二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

ゴリオ爺さん  オノレ・ド・バルザック

2010年01月07日 | 小説(海外)
はじめは集英社の世界文学全集(高山鉄男訳)で読みはじめた。
年末年始休暇なので、リビングでごろごろしたり、夜はベッドのなかで読み続けた。
ところが、寝そべって読むには、こういった本は、重いし、大きい。
たしか、・・・と思って、年末に本棚のあちこちを探したが、見つからなくて、またこの新潮文庫版を買い直した。

本書は過去に二度、挫折した経験がある。
最初は二十歳前後で、数ページめ、つぎはそれからはるか後年、たぶん三十五、六歳のころで、百ページあたりで。要するに、とぎれとぎれで読んでいると、ストリー展開や、登場人物が混乱していやになり投げ出す・・・そういうパターンなのだろう。
サマセット・モームが「世界の十大小説」で取り上げたのが、バルザックではこれだった。どんな入門書に目を通しても、バルザックなら「人間喜劇」における人物再登場法の出発点たる本書をます読め、とすすめている。

というわけで、「人間喜劇」はずいぶん長いあいだ、登攀口がわからず、ただ彼方から遠望するだけの、巨大な山塊でありつづけた。
ところが、数週間まえに、岩波文庫から新訳の刊行された「ゴプセック・毬打つ猫」を手に入れて、「ゴプセック」を読み出したら、これがすごかった。
芥川賞クラスの作品かな、という甘い考えは木っ端みじん!
古めかしい、旧時代のリアリズム作家というイメージがみごとに粉砕されて、わたしはそこに生々しく息づいている、金銭をめぐる人間の暗い情念のドラマを目撃することとなった。ぽっかりと、恐ろしい深淵が口を開けている!

藤原書店から、「バルザック人間喜劇セレクション」が出ているのは、ご存じの方もいるだろう。その別巻として「バルザックを読むⅠ 対談編」「バルザックを読むⅡ 評論編」がある。そこで、その二冊を図書館から借りてきて、バルザック登攀のための、おおげさにいえば、まあ、足慣らしをしたわけであった。
バルザックは、近代的な意味でいう小説の創始者である。
芝居・演劇はショークスピアを持ち出すまでもなく、はやくジャンルとして成長・発展をとげて、プロ集団と観客を生み出していたけれど、小説はこれに遅れをとっていた(古代、中世の物語文学は別)。
フランス革命によって、中産階級が歴史の表舞台に徐々に登場してくる。
フランスにおけるジャーナリズムの革命児、エミール・ド・ジラルダンは、広告収入による薄利多売方式の新聞を創刊したのだが、そこに連載されたのが、ほかならぬバルザックの「老嬢」であり、これをもって新聞小説の嚆矢とする、と鹿島茂さんが書いている。
ときあたかも1836年、識字率の上昇とあいまって、これが作家に自立の道を開くこととなり、近代小説の書き手・読み手が確立するにいたるのである。「いいものを書けば売れる。つまり商売になる!」
「ナポレオンが剣でやったことを、おれはペンでやる」
野心家バルザックの座右の銘であるとされている。

バルザックの時代には、純文学などというものはなかった。未分化というより、高い文学性と、エンターテインメント性は、どちらもすぐれた小説にとって、不可欠な要素とされたのである。そういいう意味で、現代の小説家がバルザックから学ばねばならないことはまだあるといわねばならない。バルザックの小説は、愛好家のための作品ではなく、ふつうの生活者が、ふつうに読んでおもしろい世界を形成し、読者に「おや、おれのことを書いているぞ。むむ、これはあいつじゃないか!? この男、この女、知っている。そうか、ほんとうは、こんなやつだったのか」と思わせるリアリティーに、深くその基盤をおいている。
いろいろな職業人が描かれ、金銭をめぐるトラブルや、恋愛事件、政治的な陰謀、犯罪、都市生活と地方生活、誕生や死・・・人間生活のあらゆる側面が取り上げられ、いわば真空パックされている。読者が封を切って、ほんのちょっと暖めてやるだけで、バルザックが作り出した「もう一つの現実」へと滑り込めるのである。

「ゴリオ爺さん」では、虚飾と零落、野心がおどろくほど見事に映し出されていく。いくらか、図式的なんじゃないかという心配をよそに、バルザックは持ち前の旺盛な筆力でぐいぐい押し切ってしまう。いたるところに、作家が思いついた警句が顔を出すのは、むしろユーモラスといってもいいが、フランス文学の特徴なのかもしれない。
金銭と生活との関係性を、これほど追求した作家は、そう多くはあるまい。マルクスが、「歴史の資料」として、この時代を評価する目安としたのもうなずける。

それにしても、なんという過酷な、ぞっとする物語だろう。ゴリオの、そして、その二人の娘の、下宿屋のおかみ、ヴォケー夫人の、ラスティニャックやヴォートランの、それぞれの運命が交錯し、ねじれあい、押し流され、渦巻くさまは、圧巻の一語につきる。


評価:★★★★★

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