二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

藤原新也と橋口譲二、二つの写真集

2013年06月02日 | Blog & Photo
1992年(平成4)、二つの写真集が、あいついで刊行された。
藤原さんの「少年の港」、そして橋口さんの「BERLIN」の二冊がそれである。
これらはわたし自身過去にも取り上げてあるから、ご記憶の方もおられるだろう。

20年あまり前に刊行されたこの二冊は、大げさにいうと、わたしのエポックとなった、とても重要な二冊となる。
これらがどれくらいすぐれた達成であるか、非力なわたしは説得力のあることばで批評することができないのがもどかしい。

そうはいうものの、ここへきて、またなにか感想めいた文章を書いてみずにいられない・・・という気分になって、書庫から「少年の港」「BERLIN」の二冊を引っ張り出し、さっきテーブルフォトの要領で、収録作品5枚ずつを撮影したばかりだ。
著者にお断りしたうえではないから、著作権にふれる心配がないではないが、まあ、小さな容量のデータなので、お見逃しいただくことにしよう。



■少年の港 スイッチ書籍出版部 2330円+税
帯を読むと、写真集ではなく、写文集と書いてある。
「支那のヴァイオリン」「少年の港」という、やや長めのエッセイが、ページの途中にはさまっていて、ノンブルは打たれていない。
さきほどざっと数えたら、67枚のモノクロ写真が収録されている。「俗界富士」だけは買い逃したが、それ以外は、藤原さんの写真集、エッセイ集はほとんどもっている。
とくに「全東洋街道」は、「メメント・モリ」とならんで、わたしのバイブルに近い存在だった時期がある。












この「少年の港」は、全体としてたいへん上質なエレジーとなっている。
あんなに急進的で、ラディカルだった藤原さんが、魂のゆりかごの歌を歌っている。
あんなに世界を放浪した人が、自分の「宿命の地」を、どこだったかと、改めてさがしている。
藤原さんは、門司で旅館を営む両親のもとで生まれているが、その旅館はすでに残ってはいない。

その熱い思いを、熱いまま見せるというのではなく、少し冷まして、己の記憶を突き放すようにしながら、あるいは寄り添いながら、門司港とその周辺をさまよい、くさぐさの情景を掬い取った写真集。
4×5を手持ちで使ってみたり、二眼レフに持ちかえたりしながら、現在から過去へ、過去から現在へと、旅していく。眼と心は不可分なものである。
見た・・・だけではない。
彼は写真を撮ったのである。
写真を撮っただけではない、エッセイをそえて、本にまとめたのである。

ノスタルジー、大いにけっこう。しかし、そのさきに、なにがある、なにがあったと問う「熱き魂」があるならば。
この写真集がなんというか、弱ったときの胸の奥で、なにごとか囁きつづける。人の世の栄枯盛衰をへて、自分という日本人はいったいどこへ、なにをするために向かおうとするのか? 門司の町を長いことさまよったら、「あの日、少年だった自分」にまた会えるのではないか?

そして、藤原さんは、少年と出会う。それはもう一人の自分なのだ。あのとき、隣にいたかも知れない、もう一人の・・・。
いまのわたしには、この写真集がそう読める。
とりかえしがつかない過去を懐かしんでばかりいないで、過去に会いにいこうよ・・・と、この写真集の中から、何枚もの作品がわたしをさそう。
「そうだ、過去に会いにいこう!」
わたしは立ち上がって、外へ・・・カメラをもって、外へと飛び出したくなる。そういう意味でも、稀有な写真集である、とおもう。



■BERLIN 太田出版 6602円+税
橋口さんは、ポートレイトではわが国の第一人者ではないかというのが、わたしの考えであった。写真集「十七歳」「Father」「職」「夢」といったシリーズはすべて手許にある。鬼海弘雄さんの「ペルソナ」もすごい達成だけれど、その対極にある一連のポートレイトの写真集は、多くの人たちの支持を得て、TVなどにも出演し、迷える若者たちと対話をつづけてこられたはず。

本来がドキュメンタリーの写真家である。
わたしの考えでは、この「BERLIN」は、橋口さんの系譜の中では、やや異色の存在感を放っている。
収録作品はモノクロ148枚。分厚く、読み応えのある写真集である。
撮影地は旧東ベルリン、プレンツバウアーベルク地区。











この地区の人々や建築物を見出したことによって、誕生した写真集である。
ご存知のように、ベルリンの壁の崩壊は、1989年11月。
その翌年暮れあたりから、橋口さんの「BERLIN」の撮影がスタートする。
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/culture/exib/20110920_478455.html

こういった続編もあるらしいが、わたしはほとんど知らない。

巻頭には池澤夏樹さんが「ある都市への手紙」というエッセイを書いている。
仕事で出かけたベルリンで、橋口さんは、驚くべきパーソナルな写真を、つぎつぎと撮っていくことになる。

レンズの向こうで、名もない人々が生きて、生活し、愛しあい、酒を飲んだり、歌ったり、犬と散歩したり、働いたりしている。それは「ベルリンの壁」とも、その壁の崩壊とも、なんのかかわりもないように見える。
古いローライの二眼レフだけで切り取られた情景の、包み込むようななんと深いテイストだろう。
あんな扱いにくいカメラで、これだけの作品を撮ったというのは、生半可なことではない。

“橋口さんがその場で見て、撮影しなければ、存在しなかったかもしれない情景”
そういってみたくなる静謐感と、その反対の活力漲るたしかな存在感の双方を、カメラがとらえる。
「二眼レフとは、こういうカメラなのだ」ということを、わたしに思い知らせた写真集。わたしがローライに手をのばしたのは、この写真集と出会ってから、およそ20年後のことになる。

エルスケンのローライと、橋口さんのローライは、こうしてわたしの瞼に焼き付いた。
鏡の中のやせっぽちのエルスケン、そして「BERLIN」巻末にそえられた、ローライを胸にぶら下げた橋口さんの小さな肖像が・・・。

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