二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

新しい旅のかたち ~司馬遼太郎の「街道をゆく」第11巻、第14巻を読む

2022年06月17日 | ドキュメンタリー・ルポルタージュ・旅行記
中途半端に土地があるから、この時期になると厄介である。
・草を刈る(草刈り機が3台ある)
・除草剤を散布する
・草を毟る

時間もかかるが、費用だってばかにならない。わたしは農業をしていないので、すべてムダな労力・ムダな出費である。
今日は草刈り機で桑の木を伐っていて、あっというまに右手薬指を傷つけてしまった。

長さ約10㎜、深さ約2㎜。シャワーを浴びたあと、傷口を洗い、アルコール消毒(ノω`*)
マキタのチェーンソーを買ってあるので、週末には息子を動員し、桑の木11~12本を伐採する予定であ~る。

これは司馬さんの「街道をゆく」とは、むろんかかわりがない。ごくごく個人的な生活の一端にすぎない。


■「街道をゆく」第11巻「肥前の諸街道」朝日文庫2019年刊

はてさて、本日は「街道をゆく」第11巻、第14巻の2冊をとりあげる。
最終的には20巻(全43巻のうち)ばかり読もうとたくらんでいるのだけど、興味がそれほど長く持続するか、どうか!?
公式ホームページ
https://publications.asahi.com/kaidou/11/index.shtml

 《日本侵略へのフビライの執念に思いを馳せた「蒙古塚」を皮切りに、地図をながめるだけで「にわかに貿易風の吹きわたるにおいを感じてしまう」という肥前のみちをゆく。平戸から長崎へ、中世末の日本が初めて「普遍」の波に洗われた海岸に沿って歩く旅は、世界史的な視野を盛り込んだスケールの大きな「街道をゆく」に。のちの「南蛮のみち」や『韃靼疾風録』への序章ともなった。》BOOKデータベースより引用

最初はたいしたことないなあ・・・と思っていたが、ページをめくるごとに、だんだんと引き込まれてしまった。

旅行会社が企画するような観光旅行とは、ほど遠い、地味な旅である。
「週刊朝日」に連載されたのは1977年4月から8月まで。
それが紀行文学としていまだにおもしろく読めるのだからすばらしい(^^♪
カバーは唐津の虹の松原。撮影は小林修、デザインひねのけいこ。
現行版(最新版)は、全巻このお二人のコンビによる表紙であるようである。小林修さんは、司馬遼太郎御一行さまと同行したはずがないので、わざわざ取材に出向いたということになろう。

司馬さん、興味深いエピソードを書いている。
まずひとつめ。
オランダ人が、日本人の防衛意識の薄さに驚いている、という。単一民族(ほぼ)であるうえ、他国から侵略されたことがない。国境は海に囲まれているので、大陸諸国と比べてほとんど侵略に悩まされることなく、歴史を閲してきたのだ。
オランダの誕生と、その後の苦難の歴史からは、日本人の防衛意識の希薄さは信じられないのである。
現在でも自衛隊は実質的には軍隊なので、憲法九条に違反している・・・という論理がまかり通っているのを見れば、オランダ人のこの驚きは理解できる。

ふたつめ。
案内者の北村さんが、石岳へと、司馬さん、須田画伯をムリやり引っ張っていくシーン。そこから九十九島の美しい眺望が愉しめるのだそうで、案内の北村さんにいわせると、眼福これにまさるものなし、なのだ。「そんなもの見たくないなあ」と断っているのに、聞く耳持たない北村さん。
これにはさすがに司馬さんは辟易している。そのあたり、相手の押し売りともいうべき好意からどう逃れようかと、司馬さんは苦心しておられる。そんな“絶景”はどうでもいいし、そんなものを見るために、肥前までやってきたわけではないのだ(^^; 貴重な時間と体力を食われたくはない、絵葉書が何枚かあれば十分。
読者は大いに笑える。

平戸、そして長崎。司馬遼太郎の頭のなかには、15世紀16世紀17世紀のヨーロッパ、なかんずくポルトガル、オランダのことが切れ間なしに明滅している。
彼らが携えてきたキリスト教という、“普遍的な文化・宗教“に対し、この時代の武士がどういう対応を迫られたか!?
平戸は短いあいだだったが、外国に対する、ほとんど唯一の窓口であった。そして地元の領主松浦氏。
司馬遼太郎の考察は、埋もれてしまったこの地の過去の歴史を的確に照射する。
・平戸の蘭館
・按針と英国商館
・パードレ・トーレス
・教会領長崎
・カラヴェラ船
・慈恵院(ミゼリコルデァ)

興味つきない話題が、そして歴史的な景色が、ジェットコースターにでも乗っているように、つぎつぎとあらわれる。
平戸と長崎。
この旅の真の目的地は、このふたつの都市であった。
過去と現在をいったりきたりしながら、司馬さんの時間旅行について歩く。

現行版で227ページ。あとがきや“解説”は付されていない。名人がざっくりと切り取った、佐賀と長崎の旅、充分堪能させていただきました(‘ω`)



■「街道をゆく」第14巻「南伊予・西土佐の道」朝日文庫2013年刊
 
司馬遼太郎は新しい旅の創始者である。
類書がまったくないとはいわないが、「街道をゆく」は、それらとひと味もふた味も違う。
およそ20年か、もっと前から、わたしはそうかんがえてきた。
探したら旧版が、書棚の奥から30冊ばかり出てきた。これまで読んだのはどれとどれだったろう?

旧版は単に古いだけでなく、文字が小さいのが最大のネック(;^ω^)
そこで「おっと、高価だなあ」と財布と相談しつつ、最新版をずいぶん買いなおした。

《「粋な言葉を県名にしたものだ」と、筆者は書く。「いい女」という意味の愛媛を南下する。正岡子規、高浜虚子の松山を出発し、大洲を経て卯之町へ。シーボルトの娘、イネを育てた二宮敬作を思いながら、やがてなじみの宇和島に着く。草創期の宇和島伊達藩を支えた家老の山家清兵衛を偲びつつ、友人たちとてんやわんやの宇和島名物「寄合酒」を楽しむ旅でもあった。》BOOKデータベースから

なんだかんだといいながら、司馬さんの旅は、飛行機、船、列車、自動車の助けなしには成立しない。交通事情が格段に進歩したからこそ、成立した旅。したがって、たとえば芭蕉の「奥の細道」の旅などとはまったく違っている。
芭蕉の旅は、死を覚悟しての悲壮な旅であったことを忘れないほうがいい。

ところで、と・・・愛媛とは、いい女の意味だとはうかつにもわたしは知らなかった。
司馬さんの旅は、名所・旧跡をめぐる観光目的の旅、ではなく、あきらかに“思索”の旅であり、歴史紀行である。
記述の内容は、素描(スケッチ)なのだが、一筆描きのそのタッチの瑞々しさは並大抵のものではない。司馬さんが立ち止まったところで、読者も立ち止まる。そして古井戸の闇をのぞき込むようにして過去をのぞき込む。

日本史に対する該博な知識、そして知り得た歴史に対する、深々とした敬愛の情。過去を慈しむことに全精力をそそいでいるといっても過言ではない。

・卯之町
・敬作の路地
・法華津峠

司馬さんの眼光を浴びて、これらの町々・村々が、100年200年、あるいは300年を超える眠りから覚めて立ち上がってくる。
そして目的地宇和島へ。
幕末の宇和島藩の事績が辿られていく。
冗談半分にいえば「竜馬がゆく」ではなく、「遼太郎がゆく」である(^^)/
「街道をゆく」を読んでいると、司馬さんが稀有なる人であったことが、よくわかる。
いまさらながらこの紀行・ドキュメント43巻は、途方もない偉業である。
あえて軽薄ないい方をすれば、本シリーズこそ朝日文庫の貴重なドル箱であろう。




<評価>
第11巻 肥前の諸街道:☆☆☆☆☆
第14巻 南伊予・西土佐の道:☆☆☆☆☆

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