二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

徒然草におけるぼろぼろ

2011年10月02日 | エッセイ(国内)


さっき読み返していたら、昨日の「徒然草における無常感」について、ずいぶんといい足りない内容だと気がついたので、少しだけ補足記事を書いておこう。

なぜいま、徒然草を引っ張り出して読み出したかというと、その理由は石井進センセイの「中世武士団」に、第百十五段が引用されていて、それがどかんと、わたしの胸の上に落ちてきたからである。

「徒然草」第百十五段(この引用は吾妻利秋さんのTUREDUREGUSAに拠っています)
http://www.tsurezuregusa.com/index.php?title=Mainpage

宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品の念仏を申しけるに、外より入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中に、いろをし房と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、こゝに候ふ。かくのたまふは、誰そ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。こゝにて対面し奉らば、道場を汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかしこ、わきざしたち、いづ方をもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、仏事の妨げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出であひて、心行くばかりに貫き合ひて、共に死ににけり。
ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ・梵字・漢字など云ひける者、その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て我執深く、仏道を願ふに似て闘諍を事とす。放逸・無慙の有様なれども、死を軽くして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしまゝに書き付け侍るなり。

<現代語訳>
宿河原という所に、ぼろぼろという無宿渡世人が大勢集まって、死んだら地獄に堕ちないように念仏を唱えていた。外から入って来たぼろぼろが、「もしかしてこの中に、いろをし房というぼろぼろはいらっしゃいますか?」と尋ねた。中から「いろをしはここにいるが、そう聞くお前は何者だ?」と尋ね返したので、「私は、しら梵字という者です。私の師匠の何某が、東京でいろをしと名乗る者に殺されたと聞いたので、その人に会って恨みを晴らそうと尋ねたのです」と答えた。いろをしは「それは、ようこそ。そんなこともあったかも知れないが、ここで向かい合ったら道場が汚れる。表の河原に出ろ。周りの野次馬ども、助太刀無用。大勢の迷惑になると折角の法事も台無しだ」と話を付けて、二人は河原に出て、思い切り刺し合って共倒れた。
昔は、ぼろぼろなどいなかった。最近になって、ぼろんじ、梵字、漢字と名乗る者が現れて、それが始まりだという。世捨て人のように見えて、自分勝手で、仏の下部のふりをしているが、戦いのエキスパートだ。無頼放蕩で乱暴者だが、命を粗末にし、いつでも死ねるのが清々しいので、人から聞いた話をそのまま書いた。(引用終わり)

宿河原とはいまの川崎市内だそうであるから、関東ではこの時代にすでに「ぼろ」と呼ばれる無宿渡世人が大勢たむろしていたことになる。
「ぼろんじ・梵字・漢字」は、すべて人の名。「いろをし」も、もちろん人の名なのである(@_@)
日本中世という時代にまったく新しい、いきいきしたスポットライトをあてたのは、網野善彦さんで、さきにも書いたように、歴史も文学も、読者がどういった関心をもって近づくかによって、ことなった貌をあらわすところが、「本読み」の愉しさに直結していく。

兼好は悟りすました道学者ではないし、厭世家でもない。
日本の中世を代表する鋭利きわまりない知性であり、ふところの深い散文家である。
徒然草を読んでいると、ものの考え方が首尾一貫しておらず、あちこちに矛盾があり、「へええ、いったいどっちなの?」といってやりたくなるが、人間とは本来そういった存在なので、兼好のゆれ幅が大きいからといって、それはなんら欠点にはないっていない。多面体としてのこの人の部分が、折にふれ、ものふれ、話にふれて書きとどめられているだけである。石井センセイは「歴史的な資料」として、この本に注目している。
兼好の観察眼は広く鋭利で、博物学者、本草学者的な一面ももっている。
「徒然草における無常感」といった場合の無常感は、こういった知性が旅の涯にたどりついた帰結なのではなく、むしろ出発点だったのではないか、と考えるほうがおもしろい。
この日本中世における稀代のリアリストの眼に映じた世界のありようの、なんと豊かなディテールに満たされていることだろう。それらは、単純明快なカテゴライズを拒絶し、それ自体の魅惑をたたえているというべきである。

「それほどでもなかろう」と疑う方がおられたら、第百五十五段「世に従はん人は」を、あるいは「百五十七段「筆を取れば」を、虚心に読んでみるがいいのだ。
長くなるので、引用はひかえるけれども、こういう段章に出会えるのが徒然草ファンの大いなる歓びである。というわけで、当分は、デジカメと文庫本の「徒然草」をどこへいくにも持ち歩くことになりそうである。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 猫のように自由 | トップ | 「ピカソ」瀬木慎一著(集英... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

エッセイ(国内)」カテゴリの最新記事