二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

絶やすな。昭和文学の火を。 <その2>

2024年05月24日 | 小説(国内)
いうまでもないけど、昭和が終わったのは昭和64年(1989)のこと。昭和1年は1926となる。どなたもいうことだろうが、長いながい昭和は、20年8月で、二つに折れ曲がっている。
わが国の元号を長い順に挙げると、
昭和(62年14日間) ※昭和は最初の1年と最後の64年はそれぞれ数日しかない
明治(44年187日間)
応永(約35年間)

となる。2つに分断されているとはいえ、昭和がいかに長かったか!?
これを“昭和”というだけで一括りにするのは乱暴かもしれないが、「昭和文学」ということばがあるので、それに倣うことにする(^^;

昨夜「私小説の二律背反」を読んでいたが、若いころに読んだのとは違って、著者の気持ちが手に取るようにわかって、じつにおもしろい。


   (平野謙「芸術と実生活」と、中村光夫「風俗小説論」)

平野謙はわたしが物心ついたころ、中村光夫や江藤淳とならんで、飛ぶ鳥を落とす勢いがあった。その後戦争協力者の疑いが取り沙汰され、スキャンダルにまみれたけれど、中村光夫や平野謙は、現在読み返してもおもしろい。



日本近代文学評論選は、上下2巻に分かれている。
「日本近代文学評論選 明治・大正篇」37篇 千葉俊二・坪内祐三篇
「日本近代文学評論選 昭和篇」32篇 千葉俊二・坪内祐三篇

「日本近代文学評論選」は大方は専門家が読むとは思うが、わたしのようなミーハーも、たまには読む。岩波文庫以外では、こんな文学上の資料など、なかなか読めないので、とても貴重な2冊といっていいだろう♬
明治・大正篇では北村透谷の「人生に相渉るとは何の謂ぞ」、田山花袋「露骨なる描写」、生田長江「自然主義前派の跳梁」、久米正雄「『私』小説と『心境』小説」などの文献、昭和篇では大宅壮一「文壇ギルドの解体期」、平林初之助「政治的価値と芸術的価値」、小林秀雄「様々なる意匠」、三木清「シェストフ的不安」、萩原朔太郎「日本への回帰」、川端康成「横光利一弔辞」など、重要なエッセイがふくまれている。

またごく最近、中公文庫からこういう書籍が発売され、1/3あまりおもしろく読んだ( ´◡` )


   (「日本の文学」全80巻のしおりに挟み込まれた月報を再編集‘)

荒川洋治さんのことばだと思うが、日本文学とは、はっきりいえば日本の近代文学のことなのである。そのいわば中枢の位置にあるのが、昭和文学であるのはいうを待たない。
“文学全集”なるものが、各出版社からいろいろ刊行されていたし、またよく売れた。10代、20代のころ“文学全集”は新刊本あつかいだったし、古本屋でもけっこうな値段した( -ω-)

日本文学に立ち戻ろうとすると、そういう時代への郷愁がはげしく波打ってくる。また小林秀雄のデビューは1929年(昭和4年)なので、昭和という時代はこの批評家の足取りにあらかた一致する。




   (文学全集というと、現在はちくま日本文学全集と、河出書房の池澤夏樹個人編集 日本文学全集)

まあ、明治以降の文学でもいいのだが、タイトルが「絶やすな。昭和文学の火を。」なので、昭和に絞り込んである。
中公文庫の荒川洋治さん編集は、ちょっと変わった選曲であろう、個性的といえないこともないが。

あわてて読む必要はまったくない。新刊本ではないのだし、昭和も明治と同様、遠くなってしまったのだから。古い人間が、古い時代を振り返る。
小林秀雄もなつかしいなあ(^^♪ 
個人全集もあるけど、重くて大きいからたぶん手にすることはないだろう。彼が亡くなったのは1983年(昭和58)。



主だったものは新潮文庫で読める。
昭和というのは、平野謙や中村光夫の時代というより、私小説とプロレタリア文学の時代、そして小林秀雄の時代であったのだ。

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