岡山県岡山市北区尾上花尻、吉備津彦尊の陵墓「中山茶臼山古墳」のある吉備中山丘陵の南東部、標高約50mの尾根先端にあります。
神道山に上がる道の途中です。
「ギリギリ山古墳」と呼ばれることもあります。
(後円部墳頂)
全長135m、 後円部径80m・高さ7m、 前方部先端幅50m・高さ5m 三段構築の前方後円墳です。
全国でも101番目の大きさです。
低くて細長い前方部を東に向けています。
その前方部前に広がる平地(市街地)は、古墳築造当時は海で山すそまで迫っていたそうです。
墳丘は後世の畑地の開墾で大きく削平を受けています。
造り出しはありません。
墳丘には葺石が施されていました。
円筒埴輪や形象埴輪・壺形埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1988年に発掘調査が行われています。
後円部頂にある埋葬施設は竪穴式石室です。
古墳時代前期・4世紀中頃の築造と推定されています。
昭和47年7月29日、国の史跡に指定されています。
神道山に上がる道の途中です。
「ギリギリ山古墳」と呼ばれることもあります。
(後円部墳頂)
全長135m、 後円部径80m・高さ7m、 前方部先端幅50m・高さ5m 三段構築の前方後円墳です。
全国でも101番目の大きさです。
低くて細長い前方部を東に向けています。
その前方部前に広がる平地(市街地)は、古墳築造当時は海で山すそまで迫っていたそうです。
墳丘は後世の畑地の開墾で大きく削平を受けています。
造り出しはありません。
墳丘には葺石が施されていました。
円筒埴輪や形象埴輪・壺形埴輪 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1988年に発掘調査が行われています。
後円部頂にある埋葬施設は竪穴式石室です。
古墳時代前期・4世紀中頃の築造と推定されています。
昭和47年7月29日、国の史跡に指定されています。
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