二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

そこから滴る精神のようなもの ~司馬遼太郎「街道をゆく」の周辺をうろつく

2022年06月04日 | ドキュメンタリー・ルポルタージュ・旅行記
   (目で見る日本史『「翔ぶが如く」と西郷隆盛』文春文庫ビジュアル版 1989年刊)



昨夜遅く『「翔ぶが如く」と西郷隆盛』に収録された司馬さんのエッセイ「南方古俗と西郷の乱」を、ベッドの上で読んでいた。

《西郷という人は、高士であるにちがいない。
とくにかれは維新後、そうなった。高士とは儒教的済民意識と道教的な退隠哲学を混淆させ、蒸留させ、そこから滴ってくる精神のようなもので、中国人には圧倒的に理解できる。
しかし西洋人にとっては、よほど日本の政治的な精神風土を踏まえて理解しないと、西郷を小さくしか評価しえないかもしれない。日本の政治的な精神風土というのは、有能でせせこましい人よりも、少々無能であっても寛仁な長者を欲する。その寛仁な長者とは、私的欲望があってはならないし、清貧であらねばならない。
西郷は日本の政治史上、そういう願望に適合した唯一の人物であったかもしれず、とくに薩摩のひとびとがかれを人間の宝石であるかのようにして敬愛するのはむりもないことなのである。
が、西郷は、革命家であり、政治家であった。政治家でありながら維新後どういう国家をつくるかについて何の青写真も持たなかったという点で、革命家・政治家をそのレベルでとらえがちな西洋人にとっては、西郷への評価は、日本人一般とはちがってよほど低いに相違ない。》(62ページ)

《西郷は、一個の人間としての能力でいえば、およそでくの坊だったともいえる。
かれは図体が大きいわりには、膂力もつよくなく、少年のころひじを傷つけられたため剣術もできなかった。》(67ページ)

《西郷は、無能者である自分を知っていたし、生涯で何度か深刻にそれを感じ、思った。言いかえれば西郷を成立させた人格の秘密は自分を能なしであると思いさだめていたことであったかと思えるほどである。》(69ページ)

「翔ぶが如く」は1972年から76年にかけて4年半あまり毎日新聞に連載された。現在文春文庫で全10巻、司馬さんにとってもっとも規模の大きな長篇小説となっている。わたしは読んでいないので、詳しくは知らないけれど、明治6年の政変をへて西郷・大久保の友情と対立を軸に、西南戦争勃発と終息までを描いている。
いずれにせよわたしは、西郷隆盛という人物は“謎のかたまり”であったが、本稿「南方古俗と西郷の乱」を読んで、ようやくいくらかわかりかけたという印象を深めた。

ビジュアル版とあるように、古写真や図録、地図がしこたま掲載されている。
刑場にさらされた江藤新平の生首の写真まである。
薩摩にあった郷中制度やオセンシという制度にも詳しくふれている。そして西郷をささえつづけた私学校のこと。これらを読んでゆくと、島津の領土は、半独立国家であったことがわかってくる。鹿児島には“南方古俗”が濃厚に残っていた。
その他木村尚三郎・丸谷才一・山崎正和の鼎談書評、山本七平の「西郷隆盛論」等読み応えのある記事がある。

「南方古俗と西郷の乱」はほかのエッセイ集にも収録されているはずだが、これまで目にしたことがなかった。
4年半にわたる新聞連載は、司馬さんに重圧となってのしかかった。司馬さんは「韃靼疾風録」(1987年中央公論社)を最後に、小説は書かなくなる。
そのあと「街道をゆく」をはじめ「この国のかたち」「風塵抄」などのエッセイに軸足を移してしまったのだ。





さっきちょっと調べたが、全43巻のうち、わたしが手許にストックしてあるのは27~8冊であった。第27巻の「因幡・伯耆のみち・檮原街道」や第42巻の「三浦半島記」などもあった気がするが見つからない。・・・となると余計に読みたくなる。
NHKがやった「街道をゆく」シリーズの動画が、YouTubeにUPされているから、興味のある方はこちらをどうぞ(^^♪
■街道をゆく「プロローグ 時空の旅人」
https://www.youtube.com/watch?v=pXTANCVGsmI
■街道をゆく「本郷界隈」
https://www.youtube.com/watch?v=7BAoZrlJx0Q

2008年4月に「本郷界隈」を読んだ上で、友人と本郷から神田へ、群馬からわざわざ出かけた。
NHKのこの番組もかつて放送されたのを拝聴した記憶もあるが、いまとなってはおぼろげな霞みの彼方へいってしまった。
レビューを書くかどうかわからないが、この機会にいくつかを読み返してみよう。
ちょっとした片言隻句の中に、歴史や風土に対する洞察が埋め込まれている。それに接して
フレキシブルな刺激をいただきながらあれこれと考えるのが愉しいからだ( ^_^)


   (三四郎池)


   (東京大学)


   (雑司ヶ谷霊園の漱石の墓)

※この3枚はわたし自身が2008年4月に撮影したもの。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「歴史を紀行する」から「街... | トップ | 6月のコスモス »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ドキュメンタリー・ルポルタージュ・旅行記」カテゴリの最新記事