古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

埼玉県行田市・稲荷山古墳

2006-12-16 14:34:37 | Weblog
埼玉古墳群内にある全長120mの前方後円墳です。後円部径62m・高さ11.7m、前方部幅74m・高さ10.7m(推定)あります。古墳群内2番目の大きさです。
昭和12年に前方部が削られ、現在は後円部だけが残っていますが、今は前方部も復元整備されています。田山古墳とか曽根塚古墳と呼ばれることもあります。
墳丘の周りには二重の周濠があります。昭和48年・49年の調査で、くびれ部西側と中堤西側に造りだしが確認されました。そこから大量の人物埴輪、円筒埴輪が出土し、それらの特徴からこの古墳が5世紀末から6世紀はじめの築造と考えられています。墳丘には葺石は施されていなかったようです。
昭和43年度の調査で2基の埋葬施設(舟形木棺)が発見されました。
礫槨から金錯銘鉄剣をはじめとする多くの遺物が出土しました。第1主体からは、画文帯環状乳神獣鏡・硬玉勾玉・帯金具・115文字が記された辛亥年号入り金錯銘鉄剣・直刀・鉄鏃・ヤリガンナ・斧・砥石・鞍・辻金具など多数が、第2主体からは鉄刀片・鉄鏃・鎌・辻金具などが出土し、これらは昭和58年一括して国宝に指定され、公園内にある「さきたま資料館」に展示してあります。
金錯銘鉄剣に記された115文字は、昭和53年に保存処理を行った際発見され、「獲加多支鹵(わかたける)大王―雄略天皇に仕えた役人が辛亥の年(471)7月に、功績を剣に刻んで記念にする。」というような意味が記されているそうです。
わが国の古代国家の成立を解く上で、大変貴重な資料といえます。
古墳はどの位置からでも観察できます。特にすぐ側にある日本一の円墳・丸墓山古墳の上からが(この写真もそうです。)いちばん見栄えがするようです。
ちなみにこの古墳の名前の由来は、史跡に指定されたとき後円部に稲荷神社が建っていたからだとか・・・

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