二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

元いた場所へ(ポエムNO.2-45)

2014年08月31日 | 俳句・短歌・詩集
広々とした河川敷へいって
清々しい大気を胸いっぱいに吸い込み
あちらこちらと歩きまわる。
人にはそんなことがあるものだ。
理由なんて あるようでない。
「あの人はあそこで なにをしているのだろう?」
100mばかりさき 大渡橋に近い
護岸のコンクリート上に佇んでいる人。
「あの人はあそこで なにをしているのだろう?」
その人もたぶん そんなふうにぼくを見ているに違いない。

はじめてそこでお遇いして もう
二度とすれ違うこともない人。
そんな人がある夜 突然夢にあらわれたりする。
「やあ、どこかでお遇いしましたね
あれは紀ノ川の河川敷だったか それとも
利根川だったか・・・。
もう覚えてはいらっしゃらないでしょうけれど」
交差するもの
交差しないもの。
夕暮れ間近な記憶の突堤から
男たちは今日も釣り糸をたらす。

ピチピチと跳ねる活きのいい魚だったり
用済みとなったポリエチレンのゴミ袋だったり
クルマにつぶされた猫の死骸だったり
中年男や 老女の繰り言だったり。
・・・そんなものを釣り上げては
何食わぬ顔をしてそれをまた リリースする。
いったいなにを釣り上げたいのか
釣ってしまったものがなんなのか
わかるようで わからない。

記憶とはいつだって
とてもエキゾチックなもの。
自分自身の記憶すら。
「やあ またお遇いしましたね
いや わたしの見間違いでしたら失礼ですが」
その人は怪訝そうなまなざしでぼくを見つめる。
記憶の底には 深く暗い淵があって
奇怪なもの どろどろしたもの
キラキラ輝くものたちが沈んでいる。
だから
・・・だからなにが引っかかってくるのか
釣り上げてみないとわからないし。

小さな小屋があって
赤い旗のようなものが風にたなびく午後。
ぼく自身が神様に釣り上げられた魚なのかもしれない。
どうかリリースして下さい
元いた場所へと。
ぼくはさっき そう神様にお願いしたこところだ。
帰れるものなら
そこへ
そこへ帰りたい と。

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