(ご近所の竹材店では、松飾の制作もいよいよ終盤戦)
■佐藤さとる「豆つぶほどの小さないぬ」コロボックル物語2(講談社青い鳥文庫 1980年刊)
コロボックル物語2とあるから「だれも知らない小さな国」の続編だということは、読まなくてもわかる。佐藤さとるさんが、どんな設定で物語をすすめてゆくのか関心があった。
続編といより、数年後(6-7年後か)の後日談。
一番のポイントは、クリノヒコというコロボックルを語り手に据えたことである。
前回大活躍したヒイラギのヒコをはじめ、クリノヒコ、ツバキノヒコ、エノキノヒコ、スギノヒコ、ヤナギノヒコなど、いろいろな若いコロボックルが登場。クルミノヒメだけは、生意気でふざけているのかまじめなのかわからない女の子である。
大勢が集まって試行錯誤しながら、コロボックル通信社を立ち上げることがメインテーマ。そのほかはいたって小市民的というか、こまごました日常生活に取材している。
ほとんどすべての登場人物がお人好し、善人。ストーリーもややご都合主義なので「だれも知らない小さな国」のときのようなハラハラドキドキはない(´ω`*)
ところで余計なことかもしれないが、造本に難がある。背の接着剤が強力すぎ、ページがうまく開けないのだ。
片手で本を持って、寝転がって読むクセがあるため、いささか難渋した。講談社青い鳥文庫はすべてこういう造本なのかしらね。
評価:☆☆☆
■コンラッド「闇の奥」黒原敏行訳 (光文社古典新訳文庫 2009年刊)
コンラッドのこの「闇の奥」は、映画の原作となったこともあり、一部では評価がとても高い。4-5年前から読もうとかんがえて手許にストックしてあったが、読みはじめるのが遅くなってしまった。
しかし・・・ひと口にいうと、わたしの手には負えない。読解力の限界を超えているのですね(;^ω^)
地図が添付されているけど、具体的な地名は、出発地・ロンドンの近郊ハドソン川沿いをのぞきほとんど登場しない。
コンラッドは何を主題に据えようとしたのか。読者たるわたしは五里霧中に近い戸惑いの連続であった。
巻末の武田ちあきさんの解説を読んで、辛うじて理解の手がかりを得た・・・という感じ。主人公らしきクルツという男もよくわからない謎だらけの人間。象牙を見つける名人というだけかよ、といいたくなった(´?ω?)
要するに“噂の男”なのだ。そしてそれだけ。
この本に中に、人間あるいはアフリカ的なものの深淵が、口を開けているのか、ほんとうに!?
ことばの海は、このように深いし、また広大で、さまざまな謎にあふれている。
評価:なし
■陳舜臣「西域余聞」(朝日文庫 1984年刊)
本書「西域余聞」は堪能いたしました、陳舜臣先生の名人芸といえるとおもう。
余聞というので、こぼれ話・・・気楽な随想または旅行記の類かと予想していた。その予想が、大幅にはずれた。なかなかの力作・労作といっていいだろう。
解説で人類学者の加藤九祚(かとうきゅうぞう)先生がお書きになっているように、“余聞”などとはとんでもない話。
《十九世紀末から二十世紀のはじめにこの地を訪れた探検家たちは、ヘディンにスタイン白にしろ、十四世紀初頭のマルコの「東方見聞録」や七世紀の玄奘の「大唐西域記」をたずさえてきたのである。》(279ページ)
陳さんは語源探索に熱心である。
朝日の新聞連載だそうであるが、知見の広さは感嘆にあたいする。書斎の人というだけでなく、西域にもしばしば出かけている。
陳さんの著作は、品切れだったり、絶版だったりするものがふえてきているようである。しかし、父だか祖父が台湾の出身だというだけに、中国の歴史、文化について語りはじめたら、その博識ぶりは圧倒的なものがある。
全12篇からなっているが、
汗血馬
求法僧
唐招提寺
西の詩人
胡姫
夜光杯
紙の道
マルコ・ポーロ前後
・・・このあたりは特別読み応えのある、秀逸なエッセイだとわたしにはおもわれた。陳さんは元来推理作家として登場したのだが、こういったノンフィクションにこそ、真骨頂があるのではないだろうか♪
わたしの記憶では一時代を築いた売れっ子の文筆家、文章の切れ味はたしかなものがある。
評価:☆☆☆☆☆
■佐藤さとる「豆つぶほどの小さないぬ」コロボックル物語2(講談社青い鳥文庫 1980年刊)
コロボックル物語2とあるから「だれも知らない小さな国」の続編だということは、読まなくてもわかる。佐藤さとるさんが、どんな設定で物語をすすめてゆくのか関心があった。
続編といより、数年後(6-7年後か)の後日談。
一番のポイントは、クリノヒコというコロボックルを語り手に据えたことである。
前回大活躍したヒイラギのヒコをはじめ、クリノヒコ、ツバキノヒコ、エノキノヒコ、スギノヒコ、ヤナギノヒコなど、いろいろな若いコロボックルが登場。クルミノヒメだけは、生意気でふざけているのかまじめなのかわからない女の子である。
大勢が集まって試行錯誤しながら、コロボックル通信社を立ち上げることがメインテーマ。そのほかはいたって小市民的というか、こまごました日常生活に取材している。
ほとんどすべての登場人物がお人好し、善人。ストーリーもややご都合主義なので「だれも知らない小さな国」のときのようなハラハラドキドキはない(´ω`*)
ところで余計なことかもしれないが、造本に難がある。背の接着剤が強力すぎ、ページがうまく開けないのだ。
片手で本を持って、寝転がって読むクセがあるため、いささか難渋した。講談社青い鳥文庫はすべてこういう造本なのかしらね。
評価:☆☆☆
■コンラッド「闇の奥」黒原敏行訳 (光文社古典新訳文庫 2009年刊)
コンラッドのこの「闇の奥」は、映画の原作となったこともあり、一部では評価がとても高い。4-5年前から読もうとかんがえて手許にストックしてあったが、読みはじめるのが遅くなってしまった。
しかし・・・ひと口にいうと、わたしの手には負えない。読解力の限界を超えているのですね(;^ω^)
地図が添付されているけど、具体的な地名は、出発地・ロンドンの近郊ハドソン川沿いをのぞきほとんど登場しない。
コンラッドは何を主題に据えようとしたのか。読者たるわたしは五里霧中に近い戸惑いの連続であった。
巻末の武田ちあきさんの解説を読んで、辛うじて理解の手がかりを得た・・・という感じ。主人公らしきクルツという男もよくわからない謎だらけの人間。象牙を見つける名人というだけかよ、といいたくなった(´?ω?)
要するに“噂の男”なのだ。そしてそれだけ。
この本に中に、人間あるいはアフリカ的なものの深淵が、口を開けているのか、ほんとうに!?
ことばの海は、このように深いし、また広大で、さまざまな謎にあふれている。
評価:なし
■陳舜臣「西域余聞」(朝日文庫 1984年刊)
本書「西域余聞」は堪能いたしました、陳舜臣先生の名人芸といえるとおもう。
余聞というので、こぼれ話・・・気楽な随想または旅行記の類かと予想していた。その予想が、大幅にはずれた。なかなかの力作・労作といっていいだろう。
解説で人類学者の加藤九祚(かとうきゅうぞう)先生がお書きになっているように、“余聞”などとはとんでもない話。
《十九世紀末から二十世紀のはじめにこの地を訪れた探検家たちは、ヘディンにスタイン白にしろ、十四世紀初頭のマルコの「東方見聞録」や七世紀の玄奘の「大唐西域記」をたずさえてきたのである。》(279ページ)
陳さんは語源探索に熱心である。
朝日の新聞連載だそうであるが、知見の広さは感嘆にあたいする。書斎の人というだけでなく、西域にもしばしば出かけている。
陳さんの著作は、品切れだったり、絶版だったりするものがふえてきているようである。しかし、父だか祖父が台湾の出身だというだけに、中国の歴史、文化について語りはじめたら、その博識ぶりは圧倒的なものがある。
全12篇からなっているが、
汗血馬
求法僧
唐招提寺
西の詩人
胡姫
夜光杯
紙の道
マルコ・ポーロ前後
・・・このあたりは特別読み応えのある、秀逸なエッセイだとわたしにはおもわれた。陳さんは元来推理作家として登場したのだが、こういったノンフィクションにこそ、真骨頂があるのではないだろうか♪
わたしの記憶では一時代を築いた売れっ子の文筆家、文章の切れ味はたしかなものがある。
評価:☆☆☆☆☆