二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

シリーズの最高傑作  ~スリル満点、ピピネラのすばらしき半生

2022年11月29日 | ファンタジー・メルヘン
■「ドリトル先生と緑のカナリア」ヒュー・ロフティング(井伏鱒二訳) 岩波少年文庫 1979年刊

これはわたし的には、シリーズ最高の傑作と高く評価しておく。
遺作を3番目の妻ジョセフィンとその妹オルガ・マイクルが補筆して、1950年に刊行された作品で、岩波少年文庫の現行版では385ページとなる(ヒュー・ロフティングは47年に死去)。

粗忽窮まりないが、わたしはごく最近まで雌のオウム、ポリネシアと雌のカナリア、ピピネラを混同していた。

雌のオウム、ポリネシアは「ドリトル先生シリーズの登場キャラクター」Wikipediaではつぎのように紹介されている。
《とある船でペットとして飼われていた、180歳を超えるアフリカ出身のオウム。あらゆる言語に堪能で、ドリトル先生とスタビンズの語学の師である。怒るとスウェーデン語で悪態を口走る癖がある。》
ドリトル先生はこの動物語を最初に教えてくれた大恩あるポリネシアを、生地であるアフリカに置いてきたのだ。
一方カナリアのピピネラは・・・。
《美声を持つ緑のカナリア。愛称はピップ(Pip)。『キャラバン』では雌が歌うものではないというしきたりに抗い、歌の練習をやめなかった。ロンドン郊外・グリーンヒースのペットショップで売られていたところ、通りかかった先生がその美声を聞きつけ、マシューに頼んでピピネラを購入した。初対面の後、先生はピピネラの生い立ちを基にした「カナリア・オペラ」を思い付き、ピピネラは自身が主演するこのオペラで美しい歌を披露することになる。》

カゴの鳥であったため、かなり内向的だが、熱い心を持った独特な個性の持主で、わたしは大好きであった。そのピピネラが主人公となり、自分の半生を語りはじめる。概要をお知りになりたい方はウィキペディアを参照するといいだろう。
本編最初に付された「おことわり」を読むと、大部分はロフティングは生前に書きためていたという。したがって、義妹による“補筆”がどの程度のものであったのか気になるが、それについては明らかにされていない( -ω-)

「ドリトル先生のアフリカゆき」にせよ、「ドリトル先生航海記」にせよ、小傷と呼びたい部分がところどころにあったが、本編「ドリトル先生と緑のカナリア」はそういった小傷はまず見つからない・・・といっていい。完成度がすごいし、エンディングに向かって冒険小説なみのスリル、サスペンスを発揮してゆくのである。
「ドリトル先生のサーカス」「ドリトル先生のキャラバン」と少し重なる部分があるので、ピピネラの波乱にとんだ半生を、さらに詳しく語りなおしたような塩梅である。

ピピネラが一番好きだったという窓ふき屋がじつは、身を窶した公爵だったというのは安っぽい映画みたいなお話ではあるが、うまくストーリーに溶け込んでいて不自然さはない。
全体は3部構成になっている。そして第2部、第3部とストーリーは徐々に盛り上がってゆく。
とくに第3部!
このカナリアの体験談は、卓越したシェフによるすばらしいフルコースといっていいだろう。読み了えるのが惜しい・・・惜しいと、わたしはしきりに舌鼓を打ってしまった(´ω`*)





内容紹介はウィキペディアにまかせ、ここには印象深いエピソードを引用させていただくことにする♪ (長くなってしまうが、ご容赦のほど)

《わたしは、自分が泣きだしているのに気がつきました。その理由はわかりませんでした。けれども、やがて、それがはっきりとわかりました! なぜ、わたしがオールドミスとして落ちついて幸福に暮らすことができなかったのか、なぜ、わたしの作曲した歌がみんなもの悲しいものになったのか、そして島の小鳥たちとつきあっても、なぜ満足できなかったのか、わたしはそれが一度にわかってしまいました。
わたしは人間が恋しかったのです。それはごく自然なことでした。なぜなら、わたしはかごの鳥として生まれ、かごの鳥として育ってきたからです。わたしは、人のいるところを好むように育ってきたのです。そして、わたしは人間のいるところにもどりたいと、心の底で思いつづけていたのです。わたしは、心のやさしい人たちを思い出してみました。
―わたしの知っていたいろいろの友だち―北からくる夜馬車の御者をしていた、あのおなじみの陽気なジャック、お城の塔に住んでいたやさしい侯爵夫人、顔に傷のある年とった軍曹、フュージリア連隊の戦友たち、そして、最後に、風車小屋でいつも本を書いていた、わたしのいちばん好きな、あの変人で勉強家の窓ふき屋を―思い出しました。
目のさめるようなジャングルの中で、ランの蔓にとまっている青と黄色のゴンゴ・インコなど、わたしとなんの関係があるでしょう? 
人間こそ、わたしの求めていたものでした。そのなかでも、とくに会いたかった窓ふき屋がここにいたのです。しかも、この洞穴(ほらあな)の中で生活していたのです! しかし、わたしが島をくまなく調べてみたところでは、彼はもうこの島にはいませんでした。どこに―いま、どこに彼はいるのでしょうか?
それからというもの、わたしは、この島をあとにすること―というより、人間のいるところ、文明社会にもどることばかり、考えるようになりました。わたしは風車小屋に帰ろうとかたく心にきめました。わたしの親友の窓ふき屋が、あのなつかしい家に帰るまで、そこで待とうと決心しました。》(168-169ページ。一部改行)

この「ドリトル先生と緑のカナリア」では、ロフティングは読者を退屈させず、ぐいぐい引っ張ってゆく。これまでもふれたように、彼はストーリーテリングの名手なのだ。
窓ふき屋を慕うピピネラの心情には痛切なものがある。
第1作「ドリトル先生のアフリカゆき」からこの第11作(12冊目)まで辿ってきたのが落胆に終わらなくてよかった・・・と心底おもえる秀作。

あえて難をいえば、美しき動物家族の波乱にとんだ冒険物語だが、最終章「書類をとりもどし―そしてパドルビーへむかう」の後半が急ぎ足になってしまったこと。
これは“遺稿”ということが影響しているのかもしれない。

やわらかい少年の心に、児童文学の作家、ヒュー・ロフティングが、途方もないGiftを残してくれた。ドリトル先生シリーズという、大人が読んでも愉しいたのしい連作の長篇群を。
訳者の井伏鱒二さんや、石井桃子さんにも感謝せねばならない。
何度もくり返すようだが、動物たちのキャラクター(ブタのガブガブという、すてきな喜劇役者もいる)は水際立った鮮やかさ(^^♪
あとは短篇集「ドリトル先生の楽しい家」のみとなってしまった。

そういえば食べものにうるさいガブガブを主役にした「ガブガブの本」というのがあったなあ、そのうち、手に入れてみよう。






評価:☆☆☆☆☆



※挿絵はすべて岩波少年文庫版より引用させていただきました。ありがとうございます。

※ウィキペディアではかなり詳細に紹介されている。
ご覧になりたい方は以下をクリック!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E5%85%88%E7%94%9F%E3%81%A8%E7%B7%91%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%A2

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