名古屋からバスで出かけ、10回のコースに分けて木曽路を南から北へウオーキングしています。
今回は第6回で、参加者は28名でした。
今回は寝覚の床駐車場から坂道を登り、中山道に出てそこから前回の続きを歩きます。
「木曽の桟(カケハシ) 大田の渡し 碓井峠が無くばよい」と歌われた中山道の難所の一つ。今回はその木曽の桟の場所を歩きました。
木曽の桟の知識が乏しく、木曽川に架橋している橋くらいに思っていましたが、実際にその場所に来て桟がどのような物か知ることが出来ました。
桟は山肌に藤つるやツタを使って、材木を吊るした空中歩道のような通路です。時には、旅人の松明で消失してしまったことがありました。
昔の旅で、険しい道を通ることは、並大抵の事ではなかったと推測できます。
中山道には、この難所を避けるため与川の道があります。言うならばバイパスのようなものですが、こちらは険しい山を越えなければなりませんでした。
寝覚の床駐車場(11:08) ― 上松材木役所跡(11:30) ― JR上松駅(11:50~11:53) ―
鬼淵鉄橋(12:17) 一 木曽の桟文学碑(12:56~13:01) ― 道の駅木曽福島(13:25~14:05)
― 御岳遥拝所(14:25) ― JR木曽福島駅(15:20~15:27) ― 行人橋(15:49~15:53)
― 教育会館 ― 山村代官屋敷(16:09)
今回、歩いたコース地図その1.
その2.
寝覚の床の駐車場で、ウオーキングの開始に先立ち、ストレッチ体操。
ウオーキングリーダーは陽の当たる所ですが、皆は日陰でした。
ここから、前回の続きが始まります。
角の「たせや」と言う宿。
民宿を営んでいましたが、廃業したそうです。
上松小学校の脇にある尾張藩 上松材木役所の石柱と説明板。
リーダーが説明します。
上松小学校の一角に諏訪神社が有り、寄りました。
小学生たちがプールから上がって来ました。
オバさんたちが「何年生」と聞くと「2年生」と返事が有りました。
10名余りの人数。これで1学年なのでしょう。
私たちの所では、まだ夏休み中なのですが、こちらでは、もう2学期が始まっています。
その事が不思議に感じられました。
上松小学校の校庭には藤村や茂吉の文学碑が有りました。
本町の一里塚跡。
一里塚は残っていませんとの事です。
上松宿の街中を歩きます。
防衛上から真っ直ぐな道でなく、折れた形になっています。
旧街道らしい雰囲気が有ります。
鬼淵鉄橋の説明板。
橋について説明するリーダーと鬼淵鉄橋。
日本最古の鉄橋で、橋自体は赤いのですが、赤い錆が目だちます。
森林鉄道の橋として使われてきた物であり、塗装の修復をして欲しいです。
かけはしトンネルが工事中でした。
国道19号線が桟を通過するの場所です。リーダーの説明では大きな岩が落ちてきて道路を塞いでしまい、暫く通行が出来なかったそうです。橋を架け、トンネルをブチ抜き、バイパスを完成させます。
まだ、1年ほどかかるようですが、新しい道路が完成すると、19号線の難所が1つ解消されます。
コスモスと言うよりも、秋桜。
道行く人の目を楽しませてくれています。
まだまだ、暑い日差しの中で、頑張って咲いていました。
マンホールの蓋とコミュニティバスのバス停。
上松町のイメージが「ひのき」に結びつきます。
桟の手前の場所に設けてあった文学碑と説明板。
リーダーの説明が有りました。
桟の横のアーチ橋。
あの場所へ降りて行きます。
石壁にはめ込まれた桟の説明。
中央線の横の細い道を歩きます。
道の脇には手作りの「中山道」の標識が、
道の駅 木曽福島に着きました。
ここからは御嶽山が望めます。
木曽路で御嶽が見えるのは、この場所だけでしょう。
遅い時間になりましたが、お弁当です。
道の駅。木曽福島の店内では野菜や果物が売られていました。
1袋に4個のリンゴが入って300円。
家に帰ってから食してみましたが、歯触りの感触が良く、甘くて美味しかったです。
結果的には安い買い物だったと思いました。
道の脇に咲いていたツリガネニンジン。
先程、寄った道の駅が見える道を歩きます。
ここからの眺望が良く、御嶽山が正面に見えました。
中央線の廃線トンネルの手前で休憩。
若い添乗員が追い付くのを待ちます。
暗いトンネルの内部。
下部分が石積みで、上部がレンガ積みになっています。
木曽福島の町が見えてきました。
ダムの写真を撮影してみましたが、電柱が邪魔だと思いました。
木曽福島の駅に到着です。
ここでトイレ休憩を取りました。
駅の横にはD51が保存されていましたが、風雨に晒され炭水車の塗装が痛んでいます。
上屋のある場所では有りますが、保存管理に手を掛けて欲しい物です。
福島の街中で。
井戸水を汲み上げ水舟に流れていました。
皆がここでお水をいただきましたが、中からオカミさんが出てきて、皆にフルーツトマトを食べなさいと、出してくれました。
甘くて、美味しかったです。ここで、ペットボトルに水を頂きました。
自宅に帰ってコーヒーを淹れましたが、美味でした。
古い街道の雰囲気がある店。
ここの脇には川から引いた水が豊富に流れていました。
崖の家屋が望める行人橋へ来ました。
橋からの眺め。
木曽川が、とても細くなりました。
木曽教育会館の横に藤村の原稿をブロンズにした碑が有りました。
会館へ寄り、説明を聞きましたが、この建物は昭和12年に建てられた物だそうです。
その資金は教員が給料から少しづつの金を出し合って建てたそうで、長野県は教育県だと思います。
夜明け前の原稿をブロンズにした石碑。
本日のゴール。
山村代官屋敷に着きました。
学校が終わり、親の迎えを待つ子供たちと代官屋敷の説明盤。
本日のウオーキングの歩数。
沢山歩きました。
ゴールした後に「せせらぎの四季」に寄りました。
この日帰り温泉は、まだ、出来てから新しく色々のタレントが訪れていました。
風呂上りのビール。
ウオーキングで回を重ね、名は判らなくても皆、顔見知りになりました。
風呂から出て、テーブルを囲み話が弾みました。
木曽は木の街
上松材木役所跡の跡地は上松小学校の校庭になっていましたが、かつては、ここへ木曽一帯から木材が集められました。
上松の街を歩いていて森林鉄道の機関車が絵柄になったマンホール蓋が目に留まりました。
上松町コミニティバスの名はひのき号でした。
森林鉄道のイメージがマンホール蓋に取り入れられ、町内を走るバスはひのき号。
町全体が「木」に関わっている。そんなイメージがしました。
木曽は文学の里
歩いていて、色々の場所で文学碑を見かけました。
上松小学校の校庭では藤村、茂吉の碑。桟の横では子規や芭蕉が詠んだ句が歌碑になっていました。教育会館横では、藤村の夜明け前の原稿がブロンズに鋳造し、石碑となっていました。
各所に文学碑が点在し木曽谷全体が文学の里といった感じがしました。
最後に
「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかぬる;」古今和歌集 藤原敏行朝臣・・・・
リーダーから渡された資料の冒頭に有った言葉で、含蓄のある言葉でした。
今日、8月23日は二十四節季の「処暑」の日でした。
今回の行程は14.4キロとなっていましたが、途中、お寺に寄ったりして実質的には15キロ余りになったのではと、リーダーが話していました。
炎天下のウオーキングでしたが、皆さん完歩となりました。
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