某ワークショップに参加してきまして、ちょっと留守にしておりました。私は布草履の作り方をマスターしてきました。一足の製作時間は1時間くらいだし、けっこう面白いので材料の用意さえ出来ればどんどん出来ます。
最近はアニメばかり見ています。でも「モンスターハウス」も「時をかける少女」も後回しにして、こだわってしまったショウもないことについて。
「猫三味線」で、「ねんねん猫のケツ」と歌われていた子守唄、紙芝居の即興でというわけでなくて、由緒正しきものだったみたいです。
一回検索しただけでずらりと出てきました各種バージョン!(出典省略です。すいません。グーグル上位からの引用ですので検索してみてくださいませ)
ねんねん猫のケツに蟹が入った~ひっぱって~もひっぱって~も~ で~て~こ~な~い~
ねんねん、猫のケツにガニがはいこんだ。ガニがはいこんだ。どうにかこうにか引っ張り出したが、また、はいこんだ~
ねんねん猫のケツ~ネズミが入った~
ねんねん猫のケツに
蟹が入り込んだよ
蟹だと思ったなら毛虫だったよ
毛虫嫌な虫 こわい虫
やっとこすっとこ、ほじくり出したら又入り込んだよ
私は初めて聞いたのですが、こういう子守唄が連綿と歌い継がれていたのですねえ。
ちゃんと寝ていたのでしょうか。こういうのを聞いて育った皆様は、連想の多少の飛躍にはたじろがなくなるでしょうか。
それで「猫三味線」のお話自体ですが、なんか見た後釈然としないのです。
悪人は滅ぶのですが、悪事をやられた方が見事にやられっぱなしです。関係者は全員死にますが、死後でさえも悪人のほうが得してるなあ…と、憮然としてしまう終わり方でした。
普通こういうのは善人が一人くらいは生き残って菩提を弔う、くらいのことがないと救われない気分です。
ボリュームも大きいし、長い話の中の巻それぞれに見せ場があったりするのはさすが紙芝居、と思いますが、長尺もの全編を通すと救いなさ過ぎ、ピカレスクとしても悪の快感は悪役にシニシズムがないもんで不足してます。文句言ってますが、つまるところ、猫にたたられた猫娘がかわいそう過ぎてたまらない、というだけの感想です。
最近はアニメばかり見ています。でも「モンスターハウス」も「時をかける少女」も後回しにして、こだわってしまったショウもないことについて。
「猫三味線」で、「ねんねん猫のケツ」と歌われていた子守唄、紙芝居の即興でというわけでなくて、由緒正しきものだったみたいです。
一回検索しただけでずらりと出てきました各種バージョン!(出典省略です。すいません。グーグル上位からの引用ですので検索してみてくださいませ)
ねんねん猫のケツに蟹が入った~ひっぱって~もひっぱって~も~ で~て~こ~な~い~
ねんねん、猫のケツにガニがはいこんだ。ガニがはいこんだ。どうにかこうにか引っ張り出したが、また、はいこんだ~
ねんねん猫のケツ~ネズミが入った~
ねんねん猫のケツに
蟹が入り込んだよ
蟹だと思ったなら毛虫だったよ
毛虫嫌な虫 こわい虫
やっとこすっとこ、ほじくり出したら又入り込んだよ
私は初めて聞いたのですが、こういう子守唄が連綿と歌い継がれていたのですねえ。
ちゃんと寝ていたのでしょうか。こういうのを聞いて育った皆様は、連想の多少の飛躍にはたじろがなくなるでしょうか。
それで「猫三味線」のお話自体ですが、なんか見た後釈然としないのです。
悪人は滅ぶのですが、悪事をやられた方が見事にやられっぱなしです。関係者は全員死にますが、死後でさえも悪人のほうが得してるなあ…と、憮然としてしまう終わり方でした。
普通こういうのは善人が一人くらいは生き残って菩提を弔う、くらいのことがないと救われない気分です。
ボリュームも大きいし、長い話の中の巻それぞれに見せ場があったりするのはさすが紙芝居、と思いますが、長尺もの全編を通すと救いなさ過ぎ、ピカレスクとしても悪の快感は悪役にシニシズムがないもんで不足してます。文句言ってますが、つまるところ、猫にたたられた猫娘がかわいそう過ぎてたまらない、というだけの感想です。