ウオーク同好会の10月定例ウオークです
今月は中山道の垂井宿。ボランティアガイドの案内で宿場跡を歩くと言うものでした。
宿場町だった垂井町。
垂井宿をボランティアガイドの案内で歩いた後、味噌カツのランチが美味しかったです。
垂井宿のマップです。
垂井駅へ向かう列車の中です。
大人たちの遠足?と言う感じです。
垂井駅で迎えて下さったお二人です。
YさんとMさんです。
ボランティアガイドのハッピです。
垂井町街角案内の会となっています。
最初に案内していただいたのが東の見附です。
この場所。
今は橋が架かっていますが、江戸時代。
人々が往来した時は渡し場となっていました。
川の水の深さで値段が変わったのだそうです。
膝までの深さの時は24文。今の貨幣価値で240円位と言う事でした。
当然、水位が増すと渡し賃が上がります。
今は橋が有り、簡単に渡れます。
昔の旅人は苦労して旅をしたのだと想像します。
細い道。
紙屋小路を歩いています。
紙屋塚へ来ました。
ここに紙工房が有ったと書かれています。
美濃和紙は美濃市にルーツが有ると思っていましたが、こちらが美濃和紙の本家のようです。
細井家の門です。
屋根が付いている門です。
冠木門と言うようです。
旅籠 亀丸屋。
垂井宿の旅籠だった所です。
この建物、中山道に面しているが、この建物でクランク状となっています。
いわゆる桝形です。
垂井宿の中を歩きます。
ミニ看板ギャラリー。
かつて酒屋だった所です。
子どもたちが描いた絵を掲げています。
旅籠に来ました。
この場所。
ボランティアの人たちの活動拠点です。
かつて旅籠であったが酒造所跡となっています。
旅籠 長浜屋の解説です。
江戸時代は旅籠であって明治期に酒造所となりました。
されています。
長濱屋酒店が隆盛を誇った頃の一升徳利です。
埃で汚れたガラス戸の中に収められています。
ガラスの一升瓶が出る前の時代、活躍した一升徳利ですが、埃を被り粗末にされています。
本龍寺の前。
復元高札場が有ります。
本龍寺です。
色々の屋号が出ていました。
ここは油屋です。
京側があぶらやで江戸側が油屋となっています。
西の見附まで歩いて来ました。
高札板を火災から守るのに池に浸したと言う説明が有りました。
水路を水が流れています。
今の時代、水道から簡単に水が流れますが、この用水。
生活用水として使っていたのだそうです。
垂井城跡へ来ました。
城跡と言っても石垣が無い城跡です。
砦的なものだろう。
お昼の時間です。
昼食で「いっしょう」に入ります。
味噌カツ定食です。
全員がこのメニューで注文しました。
ボリュウムの有るトンカツ。
美味しかったです。
最後に
ボランティアに案内されて宿場街歩きでした。
この垂井町が美濃和紙のルーツだとか高札板を火災から守るため池に高札板を浸したとか。
一宮友歩会の例会で垂井町を歩いた事が有ります。
でも、それは自分たちで歩くコースを組み立て歩きました。
「一宮友歩会」のブログ記事一覧-Kオジサンの新・山歩きの記 (goo.ne.jp)
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今回は垂井町のボランティアガイドの案内で町内を歩きました。紙屋小路を歩きましたが、このような道。地元の人だから知っている道でした。
知らないことを教えて貰いました。
発見が面白いです。
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