群馬県伊勢崎市安堀町799、荒砥川左岸の台地上にあります。
伊勢崎市の北西部、JR両毛線脇です。
「三郷村100号墳」と呼ばれることもあります。
全長125m、 後円部径77.2m・高さ9.5m、 前方部先端幅83.2m・高さ5.5m 三段構築の前方後円墳です。
(後円部)
前方部を西南西方向にに向けています。
(奥が前方部)
(手前が前方部の先端部)
その前方部は、明治21年の両毛線の開通に伴う工事で一部削平されています。
後円部墳頂には「富士神社」が鎮座しています。
墳丘の周りには盾形をした周濠が廻っています。
墳丘には川原石による葺石が施されています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1988年に範囲確認調査が、1989年には発掘調査が行われています。
後円部にある埋葬施設には長持型石棺が埋葬されていました。
砂岩製の石棺は全長2.85m・幅1.21m・重さ6.8トンあり、底石1枚・側石2枚・小口石2枚からなる箱型部と、かまぼこ型の蓋石の合計6枚で形成されています。
縄かけ突起を持っています。
5世紀ころの畿内王墓特有の形状をしていて、関東では同じ群馬県内太田市にある太田天神山古墳出土の石棺と二つのみです。
石棺は富士神社の右脇にある、ガラス張りの保管施設に展示してあります。
(石棺材の一部?)
平成13年3月23日、群馬県の重要文化財に指定されています。
変形珠文鏡や石製模造品である管玉・臼玉・斧・刀子などが出土しています。
古墳時代中期・5世紀中頃の築造と推定されています。
昭和41年4月12日、伊勢崎市の史跡に指定されています。
伊勢崎市の北西部、JR両毛線脇です。
「三郷村100号墳」と呼ばれることもあります。
全長125m、 後円部径77.2m・高さ9.5m、 前方部先端幅83.2m・高さ5.5m 三段構築の前方後円墳です。
(後円部)
前方部を西南西方向にに向けています。
(奥が前方部)
(手前が前方部の先端部)
その前方部は、明治21年の両毛線の開通に伴う工事で一部削平されています。
後円部墳頂には「富士神社」が鎮座しています。
墳丘の周りには盾形をした周濠が廻っています。
墳丘には川原石による葺石が施されています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1988年に範囲確認調査が、1989年には発掘調査が行われています。
後円部にある埋葬施設には長持型石棺が埋葬されていました。
砂岩製の石棺は全長2.85m・幅1.21m・重さ6.8トンあり、底石1枚・側石2枚・小口石2枚からなる箱型部と、かまぼこ型の蓋石の合計6枚で形成されています。
縄かけ突起を持っています。
5世紀ころの畿内王墓特有の形状をしていて、関東では同じ群馬県内太田市にある太田天神山古墳出土の石棺と二つのみです。
石棺は富士神社の右脇にある、ガラス張りの保管施設に展示してあります。
(石棺材の一部?)
平成13年3月23日、群馬県の重要文化財に指定されています。
変形珠文鏡や石製模造品である管玉・臼玉・斧・刀子などが出土しています。
古墳時代中期・5世紀中頃の築造と推定されています。
昭和41年4月12日、伊勢崎市の史跡に指定されています。
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