二草庵摘録

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アルブレヒト・デューラーのリアリズム ~「ネーデルランド旅日記」(岩波文庫 前川 誠郎訳)の方へ

2018年02月04日 | 写真集、画集など
(本屋の散歩で発見し、しばし立ち読み。そのまま買ってかえった岩波文庫)


アルブレヒト・デューラー著「ネーデルランド旅日記」がどんなものなのか、岩波文庫の内容紹介にはつぎのような記事がある。
《1520年夏、五十歳の画家は途切れた年金の支給を新皇帝カルロス五世に請願すべく、妻と侍女を伴い遠くネーデルラント(今のベルギー地方)への長旅に出る。その時綿密に付けた出納簿である本日記にはエラスムスやルッターも登場し、併せて残された見事な画業とも相まって稀有の旅行記になっている。》

驚いたのはこの旅日記は、本来は出納帳であったということだ。
ほぼ毎日の金銭の出入りが、事細かに記されてある。この旅は約1年に渡ってつづけられる。
デューラーは、レオナルド・ダ・ヴィンチの同時代人であることを、今回はじめて知った。
ダ・ヴィンチ:1452~1519年
デューラー:1471~1528年

岩波の「ネーデルランド旅日記」には多数の図版が挿入されているが、わたしはそれらの図版に、すっかり魅せられてしまったのである。














(画像はウィキペディア等からお借りしたものです。ありがとうございます)

ここにある、スーパーリアリズムとも称すべき描写力に圧倒される。
これらはたいへんな眼力(めぢから)と、すぐれた強靭な精神の所産であることは間違いない・・・と想像しながらWebで検索していたら、「築城論」「測定法教則」「人体均衡論」などという著作が刊行されていることを知った(高価だが日本語版がある)。

そういった側面から検討して、レオナルドの相似形のように考えられなくはない。
北欧ルネサンスの画家の中に彼がいたのはわかっていたが、「自画像」「メランコリア1」の画家、という程度の理解しかもっていなかった。

岩波文庫には、ほかにデューラー「自伝と書簡」が収録されている。これもあとで手に入れよう。
今日は紀伊國屋書店に立ち寄って、小型の画集を予約してきた。
わたしのように写真をやっている人間から見て、このデューラーの絵画(デッサン、版画その他)は黙って通り過ぎることができないものを秘めていることに、気がついた。

旅日記、紀行のおもしろさ。
その無類のおもしろさには以前から気がついていた。
わが国でも、貫之の「土佐日記」からはじまって円仁の「入唐求法巡礼行記」、芭蕉「奥の細道」などの傑作を生みだしている。わたしならここに、菅江真澄遊覧記や、イザベラ・バード「日本奥地紀行」を付け加えたいところ。もちろん司馬遼太郎さんの「街道をゆく」という大河まで、その血脈はつながっている。


「ネーデルランド旅日記」の独創性は、出納帳のいわば欄外に、メモのようにして、旅の様子が記入されていること。
いくら有名画家だからとはいえ、政府筋の高官や、当地の高名な貿易商、かのエラスムスなどと交流しているのは、この画家のなみなみならぬ知力がうかがえ、非常に興味深い。
同時代人マルティン・ルターへの恋文のような言及があって、出納帳兼旅日記と混然一体となっているのが何ともユニーク!

ただし、わたしはまだパラパラ拾い読みしただけ。
近々精読し、期待通りであったらレビューを書いておこう。
絵画、あるいは絵画史に関心のある方なら、「ネーデルランド旅日記」を手にとってみることをおすすめする。本書には画集には収めされていないような図版まであり、そこからいろいろな情報が読み取れる。
ネーデルランドといえば、のちのベルギー、オランダ。資本主義胎動の地であり、およそ百年後には、この土地でフェルメールが誕生することになる。

デューラーのリアリズムには「理知の輝き」が満ち溢れ、見る者の眼を釘付けにしないではおかない。
この一冊「ネーデルランド旅日記」に、近代人のピュアな、そして卓越した原形が刻み込まれている・・・と考えたくなるのはわたしだけ?

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