わたしもチョートク先生いうところの「カメラ人類」の端くれ。少なくとも本人はそのつもりでいる。写真はもちろん、道具としてのカメラに、いつも興味を向けている。現にいまだって、使えるカメラが、35mm、中判ふくめて十数台は手許にある。ところがすべてのカメラを満遍なく使うかというと、使用頻度はかなり偏っている。・中判フィルムカメラ:ローライフレックス3.5F(カラーネガ)・135mmフィルムカメラA:ニコンF3(カラーネガ リバーサル)・135mmフィルムカメラB:キヤノンF-1(リバーサル)・デジタル一眼:ニコンD7000・ミラーレスカメラ:オリンパスPEN E-P3・コンデジ:リコーCX6またはフジX10
カメラはほかにもあるけれど、今年前半の登板回数は限りなくゼロに近い(^^;)
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それは一瞬の出来事。なにか見えない気配がすっと近づいてきてぼくのこころのどこかを叩いて通りすぎた。ん?なんだろう とぼくはあたりを見回す。季節の移ろいの真っただ中に身を置いて
色のひとつ足りない虹や耳だけやけに大きな猫や石の中にとじこめられた古代人の眼や・・・。
どこにもいかずにここにいる。六月のこころはなじみ深い風景のかたわらに置かれたガラス瓶なのだ。
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郷土遊覧記というシリーズは、よくいわれる「お散歩写真」である。
ただこの表現があまり好きではないので、普通は「街撮り」な~んていっている。先日も仕事で出かけたが、用件はさっさとすまして、1時間半ばかり、J町周辺をカメラ散歩した。トップの一枚と、つぎの数枚が、この日の収穫・・・かなあ?「え? パートカラーじゃないの」
友人に見せたらそういうリアクション。見た瞬間、眼の端をなにかがピピッと流れた。こういう幾何学的な写真はめったに撮らない。このドアの向こうにどんな世界があるのかと妄想をたくましくするってのは、悪い趣味だろうか(笑)。
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1992年(平成4)、二つの写真集が、あいついで刊行された。藤原さんの「少年の港」、そして橋口さんの「BERLIN」の二冊がそれである。これらはわたし自身過去にも取り上げてあるから、ご記憶の方もおられるだろう。20年あまり前に刊行されたこの二冊は、大げさにいうと、わたしのエポックとなった、とても重要な二冊となる。これらがどれくらいすぐれた達成であるか、非力なわたしは説得力のあることばで批評することができないのがもどかしい。そうはいうものの、ここへきて、またなにか感想めいた文章を書いてみずにいられない・・・という気分になって、書庫から「少年の港」「BERLIN」の二冊を引っ張り出し、さっきテーブルフォトの要領で、収録作品5枚ずつを撮影したばかりだ。
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Big Wednesdayといっても、サーファーではないわたしがいうのは、ぜんぜん違う意味。何日か前に、眠れない夜の底で悶々としながら、いろいろなことを考え、わたしのBig Daysを二つ考えた。
一つはBig Sanday、もう一つがBig Wednesdayということになった(^-^*)/自己流の命名なのでなんのことだかわからないだろうから、簡単に説明をしておこう。■Big Sandayこれは遠いところへの撮影旅行を指している。カメラを三台もって、着替えをつめたデイパックを肩に、十日間の撮影旅に出たいという、ささやかな夢のこと。
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「小さなものへの愛」といっても、人それぞれ、ほんとうにいろいろな嗜好性がある。それが小さいということによって、なにか特別な価値がかもし出される。子どもが自分より巨大だったら、どうだろう。昆虫やしずくのように、マクロレンズを向けたくなるものだって、やっぱり小さい。カメラやレンズにも、そういった嗜好性の強い人がある。
重厚長大文化が廃れ、軽薄短小文化がますます進展している。ここでは街中で見かける「看板」を取り上げてみよう。必ずしも「小さいもの」ばかりとは限らないが・・・。トップにあげた光景は、川越で見かけた
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