二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

五木寛之「大河の一滴」

2007年12月26日 | エッセイ(国内)
 日本の社会や自然にほころびが目立つようになったのは、いつからだろう。
 迷走、混迷、荒廃、欺瞞・・・いろいろな分野で問題が噴出し、そういった問題が改善されるどころか、ますます悪化しているようにみえる。わたし自身をふくめて、人びとの生活や心に、不安が拡がっている。とくにここ数年、時代の閉塞感が強まり、希望のもてない暗い未来を予測する人がふえてきた。「いったい、世界はどうなるのだろう? 日本や自分自身はどうしたらいいのだろう?」
 
 この現状に呼応するかのように、出版界では宗教書や人生論が売れているのではないか。「大河の一滴」はこういった世の中の潮流を踏まえて書かれた「人生指南」の書である。刊行されたのは1998年であるから、すでに10年たっているが、いまでもロングセラーをつづけている。
 五木さんには「風に吹かれて」という名著があり、これもロングセラーとなって、すでに、450万部を突破しているという。ごたぶんにもれず、わたしも「さらばモスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」とともに、若き日にこの本を読んでいる。その後、ハーレクインなみの甘すぎるロマンチックなだけの恋愛ものを多作する五木さんへの関心はうすれ、著書はほとんど読まなくなってしまったが、今年の春に「おとな二人の午後」という対談集を手にしたところ、これがたいへんおもしろかった。
 塩野七生の「ローマ人の物語」の最終刊を読み終わってすぐであった。この対談集は塩野さんに惹かれて買ったのだが、むしろそこで、五木寛之という作家の魅力に気づかされたといっていい。
 「林住期」という本が、本屋にたくさん平積みされていたり、ふだんめったに本など読まない知りあいがこっそり読んでいるのが五木さんだったりして、関心がなんとなく高まっていたのである。
 だが、いままで知っていた「永遠の青年」のごとき彼とはずいぶん違っている。単に歳をとったというより「う~ん、五木さん、いつシフトチェンジしたの?」といった感じであった。

・人間とは常に物語をつくり、それを信じることで「生老病死」を超えることができるのではないか。
・自然法爾(じねんほうに)
・「善キ者ハ逝ク」
・私たちは病気といいますと、ほんとうに毛嫌いするのですけれども、人間は常に病気である、百パーセント健康な存在などないのだ、そのなかで人間は生きていく、こんなふうにぼくは考えます。
・<言いしれぬ>とか<名状しがたい>という言葉があるように、人間の心には、言葉にならない深い思いがあるのだ・・・ということを私たちはいつも忘れてはならない。 
 
 五木寛之は、二度真剣に自殺を考えたことがあるという。そういった曲がり角をいくつか超えて、おそらく「肉声で語りはじめた」のである。さあ、耳をすましてごらん、といわれているような気がする。耳をすまさなければ聞こえてこないようなかすかな調べ。ベストセラー作家であるまえに、よるべなきひとりの人間として、哲学にも文学にも縁なき衆生に、わかりやすく語りかけてくる。これがベストセラーにならないはずはない、と思う。現代の人生論。お見事というほかなく、わたしは、いましばらくは五木さんにおつきあいすることにきめ「こころ・と・からだ」「他力」「運命の足音」を今日さっそく買ってきた。

 
 五木寛之「大河の一滴」幻冬舎文庫>☆☆☆★

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