二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「私現実」というステージ

2011年03月19日 | Blog & Photo
この数年、めっきりとTVを見なかったけれど、
東北関東大震災が起こってからは、毎日1~2時間はTVにへばりつくようになっている。
TVは見ない、映画も見ない。あれほど好きだった本からも、少し距離をとっている。

「ディズニーランドは下らないところだなぁ」
それをはっきり意識するようになったのは、いつからだろう?
10年くらい前からかしら?
もっと前からか(=_=)
そのころを境として、生活スタイルが変化してきた。



映画は妄想である。
あるいは、お金を支払えば、映画館の中でだけ遭える現実である。
映画が終わってしまえば、そこには白いスクリーンしかない。

ディズニーランドは、仕掛け人たちがつくりあげた妄想である。
日常生活や、「私現実」に退屈した人々が、そういった妄想にだまされるために出かけていく。
私現実とはなんだろう?
いまここで足許を見下ろしてみればいいのだ。
「いま、あなたが立っているこの場所、この時間の流れ」が、私現実である。



活字の世界に沈潜していると、まわりにあるモノへの関心がうすれる。
その文字が読めない人種にとっては、「紙の上の黒い汚れ」でしかないのに、
「すごくおもしろい」とつぶやいてみたり、愛好者仲間に「偉大な文学だ」と推薦したり、友人同士「いまこそマルクスを学者や評論家の手から奪い返そう」と議論したり・・・。

散歩写真はモノに出遭うための小さな旅。
その場において肉眼で見ているとすぐにつまらなくなってしまうのに、写真だとその何倍も見つづけていられる。
私現実という語彙を発明したのは、かの天才・アラーキー(荒木経惟)だった。
わたしがここでいおうとしているのは、それとは微妙に異なっている。



この大震災で被災した人たちの映像が、連日これでもか、これでもかと放映されている。
しかし、それはTVを切って、TVのこちら側でごろんと横になれば、はるか彼方に消えてしまう。夢中になって読んでいた本をとじて、デスクから眼をあげる。
そこに、枯れ木の影が、チラチラと動いている。「あ、外は風があるな」とわたしは思う。
逆説的にいえば、人はすべて、私現実に閉じこめられている。



私現実。そのステージは、どこからどこまでだろう?
半径50kmの行動半径・・・といってみるけれど、
よく考えると、これも必ずしもしっくりこない。
昨日事務所のある町を歩いていたら“Unknown Sight”という一語とぶつかった。
私現実のとなりに、つねに“Unknown Sight”が存在する。

計画停電のためローソクをつけて、私現実に思いをめぐらしながら静かな時間をやりすごした。
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