二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

日常(ポエムNO.3-31)

2020年02月26日 | 俳句・短歌・詩集
   (ある日、母屋のリビングにて)

若いころ好きだったものが嫌いになり
嫌いだったものが好きになる。
これはどういう理由によるのだろう。
猫や犬にもそういう現象があるかもしれない。

昼寝から目覚めたばかりなのに
また眠っている父のベッドのかたわらでたくさんの本
歴史小説 時代小説が崩れかけている。
そのすぐ脇を通って台所へいき食器を洗う。

そういう日常のくすんだ瓶の底から見上げると
空に浮かんだ雲がいやにまばゆいのだ。
眼をほそめて眺め
それから写真機を取り出す カメラじゃなく。

ぼくの視線が流星のように透明に被写体につき刺さる
その瞬間 シャッターが押される
なかば無意識に 眼のまえにあるものを漁る陸の漁師さながら。
そして歩き出す ようやく

歩き出す。
ああ 欅の大木が大きな声で笑っているな。
風がでてきたのだ。
砂塵と花粉がこの家にも吹き込んでくる。

昼寝している父が何時間も起きないので心配になり
ウーロン茶を飲み干してから様子をふたたび見にでかける。
今日も撮影どころじゃないな。
本が数冊 畳の上に転がっているのを片づける。

日常という名の現実にどっぷりと浸かりながら
音楽が送りこんでくれる空気を吸う。
胸一杯に 吸う。
さっきまでショスタコーヴィチのシンフォニーにひたり

激しく噎せてスイッチをOFFにしたばかり。
何て不幸な男だったのだろう と思いながらね。
複雑な音楽をひとこと ふたことで縛り上げることの快感!
に満足を覚えたりしながら。

音楽は手でつかむことも 眼で見ることもできないけど
日常の空気を入れ換えることができる。
ガラッと 見事に入れかわる。
一日に何度も着替えをしているようなものだ。

こうして数日がまたたくまに過ぎ去って
ぼくは浅瀬に置き去りにされた一本の杭のように
「この場」につき刺さっている。
日常という この場のほとりに。

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