。
そして、サリーはそのまま姿を消してしまい、忘れた頃また「わたし」の前にやったくる。若い頃の少女っぽさを取り戻したかのような姿で。そして、言う「ねえ、キクラデス諸島へ行きましょうよ。わたし、家を売って別荘を買ったの。あなたも一緒に暮らしましょう」――まるで、あの世に行きましょうと誘われたかのような戦慄を伴って、小説は終わる。

そして、表題作の「奥の部屋」。主人公が少女の頃、古ぼけた店で買ってもらった人形の家。幾つもの人形がつめこまれたドールハウスは、大きくて立派だが、まるで刑務所を思わせる沈鬱な屋敷。おまけに、通常のものと違って、家を開くことができない。ドールハウスで暮らす人形たちは、すべて女性だが、来ているドレスは暗欝な色の、気味の悪いものばかり。奥の書斎では、一体の人形が机に向かって、何かを書いているが、その頭からは蛇のように髪がもつれだし、まるで狂女のようである。ずっと、後ろ姿を見せているばかりで、こちらからは顔を見ることができないのも不気味。

しばらくするうちに、主人公の「わたし」は、夜中、家の廊下を歩きまわる足音を聞くようになる。そして、ある夜、ふと見たのは、ドールハウスの婦人がドレスをひきずって歩く姿だった…。間もなく、人形の家は売り払われ、わたしも大人になり、長い月日がたつ。そうして、ある時、わたしは夕暮れの森の中で道に迷ってしまう。黒い森の中に、ともる黄色い灯り。それをめざして進むわたしの前に姿をあらわしたのは、あの「人形の家」そっくりの館だった。そして、家の扉が開いて、出てきたのは――?

全篇に、私好みの気味悪さが充満していて、「ああ、これだから、怪奇小説って好き」と思ってしまうほど。でも、一般には、そうでないのか、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ブームになった以外、手だれの小説家が、遊び(?)で書く外、怪奇小説というものは、すごーくマイナーなものみたい。事実、このロバート・エイクマンも、珍しい怪奇小説家なのだが、1981年没と比較的新しい時代の人物にもかかわらず、訳者いうところの「今日、ほとんど地球的規模で知られざる作家」になってしまっているという。

版元の国書刊行会とは、こんな風変わりな本を多く出版しているところ。若い頃、はまっていたこともあったっけ。


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