二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

人物伝の傑作 ~城山三郎「落日燃ゆ」

2021年11月22日 | 小説(国内)
■城山三郎「落日燃ゆ」新潮文庫(昭和61年 1986 原本は1974年刊)


赤松大麓さんが本書の解説を書いておられるが、その末尾をつぎのように結んでいる。
《「落日燃ゆ」は広田弘毅への頌徳表ではなく、彼に手向けられた真の鎮魂曲になりえている》と。
本書は城山三郎さんが書いた、人物評伝、人物伝の傑作である。こういったいわばアンチヒーローを主人公にして、よくもまあここまで描ききったものだと感心させられる。
「男子の本懐」とならぶ、作家城山三郎の代表作だとは、読みはじめる前から見当はついていた。しかし、読み終えたいま、わたしの予想を上回る出来映えである・・・との感を深くした。

そうか、広田弘毅とはこういう人物であったか。
作者は東京裁判の進捗過程を、参考資料を元にして、じつに丹念に追っている。このあたり(最後の三章)が、作品の白眉といえる。城山さんは、ここを書きたかったのだ。息をつめ、一語一語を択び、原稿用紙に刻み込んでいくありさまが、ありありと想像できる。東京裁判で死刑を宣告され、従容として死におもむいたただ一人の文官、広田弘毅。
万感の思いを胸にたたみながら、抑制のきいた、冷静な筆致の向こうから、「こういう男がいたのだ!」という城山さんのため息のようなものがもれてくる。

妻をはじめとする家族への愛情をしっかりと見据え、言及することで、公私にわたるこの時代の男の像が立ち上がってくるさまは、この作家の力量をまざまざとうかがわせるものがある(。-ω-)
私小説作家とは違って、自分のことを牛のよだれのようにねぶるのではない。すぐれた他者と格闘し、過ぎ去った時代と取り組む。そのことが、巡りめぐって、自己を語ることになる。
城山三郎がここで広田弘毅という人物を見出したのは、城山さん自身の内的必然にうながされたものである。

《東京裁判で絞首刑を宣告された七人のA級戦犯のうち、ただ一人の文官であった元総理、外相広田弘毅。戦争防止に努めながら、その努力に水をさし続けた軍人たちと共に処刑されるという運命に直面させられた広田。そしてそれを従容として受け入れ一切の弁解をしなかった広田の生涯を、激動の昭和史と重ねながら抑制した筆致で克明にたどる。毎日出版文化賞・吉川英治文学賞受賞。》BOOKデータベースより
毎日出版文化賞・吉川英治文学賞をW受賞したのは、多くの読者がこの本に感動を味わった証拠である。
本文446ページ(現行版)、わたしの手許にあるのは、平成26年刊の第63刷。いわゆるロングセラー本であるといえる。

巻末に主要参考文献だけでなく、参照箇所まで明記してある。これは作家としてのいわば“良心”をしめすものだろう。こういう作品を書くと、出版社や筆者に非常に多くの読者からの反応が寄せられる。そのなかには当然、異議・抗議がふくまれる。
「嘘をいうな」「でたらめを書くな!」
右からも左からも叩かれることを覚悟しているわけだ。
ノンフィクションとうたっていると(うたっていなくとも)、逃げ場がなくなる。実在の人物を主人公にし、実際にあったことを扱っている。だから根拠を明示する必要を感じたのだろう。

作品はいうまでもなく、城山さんによって、構成・脚色されたもの。そこを勘違いする読者がいる。
反証を挙げることも、場面によっては可能だと思われる。さまざまな利害が絡み合う複雑怪奇な東京裁判など、とくにそうだろう。ある程度割り切って単純化しないと小説化することはできない。
本書が昭和49年に刊行されたのは、勇気ある決断である、とわたしはかんがえる(ノω・、)

広田弘毅の刑死に先立って自裁した奥様の静子さんとの夫婦愛なども、やや型通りといえないこともないが、じつに感動的描かれている。巣鴨プリズンから出された手紙は、彼女が死んだのちも「シズコドノ」という宛名を変えることはない。妻静子は、死後も鮮やかに夫弘毅の胸の中に生きていた。
このシーンを読んで涙ぼろぼろになった読者が、確実に城山文学のファンとなってゆく。

広田弘毅は外相出身の総理であった。
同僚であったのちの総理吉田茂を、本書ではシニカルに扱っている。広田という主人公の性格をくっきりと浮かび上がらせるための措置といっていい。
それにしても、「落日燃ゆ」のタイトルが素晴らしいなあ♪
A級戦犯のほとんどは戦争犯罪人であろうし、刑死もやむをえないと思われるが、こういう人物がいたことは、戦後ほぼ忘れられてしまった。かくいうわたしもその一人。

そのことが、作家城山三郎を、強く衝き動かした。
本書が上質な人物評伝であることは疑いようがない。城山さん以外のだれに、広田弘毅や、あのやりきれない東京裁判を背景に、こういう爽やかな、しかもコクのある物語を書けただろう。

最後に私事を付け加えておくと、わたしは法廷なるものに当事者として数回立った経験がある。民事訴訟なので、必ずしも参考にはならないが・・・。
ミステリを書こうと何となく思っていたので、刑事事件の裁判を傍聴にいったこともある。だからこの法廷場面をあれこれと想像した。
巣鴨プリズンがどんなところか、かなり細かに城山さんは再現しておられる。うん、そうか、検事と弁護士との闘争の場といえるが、じつははじめから筋書きはマッカーサーによって書かれていたといえる。

悲劇の主人公にはふさわしくない石屋のせがれ、そして必要なこと以外黙して語らない無口な男広田弘毅。そこに城山さんはぴたりと照準を合わせ、涼風が吹き抜けていくような見事な作品に仕上げたのだ。





 法廷における広田



ネットで調べていたら、地元である福岡市の中央区大濠公園に、立派な銅像が建っていることがわかった。
A級戦犯とされた政治家なので、“名誉回復”が必要だったのであろう。しかし、黄泉の国の広田は「よしてくれやい」と、自嘲気味に笑っているに違いない。こういった銅像ほど、広田に似合わないものはない・・・とわたしは思う。



※写真はいずれもネットからお借りしました。不都合がありましたら当方までご連絡下さいませ。



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