二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

祈りを捧げる ~龍海院の童子六地蔵

2018年01月31日 | Blog & Photo
撮影目的(試写)で立ち寄った前橋の龍海院。はじめは何もかも被写体にしか見えなかった。
コニカC35で一枚撮ったあとになって心が動いた。
「ん!? 童子六地蔵」そうか、水子観音ではないのか・・・。
わたしは亡くしたばかりのソラのため、祈りを捧げることにした。そうしているうち、心がほんのわずか、軽くなったような気がした。

鎮魂や慰霊のため、人は祈りを捧げる場所が必要なのだ。
「ソラよ、ソラよ! そっちも冬で寒いのではないか・・・」よしなしごとを胸のうちで語りかける。

幼な子を亡くした親たちの歎きが、これら小さな石仏に込められている。
旧前橋城主酒井氏の菩提寺で有名なこの禅宗の寺には何度もきているというのに、いままで素通りしていた。

ペット霊園が流行している。そこの管理人と話をしたことがある。
観音霊場の一角に、ペット霊園を設けた寺すらある。
ところが話を訊いてみると、ペットの飼主は、火葬してもらって埋葬をおえたあと、二度か三度はやってきても、すぐにこなくなってしまうという。
それが現実・・・なのだろう。

手厚く葬ったまではいいが、つぎの犬、つぎの猫がやってくると、無情にも以前の子のことは忘れてしまう。
“死児の齢を数える”という慣用句がある。
<死んでしまった子が生きていたらと、その年を数えて嘆く。取り返しのつかないことを悔やむたとえ。死んだ子の年を数える>という意味である。

人間であれば親の歎きは尽きることがないのだが・・・。



六地蔵の手前に、こんな木像が置かれてあった。
一見西洋人のように見えるが、子を胸に抱いているから「慈母観音」であろう。
子を亡くした親たちが、供養のため、ここへやってきて手を合わせる。わたしは亡くしたペットのために手を合わせる。つぎにいくときは線香をもっていこう。
テンもコタもソラも、猫とはいえ、わたしにとっては家族の一員・・・・のようなものであった。
祈ることによって、死者の来世での冥福を願い、死者から生きる勇気をもらう。そのために祈る。関東にも観音霊場があり、毎日大勢の巡礼がやってくる。

仏教徒として生まれたわけではないけれど、高野山へ参詣したことで、仏教徒であるとかんがえるようになった。
写真家藤原新也さんのことばに「なにも願わない手を合わせる」があったことを思い出した。

わたしの後ろ姿を見かけた人は、わたしが子を失ったのだと、錯覚するだろう。

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