虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性発達障がいの疑いを指摘されたら 26

2012-02-25 07:39:15 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

 

先日、2歳半の男の子、●くんのレッスンでこんなことがありました。

 

●くんは利発で言語能力の高い子で、発達障がいの可能性はないと思われる子なのですが、

神経質でやたら何でも怖がる一面があって、

●くんのお母さんは、独特の育てにくさを感じて子育てしておられます。

 

●くんのお母さんによると、公園でも 同じ年代の子たちが楽しそうに遊ぶなか、

●くんは一時もお母さんのそばを離れようとしないそうです。

また家のなかでも、一日中お母さんに相手をしてもらいたがり、

ちょっと離れるだけで強い不安にとらわれて、大騒ぎになるそうなのです。

 

そうした相談だけをうかがうと、2歳児というのは、

まだお友だちと上手に遊べる年ではありませんし、

家では「ママ、ママ」と一日中、甘えているものですから、

●くんのお母さんの気にしすぎのようにも聞こえるかもしれません。

 

でも、実際、●くんと教室で遊ぶうちに、

●くんの怖がる対象や怖がり方が少し特殊で、

それもあまりに激しいことに気づきました。

 

 ●くんの怖がる対象とこわがり方が少し特殊というのは、「時計の針が動くのが怖い」と、

身体をこわばらせて訴えたり、煙突の形を見て、恐怖で動けなくなったりするのです。

 

●くんは、お化けや虫や暗闇といった

怖がりの子が怖がるものにおびえるのではなくて、

通常、誰も怖がらないような時計の秒針の動きのようなものへの

自分の知覚のあり方のせいで、

四六時中、不安を訴え続けているのです。

 

そうした怖がる対象や怖がり方は、広汎性発達障がいの子らの

おびえ方に似てもいるところはあるものの、

一方で●くんは、人の気持ちを感じとったり、想像力を使って遊んだり、言葉の意味を正しく理解したり、

流暢に自分の思っていることを話したりできるので、

発達上の心配がない子でもあるです。

 

だからといって、●くんの神経の過敏さや、不安が強くて怖がりな性質を、

個性の範疇として放っておくと、

もうじき入園するという保育所での集団活動や

今後の発達に影響が出そうでもありました。

 

写真のように子ども用の椅子と椅子に手作りの線路を渡して遊んでいた時のこと、

わたしが、電車のおもちゃを手にして、「線路を渡ろうかな、でも怖いな」と電車に言わせて、

ガタガタッと軽く線路を揺すって見せると、

●くんは「怖い怖い」と言いながら、身体をこわばらせて、「やめてぇ、やめてぇ」

と懇願しました。

それからは、一切、線路を揺するのをやめたのですが、

わたしが電車を手にして線路を渡らせようとするだけで、表情をこわばらせて、

「やめてぇ!!怖い~怖い~!」と半べそをかきながら言いました。

 

たいていは、怖がりの子であっても、

自分ではなくてお人形や電車などが、その子が怖がっているようなことにチャレンジする時には、

ニコニコ笑いながら、「先生、もう一回、怖いのして!」「黒猫ちゃんに怖いことさせて!」

と言うなどするのです。

 

でも、●くんの場合、

自分ではなく電車が何か怖い目に合うかもしれないというだけで、

それも本当に怖いことというより、「怖い、怖い」と口にしたことがあるという事をするだけで、

震えあがって、「やめて!やめて」とやるのを阻止しようとするのですから、

これから過ごす保育園で、心地よく楽しく過ごすことができるのか

とても気がかりではあるのです。

 

そこで、保育所の入園までに強すぎる不安感を

やわらげる手立てをいくつか打っておく必要を感じました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2、3歳児のグループレッスン  協力しあって教具に挑戦

2012-02-24 13:57:13 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

 

2、3歳児のグループレッスンの様子です。

お友だちと協力しあって

パズルやモンテッソーリの教具などに挑戦するのが

とても楽しい様子です。

↑は、ひとりの子が、パズルの置き場所を指示して、もうひとりの子が

それに従って置いているところです。

実は自分ひとりでもできるのですが、こうして協力して

何かすることが少しずつ楽しくなりはじめているのです。

 

↑3歳2カ月の●くん。

工作の最中にたびたびグズグズ半べそをかく姿が目立ちました。

●くんは、どちらかというとあまり慎重なタイプではなく

先月までは、

思いついたら即実行するというフットワークの軽さの代わりに

適当にクチャクチャっと作って「できた~!」と大満足の笑顔を浮かべていたのですが、

今回のレッスンでは、「上手にできない」「ゆがんだ」「変になった」と

ちょっとうまくいかないとメソメソしながらお母さんに甘えにいくことを繰り返していました。

その様子から、●くんは「ちゃんとできているか」「間違っているか」「何が正しくて、どこがよくないのか」に

敏感な時期に入りかかっているように見えました。

こうしたグズグズメソメソは困った行動のように見えますが、

子どもの知恵がついてきた証拠でもあります。

●ちゃんは、これまでは紙を切るときも適当に切り刻んでいたのですが、

折り紙に曲線を描いて、それを正確になぞって切っていくように指示すると、

ほとんどはみ出さずに切って、満足そうにしていました。

また、紙をテープで貼る際も、隅から隅まで、隙間なく貼りたかったようで、

納得するまで、テープをカットする作業と、貼る作業をさせていると

落ち着いていきました。

 

●ちゃんがこの日、最も喜んだのは、

写真の立体パズルで、

くぼんだ型に小さい円から順にはめていって、ひっくり返すと

写真のような5段ケーキの形ができあがるというものです。

 

できがった物の形とは逆に小さいものから順にはめていかなくては

ならないのですが、その理由、その不思議さ、どこで集中して注意しなくてはならないのか

がよくわかるようになって、

何度やっても面白い様子でした。

ひっくり返して、型を持ちあげるとき、

●くんがそっとそっとケーキを壊さないように持ち上げる姿があまりに真剣だったので、

お友だちも息を詰めて、その様子を観察していました。


お雛様作り と 算数のセンス

2012-02-24 13:26:39 | 工作 ワークショップ

算数が得意な小学1年生の☆ちゃん。

教室に着くなり「お雛様、作りたい」と言いました。

どんな風に作りたいのか相談に乗っていると、

「紙コップを使って人形を作って、

お雛様とお内裏様を飾る段は絶対作りたい。着物には飾りをつけたい」という話でした。

 

工作をする時、どのようなものが作りたいのか、材料選びやこだわりたい点などの

相談にできるだけ乗るようにしています。

また、作り方のアドバイスは、その子の技能のレベルに合わせるようにして、

物作りが考えることに直結しやすいように

気をつけています。

 

紙コップのお雛様に折り紙の着物は、

折り紙を三角に折って、コップに巻いて、余分なところを

内側に折りかえしています。

☆ちゃんは、とても問題解決能力が高いしっかりさんで、問題にぶつかるたびに

自分で懸命に考えて、最適な方法を実行していきます。

教室の空き箱入れを探ってはもりもり作っていたのですが、

途中で(本人としては)困った問題にぶつかって、

「先生~どうしよう!!」と大きな声を上げていました。

 

が、何に困っているのか説明を聞いていると、

「段にする箱がね、ちょうどいい大きさのがないから、

このままだと、前の人のせいで、お雛様たちが見えなくなる。」と言ってたかと思うと、

わたしがアドバイスをする前に、

「そうだ、この3人の人の背を低くすればいいんだ。あっ、そうじゃなくて、後ろの段に何か敷いて、高くすればいいわ」

と自分でひらめいて、さっさとなおしていました。

他にも、「箱の幅が狭いから紙コップがはみだす~」といった問題を

色紙を貼るなどで解決していました。

 

すべて自分でやりとげて、満足そうな☆ちゃん。

自分の机に雛祭り用に飾っておくそうです。

 


東大の現代文 と 京大の現代文 3

2012-02-23 20:49:32 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

東大の現代文 と 京大の現代文 1

東大の現代文 と 京大の現代文 2

の続きです。

相変わらず、夕食後に息子といっしょに現代文の過去問を解いています。

 

今晩は、「受験日も近いから、気分が明るくなるように、

一度解いて、特に気に入った年の問題を解こう」ということになりました。

息子が選んだのは、1990年度に京大で出題された

『混沌』でした。

 森鴎外が、小学校の同窓会で講演したものなのだそうです。

この『混沌』を初めて目にした時、息子は声が裏返るほどはしゃいだ様子で

感想を並べていました。

息子にはこの『混沌』に書かれている内容と、自分の考えというより、自分自身の存在が

ぴったり重なって感じられたようでした。

「これを読んだことで、自分のアイデンティティと言えるものをひとつ言葉で確認できたような

気がするよ」と心底、感動した様子でつぶやいていたほどでした。

 

今回、もう一度、解いた後で、いつものように二題目の問題は解くのはやめて、

この文章の余韻を味わうように、あれこれ思いつくことを話していました。

 

息子が強く惹かれていたのは次の部分。

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之に反して椋鳥のような、ぽつと出のような考を持ってゐて、

どんな新思想が出ても驚かない。

これは面白いと思つて、ぼんやり見てゐると、

自分の一身の中にも其説の言うところに応ずる物がある。

彼の混沌たる物の中には、幾ら意表に出た、新しい事を聞いても、これに応ずる所の物がある。

頭からそれに反抗するに及ばない。

構はず自分の一身の中にある物のごとく応ぜさせて見る。

(中略)

人は混沌たる中にあらゆる物を持ってゐるのでありますから、世の中に新思想だとか新説

だとか云ふものが活動して来ても、どんな新しい説でも人間の知識から出たもの

である限りは、我々も其萌芽を持つてゐないと云ふことは無いのです。

                (森鴎外 「混沌」)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

問題の答え合わせを終えたところで、

息子はふと、

「前に芸術の価値には、技術的な良し悪しだけじゃなくて、

作品のなかにある人間的な部分との関わりが大きいって話をしたよね。

マンガ描くにしても、ゲームを作るにしてもそう言えるし……

お母さんが関心を持っている幼児教育とか子育てにしたって、

すばらしい技術、すばらしい教え方といったものを極めていったところで、

根本はそれをしている人の人間性に関わっているんじゃないかな?」

と言いました。

 

母 「人間性?そうよ、お母さんもいっつもそう思っているわ。

得に自閉っ子たちと付き合っているとすごくそれを感じるのよ。

付き合えば付き合うほど、

この子たちはひとりの人間で、いろんなことを感じて、いろんなことを体験して、

いろんな人とつながって生きているわけで、

自閉っ子だから専門家しか相手をすることができないものって壁を作りたくないって思えてくるから。

その子にハンディーがあるとして、

お母さんがただの幼児教室の先生だとしてもね、

ただシンプルに人間と人間としての

その子とお母さんの関係だって大事にしていきたいのよ。

わたしがその子を心からかわいいと思っていることだって、専門家の持っている知識と代わらず、

その子の心に届くものだから」

 

息子 「そうだよね。

教育にしても子育てにしても人間が人間を育てているわけなんだし。

最高の成果をあげる教育とかミスしない失敗しない子育てとか、

そういった数値の完成度を競うなら、機械に管理させればいいって流れになるんだろうけど、

そうならないのは、人間の人間らしさが要求される分野だからなんだろうな。

 

ほら、人がする仕事には、

その仕事のために学んだ知識以外の部分が

仕事に現れてくるという面があるじゃん。

教育で言うなら、教育内容や教育法にいくら卓越したとしても、

教育を目指す上では関係がないように見える児童文学に触れたことがあるかどうか

なんてことが、教育を仕事とする現場では

役に立つとかさ。

仕事をするにしても、勉強するにしても、技術を技術を、知識を知識をって

持てるものは多ければ多いほどいいような風潮があるけど、

アウトプットしたものを生かしていこうとすると、

自分の内面を磨くことだって必要なんじゃないかな?

倫理的ないい人間を目指すって意味じゃなくて。

自分の個性の振れ幅を平均化させることにばかり一生懸命にならないっていうか」

 

母 「あー、★(息子)が言った言葉で、ずっと謎だったものの答えが見つかったわ!

お母さんは、ずいぶん長い間、伝えたいのにうまく伝わらなくて、どういう風に言ったらいいのか、

むしろ、相手にこうも伝わらないことをどうやって自分は思いついてるのか、

何を根拠に、これが正しいって子どもとのやりとりの加減を決めているのか、

自分でもわけがわかんなくなっていた面があるのよ。

勘なのか何なのか、子どもを相手していれば、いつも正しいと思う

ちょどいい対応が浮かんでくるし、その通りやればうまくいくから、

それでいいんだと思いつつも、ある線を越えたあたりから、それを他人に伝えようがない範囲があって

今日の問題の言葉を使わせてもらえば、混沌よ、混沌としか言いようのない部分があったの。

でも、★の児童文学って言葉でピンときたわ。

そういえば、お母さんが子どもと接するときは、

児童文学の世界にある子どもの心と物語の世界の展開の法則に即しているんだったわ。

意識してそうしているわけじゃないけど、

子どもの頃に、図書館の本を読みつくすくらい

児童文学や絵本を読み漁ってたから、子どもの本の世界の考え方が沁みついているのよ。

今まで気づかなかったけど、きっと今の仕事でも、

そんな子どもの頃、好きだったものが役に立っているのかもね。

★も子どもの頃に夢中だったこととか、勉強にも役立ってるだろうし、

将来、仕事をするときも役立つんじゃない?ゲームしたこととか?」

 

息子 「ゲームはそれほどしたわけじゃないけど……。

でも、今までしてきたことで、

これは自分にとって有利に働いてるって思うのは、いつでも遊びに真剣だったことかな?

他の誰よりも、自分はこうしてきたなぁって思うのは、

遊びにだけは一度も妥協したことがないってことでさ。

面白ければ、面白くなくなるまで遊ぶし、

面白くなければ、面白くなるまで

工夫してたからね。小さい頃の自慢は、紙とえんぴつさえあれば、

どんな面白いものだって作りだせるってことだったからね」

 


広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性発達障がいの疑いを指摘されたら 25

2012-02-23 16:15:18 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

前回の記事で、「そうした物作り以前の子たちとの関わりもあります」と書きました。

そのことについて、もう少しくわしく説明しますね。

 

自閉症の子たちのなかには、一瞬、何かに向かって注意を向けることすら難しい状態の子も

いることと思います。

また、工作をいっしょにしようとしても、

そうした部屋のなかでは絶えずうろうろしてしいて、

ひとつの場所にとどまることも難しいという子も。

 

以前、記事で紹介させていただいたトムくんもそういう子でした。

最初に出会った頃は、人に対しても、物に対しても、

あまりに関心が薄かったので、工作をして見せようとする試みが

やっても無意味なことのようにも感じられたほどでした。

 

でも、わたしとの間で、ゆっくりゆっくり工作の体験を積んでいったことや、

通っているアトリエで、水遊びにも似た絵の具を使った活動や、

触感を楽しむためのさまざまな活動を続けてきたこと、

食べることが好きなので、しまいに料理をしている最中に、

それがどのような結果につながるか(何ができあがるのかなど)が

推理できるようになったことのおかげか、

工作に対する興味や理解が高まってきました。

 

そんなトムくんと工作との関わりについて、過去記事を

貼らせていただきますね。

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自閉症の子に「想像力豊かに考えられる」素地を身につけさせる大切さは、

虹色教室で広汎性発達障がいらとの遊びを通して実感しています。

 

教室では工作などの物作りとごっこ遊びを豊かにしていくことで、想像力を使って

考えるようになり、次には論理的に筋道を追って考えたことを言葉にすることが

できるようになっていってます。

 

広汎性発達障がいの子らの場合、物作りといっても

最初は、その子がしつこいほどこだわっていて好むものを大人が作ってあげることと

好む感触の素材で感覚遊びを続けるような形の時期が長いです。

その時期に、大人が物作りとしての技能アップを焦っていると、

「想像力を使えるようになる」という課題を身につけそびれる子がいます。

 

子どもは、しばらくは「作って!」と注文する時期、「こんな風に作って!あんな風にして!」と注文のバリエーションを

広げる時期、感触を楽しんで物をバラバラにちぎったり、上から落として音を聞いたりしながら、「雨!」と命名してもらって、

次に自分もそのように見立てる素地を養う時期がたっぷり必要です。

 

ごっこ遊びにしても、広汎性発達障がいの子の場合、

鍋のなかに木製ビーズを放り込むときのバラバラいう音や、混ぜるときに

感じる素材の力からくる力動感のようなものを味わう時期が

とても長いです。

 

でも、本人のしたがることを保証しながら遊びにバリエーションをつけていくと

それはいつかごっこ遊びへと発展していきます。

そこでもあせらず、その子が何度も繰り返したがるひとつの活動を突破口として

豊かな想像力を使っていく世界に導いていくための

大人の手助けと環境や素材の力が必要です。

 

トムくんは、これまでは目の前に見えるものが全てで、

興味を持って取り組んでいたことも、ちょっとした間があると、関心がとぎれて

プイッとその場を立ち去ってしまいがちでした。

 

それが今回会ったトムくんは、ひとつの興味の対象に長い時間、注意をとどめておく

ことができるようになっていました。

また興味の対象も増えてきて、物事の流れを記憶しているものも

いろいろありそうでした。

 

しかし、そのようにトムくんの内部で何かが育ってきていることは

視線や表情から察することはできても、それをアウトプットして洗練させていく

ことは難しいように見えました。

そこでわたしは、トムくんに芽生えてきたように見える「興味を持続させて

想像力を使って何かに取り組む力」を、

アウトプットしやすい環境を整える工夫を提案しました。

 

トムくんの「工作コーナー」を作り、

「トムくんの創作意欲が刺激されるものだけを

扱いやすい状態で設置すること」

「白い段ボール」に切り込みを入れて、

上部はビー玉コースターのスターターやくるくる回転して落ちる部分が

箱に乗せるだけで変化させることが可能なようにしました。

側面の切り込みは2か所でビー玉コースターの通路の1本をそれに通して固定して、

扱いやすく崩れない状態で、上部の穴から落ちたビー玉が転がって外に出てくるように

しました。

 

これは、思った以上の大成功。

トムくんはたちまち工作コーナーとビー玉コースターの仕掛けに

夢中になったのです。

ただ夢中になるだけではなく、

ひとつひとつの道具をためしてみながら、

うまくいかないときは、パーツを変えてみたり、パーツを調節して回転させてみたりして、

うまくビー玉が落ちるように試行錯誤して考えるようになりました。

 

これまでこのビー玉コースターはビー玉を転がす感覚を楽しむ

おもちゃにはなっても、それ以上、遊びが発展することはありませんでした。

理由は、力を加えると崩れてしまうので

そうしたおもちゃの作りの安定の悪さが、興味の持続を奪っていたのです。

また試行錯誤するにしては、どこに注目すればいいのか難しかったようなのです。

白い段ボールから一部分だけが出ている状態だと、

どこに注目して、どれと交換して試行錯誤すればよいのか

課題が見えやすかったようです。

 

トムくんがよく考えて熱心に遊ぶ姿に

yosyikoさんもトムくんのお父さんも

トムくんにこんな潜在能力があったのかと

非常に驚いておられるようでした。

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広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性発達障がいの疑いを指摘されたら 24

2012-02-23 12:51:50 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

障がいのある子ともない子とも、1歳児とも6年生の子とも、

わたしはいっしょに工作をする時間を大事にしています。

レッスンでは、工作だけでなく、

ボードゲームやカードゲームもするし、ごっこ遊びもするし、理科実験もするし、ブロック制作もするし、

創作劇もするし、議論や雑談もするし、算数を中心にした学習もします。

 

でもそのなかでも何より重視しているのが、

工作の時間なのです。

 

子どもは物作りを通して、

自分の気持ちを表現するし、自分の思いを発見します。

 

自分の願望を形にしようとするし、

その子独自の潜在する可能性を輝かせます。

 

また素材との触れ合いを通して、

情緒が安定するし、

空間認知力も高まります。

 

物を作る時、

見立てる力やイメージする力が刺激されます。

 

それを言葉にするうちに、

言語力や他人と関わる力が育ってきます。

 

工作を子どもといっしょにするということは、「2歳用のきる本」とか「幼児向け工作ブック」と

いった市販の切って組み立てる教材を与えて、

能力アップをはかることではありません。

 

そうした関わりは、塗り絵を練習させて絵を描く力を上達させようとするようなもので、

逆効果の方が心配です。

たとえ手先が器用になっても、想像力や思考力が

それをさせることで抑えられてしまうのではないでしょうか。

 

まだ幼い子や障がいを持っている子を育てている方のなかには、 

「でも、うちの子はまったく工作に取り組もうとしようとしないのです」とおっしゃる方が

いらっしゃるかもしれません。

 

そうした場合も、これまで書いてきた

子ども独自の『ものさし』という捉え方が役立ちます。

 

物作りに対するその方の『ものさし』の目盛りと

お子さんの『ものさし』の目盛りのサイズの違いを

調整するようにするのです。

 

 

たとえば、丸いピンポン玉と赤や黄色の丸いシールを用意して、

子どもがシールをピンポン玉に貼れたとします。

 

それを指で回すと、クルクルまわりだします。

 

「コマよ。クルクルまわっているね。上手にコマが作れたね」と言うと、

子どもはちょっと誇らしそうな顔をして、

自分がこんなすごいもの(クルクルまわるコマのようなもの)を作れたんだよとでも言いたげに

ニコニコして、「もっとする、もっとする」と言うとします。

 

この「いきさつ」を見ても、「こんなの工作じゃない」「ただシールを貼っただけじゃない。まわしたのも大人じゃないの?」

と思う方がいらっしゃるかもしれません。

 

でも、先の例の反応をした子は、

工作をしていく上での重要な課題をひとつ越えていると言えるのです。

(そうした反応以前の子たちとも

関わり方はあります)

 

まず、たまたま貼ったシールがコマになったときに

きれいに色の渦になる様子を見て、後づけで、「上手に作れたね」と言われたから、

「あっ、こういうことが作るということか、こういうことが工作なのか」とぼんやりと理解した程度でしょうけど、

そうした事実を受け入れて

理解しているわけですから。

「自分が手を使って何かに取り組んで、結果として何かが完成した」という事実への理解は

大人が考えるより難しいものです。

たとえ、それがシールをペタリでも、マジックでなぐりがきをしただけでも、

それに大人が意味を重ねることで、

子どもの理解の世界は大きく飛躍しているのです。

「もっと作る」と言う時、ひとつの「工作」という流れと、「完成した物」という目的のイメージが

できはじめてもいるのです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 


広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性発達障がいの疑いを指摘されたら 23

2012-02-23 10:39:07 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

こうした『ものさし』も、言葉がないか、会話をすることが困難な

自閉症の子に対して作る場合、どんな基準で作ったらいいのか

困惑するかもしれません。

次回は、それについてできるだけくわしく書いてみることにしますね。

 

少し前にも紹介したのですが、

自閉症のトムくん と 新しい成長の兆し 1

の下の方に、トムくんとの出会いからこれまでのやりとりを記録したものを

リンクしています。

記事中ではサラッと取り扱っているものの

そのひとつひとつの場面で、わたしはトムくん独自の『ものさし』を意識し、

その目盛りに合わせて自分の言動を調整していました。

つまりトムくんとの関係作りのための

バランスを取っていたのです。

 

また、自分の世界に没頭している自閉症スペクトラム障がいの子とのコミュニケーション

という記事で紹介した

小林隆児先生の 『自閉症と行動障害  関係障害臨床からの接近』という著書にある

自閉症の子の
ピョンピョン跳びはねるといった常同反復的な行動も、

「象徴機能をもった本来の身振りによる
非言語的なコミュニケーションに進展していくための過度的段階」と捉えて、


その背後にある意図を感じとって対応していくように気をつけていました。

 

「子どもの行動の背後にある意図を感じとる」ことは、

わたしがもともと得意としていることですし、これまで子どもたちと接するなかで

洗練させてきたことでもあるので、

「わたし」がそれを感じとって、適切な対応を取ることは、

相手が言葉を持たない自閉症の子でも、あまり難しさを感じないことです。

時が経てば、自然にわたしの言動も気持ちもその子の波長になじんでいくし、

子どもの方は、わたしという人間をとっかかりにして、足場にしながら、

その可能性や世界を広げ始めるのです。

でも、「わたし」が感じとっていることを、親御さんなどの

他の誰かに伝えることは難しいです。

言葉を選び、身振り手振りも加えて説明しても、

なかなか正確に伝わらない上、それを他の方が実践できるように

学んでいただくのはなお難しいです。

 

ただ、だからといって、それはわたしにしかできない特別なことなのか、

というと、そんなことはなくて、

そうした感性を持ちつつ、それを経験のなかで洗練させて、それが実践しやすい

環境を整えて活動しておられる方というのはあちこちにいらっしゃるでしょうし、

わたしも何人かの方にお会いしたことがあります。

 

ひとりの方は、トムくんが通っているアトリエの先生で、

「水の流れを見る」「水がしたたるのを眺める」「さまざまな触感の素材で、躍動感を味わう活動をする」

「他人との関わりに困難を抱える子が人と過ごすことに心地よさを感じていく」といった面で、

その感覚を通して体験する世界の豊かさに感動するほど細やかな個人対応の『ものさし』に基づいた

対応をされています。

(アトリエの先生はお忙しい方なので、そうした個人に細かく対応していただくレッスンのお申込みは

できるかどうかわかりません)

 

そのように実践できる方もいるし、実際、そうした活動をしていらしてすばらしい成果が出ていたとしても、

それを見た人が、環境を同じにして真似てみたら、同じようにできるのかというと、

なかなかうまくはいかないはずなのです。

といっても、もちろん、無理というわけではありません。

 

どうしたらうまく伝わるのか、

どうしたらうまくできていると実感していただけるのか、

どうしたら親御さんと子どもの波長があいはじめ、親御さんが子どもの成長の足場になってあげることができる

状態が作れるのか、

私自身が、試行錯誤の真っ最中なのです。

こうして、ながながと、同じタイトルの記事を書き連ねているのも、

少しでも「わかった」という何かをつかんでいただきたいと

願っているからでもあります。

 

 

次回に続きます。

 


アスペルガー症候群の子 と 算数のつまずき

2012-02-22 22:40:25 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

☆ちゃんはアスペルガー症候群の小学4年生の女の子です。

 

☆ちゃんのお母さんから、

小数のかけ算と割り算につまずいているとお聞きしていました。

 

すると、☆ちゃんがつまずいている理由がいくつか見えてきました。

☆ちゃんは数概念の意味を直観的に理解することに

困難を抱えています。

四則計算がそこそこできるようになっている今も、

324という数の4は1の位だから小さくて、3は百の位だから大きい値なんだ

といったことが感覚的にわからない様子です。

 

小数点をでたらめに打っていたので、

「小数点はうさぎみたいね」といって小さなピンクのうさぎの絵を描いてあげ、

「右側の小さい小さい数、ほらっ、1の位のところから、

ピョン、ピョンと跳んでいくよ」と、右手を意識させて

小数を動かし始める位置をはっきりさせると、

小数同士のかけ算も間違わなくなってきました。

 

アスペルガー症候群の子が算数でつまずいている時、

左右の方向感覚の弱さや

数の大小のイメージの弱さなど、

大雑把に全体をつかむことができないために、

部分部分の計算法は覚えているのに

混乱していることがあります。

といって、学校では、そうした初歩的なことは

簡単に説明して進んでいきますから、いつまでも定着していないことがあるのです。

「0.1は10分の1のこと」と答えるものの

0.01となると、首をかしげて困惑していたので、

「1個の丸いケーキの0.1にあたる量を動物にあげよう」という話をして、

図にしました。

それから、0.01も図にしてみて、

それぞれどの動物のエサにぴったりか、教室のお人形のなかから☆ちゃんに探してきて

もらいました。

 

セキセイインコとうさぎです。

 

↓モグモグ~エサを食べさせているところ。

☆ちゃんは、とにかく動物が好きで、動物の話なら

真剣に話を聞いてくれるのです。

 

小数÷整数の計算で、

あまりもきちんと小数をつけなくてはならなかったのですが、

学習量が少し多くなると、上の空になって

何も受け入れることができなくなる☆ちゃん。

でも、うさぎの人形を抱いている☆ちゃんに、

「うさぎはね、☆ちゃんが、あ~疲れたって言ってても、

暴れて暴れて、ピョンって跳ぶよね。

ほら、割り算して疲れたけど、最後のあまりのとこも、

うさぎは跳ぶのよ。ピョンって」と言うと、

大好きな動物の話に再び

目をキラキラさせて、小数点の位置を確かめて書き込んでいました。

休憩時間に、☆ちゃんはビー玉やおはじきをたくさん集めてきて、

小鳥の人形を乗せて遊んでいました。

「☆ちゃん、きれいね。鳥がキラキラしているものを巣に集めているの?」とたずねると、こっくりします。

「でも、恐竜の化石まで集めているの?」とたずねると、

「これは、ビー玉が転がらないように押さえているの」と言います。

「☆ちゃん、惑星はどうしてそんなところに置いているの?」と聞くと、

「これはおもちゃなの。鳥はおもちゃも集めるのよ」と答えます。

 

わたしは「あれっ?」と不思議な心地になりました。

というのも、少し前まで、☆ちゃんは遊んでいる最中に何をたずねても、

首をかしげて、「え~わからない」と答えることがほとんどだったのです。

でも、今回は、何かたずねる度に、それなりにつじつまの通った説明が

返ってきたからです。

お迎えに見えた親御さんにそのことを伝えると、

動物好きが高じて『ダーウィンが来た』のDVDを何十巻も見るうちに、

テレビを見ながら会話をするのがずいぶん上手になってきたそうなのです。

☆ちゃんのお母さんは、☆ちゃんがこんなに『ダーウィンが来た』が好きなら、

少しでも☆ちゃんと会話を交わすために、できるだけいっしょにDVDを見るように

努めていたそうなのです。

☆ちゃんはいつも「大好きなもの」を、家族みんなに

とっても大事にしてもらっているのです。動物が大好きなので、

アドベンチャーランドや動物園のさまざまなイベントにも連れて行ってもらっているのです。

 

☆ちゃんのお母さんのお返事をうかがって、

何だか温かなとてもうれしい気持ちになりました。

 

 


広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性発達障がいの疑いを指摘されたら 22

2012-02-22 12:47:58 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

その子独自の『ものさし』を作るということについて

やる気まんまんカセット

という記事にした出来事を例に、少し説明させてくださいね。

 

大きな声で騒いで、注意されても動きまわる子を、

落ち着いて活動に取り組むように導いていくためには、

一般的な基準を押し付けて繰り返し叱っても、

状況は改善しないものです。

 

(多動のある子の場合、親子関係が非常に重要だと思われるので、

わたしが教室で対応するだけでうまくいくわけでもないのですが……)

でも、どんなに行動に問題を抱えている子でも、その子独自の『ものさし』を

さまざまな場面で作って、

大人の側がその子の『ものさし』の目盛りで対応するようにしていると、

子どもは成長への意欲を見せ始めます。

 

やる気まんまんカセットの話に出てくる●ちゃんの場合、

わたしは、

「感情の琴線に触れるようなちょっとした出来事にぶつかった時に、

ほんの1、2分の間に、どんどんテンションが上がっていって、

乱暴に物をぶちまけたり、大きな声で騒ぎまわったりしなかった」というだけで、

 

落ち着いて過ごせていることを褒めたり、

我慢が続くように、ポンポンッとそっと背中をたたいて応援のエールを送ったり、

具体的にどのような点で良い行動がとれているのか説明したり、

お友だちからもそのことで認められたり励まされたりするような場面を設けたりしています。

 

なぜなら、●ちゃんが「騒ぎたい気分の時に、ほんの1分間、それを我慢すること」のは、

他の子らが、「1時間、静かに集中して学習に取り組むこと」以上に

努力を必要としているのが よくわかるからです。

 

他の子の1時間以上の我慢が、●ちゃんの『ものさし』では

1分の我慢に相当するとも言えるのです。

 

ですから、注意していなくては気づかないほどの

微細な成長であっても、

その一目盛りの伸びを

本人が自覚して、ひとつの達成感を味わって

自分の自信につなげていけるようサポートしてあげることが

大事だと考えているのです。

 

でも、もしここで身近な大人が

●ちゃん独自の『ものさし』というものを意識せずに接していたとすると、

つい不必要なお説教をしたり、嫌みを言ったり、

さらなる努力を強いるようなことを言ったりしてしまいがちなのです。

そうして成長しかけた瞬間に、

ネガティブで後ろ向きな態度に変換させてしまうことが起こるのです。

 

●ちゃんが、「みんなと同じことをするのは嫌だけれど、

自分だけみんなと違うことをするのも嫌だ」という

もやもやした思いを乗り越えようとしているところで、

それが正しいか間違っているか教えてもしょうがないところがあるのです。

 

大人だって、「カロリーを高いものを食べたら太ることくらい

わかっているけど、食べてしまう」からダイエットが難しいわけですよね。

 

●ちゃんのようなタイプの子にしても、

そうした考えがわがままなのは薄々気づいてはいるけれど、

そうした「自己中心的な衝動を乗り越えるのが、非常に難しい」というハンディーゆえに

ゆっくり成長しているのです。

 

そうした場面でも、●ちゃん独自の『ものさし』で、

小さな目盛りの成長をサポートしてもらいながら、

周囲からの責め立てられたり嫌みを言われたりして

ダメージを受けることからできるだけ守ってあげながら、

ひとつひとつ成功体験を積ませてあげる必要があるのです。

 

その子の『ものさし』と言えば、

本人がいつになくはりきっていて、本人の限界を超えて

がんばりを見せている時には、

どんどんがんばらせるのではなくて、

次の意欲につながるように、がんばったことで得られる喜びをいろんな形で

何度も味わうことができるように

サポートするようにしています。

 

 

子どもというのは、調子がいいときには、あれもこれも手を出したがって、

「もっともっとがんばって、もっともっと褒めてもらいたい」という

態度をしめすものです。

でも、もし子どもの言うままにがんばらせてしまえば、

飽きて疲れて、二度とがんばりたくないと考えるようになるのは目に見えています。

その子に適した「がんばり」はどれくらいの量なのか、

その子のものさしの目盛りから推理するといいですよね。

 

取り組む活動のレベルを、その子の『ものさし』に合わせて

「少しの努力」で「作業過程をいろいろ楽しめ」て、

「達成感がたっぷり味わえる」ものになるよう工夫することも

大事だと思っています。

たとえば、●ちゃんが作ったお雛様の作り方は、

紙皿に目鼻を描いて顔を作り、画用紙を2回折ると

身体や着物になるという作り方にしました。

作り方が易しい割に、紙を巻いたり、着物を着せたり、

やりがいのある作業が続いたので、やる気を持続することができました。

 

 

 

こうした『ものさし』も言葉がないか、会話をすることが困難な

自閉症の子に対して作る場合、どんな基準で作ったらいいのか

困惑するかもしれません。

次回は、それについてできるだけくわしく書いてみることにしますね。

 


広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性発達障がいの疑いを指摘されたら 21

2012-02-21 13:01:08 | 初めてお越しの方

これまでの記事に次のようなふたつのご質問をいただいています。

よく似たタイプのお子さんだと思うので、いっしょに答えさせていただきますね。

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先生の記事に感動しています。人形を使って描かせたりなど参考になりました。子どもの好奇心や発するものが、用水路や川の流れ(自分の目線から上、下どちらに向かって流れているかを見ている)やエレベーターに乗るなど感覚的なものにはずっと付き合うべきでしょうか。お水は「お水が上に流れてる」など言葉でのやりとりはいくつかあります。ずっとそれに付き合い、家で水で遊ぶかと言ったら違い、川の本もみません。エレベーター工作も一瞬で、動きを体感する感覚が好きなので、その世界に付き合うのは長い時間や他人では大変だな・・と思ったりもします。素晴らしい記事を沢山の中で付け加えの質問で申し訳ありませんが、子どもの好奇心が、身体で感じる感覚、何度も乗りたがるエレーベーターなどの困ったこだわりの場合のバランスやあわせ方を奈緒美先生に教えていただけますと長年の悩みから進めそうです。

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沢山の記事と先生の、文から伝わるか・・など先生の優しさに感動しています。参考になる内容ばかりですが、虹色教室のように部屋の中で物を使っての遊びが苦手です。車の心地よい動き空間、外の水の流れの方向を見る、エレベータの本物の動き、など好きな子の場合、色々おもちゃで代用しては感覚が味わえないので、無駄に終わることが多かったです。家では本物がいいのか、しいて言えば水槽を見る、毛布に包まるなど、マジックのふたを開け匂いをかぐ、とても独特でどう広げたらいいのか・・。先生の文を参考に探っています。常に車に乗り感覚刺激?を求めるので出かけないといらだちます。
人形やドールハウスはないのですが、興味ある水などをセットにして遊んでみるのがいいのかな・・と感じましたが先生いかがでしょうか。

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実際に子どもさんと会って、ゆっくり関係を作り上げていった後でないと

適切なアドバイスはできそうにないのですが、

わたしが答えられる範囲でお返事させていただきますね。

 

質問をいただいている方々はどちらも、お子さんの遊びを発展させてあげたいと思い、

繰り返している行動を次のステップにつなげるには

どのように接したらよいのか

知りたいと思っておられるのだと思います。

 

確かにそれは重要な課題です。

 

でもお話をうかがったところ、今は視点を少しずらして、

もっと大切な一点に焦点を合わせてお子さんと接する必要がある時期なのかもしれない

と感じました。

 

現在、どちらの方も子どもが何かする度に、その子がどんなことが好きか、

どんなことができるのかを観察し、自分の働きかけにどんな反応をするのかに

注意を向けていることと思います。

 

わたしがお勧めするのは、

そうした活動中、自分という人間の存在を「子どもがどのように肌で感じているか」

「子どもの目に自分がどのように映っているか」にフォーカスすることです。

 

子ども側の五感を自分に取り入れるようにして、

自分の存在や世界を感じるように

努めるのです。

 

遊びの質に気を取られていると、

人との関わりの接点となる経験共有の発達具合や、

共同注意がどれくらいできるのか

(全くできないとしても、激しい拒否なのか、

偶然同じ物を見る程度にはできるのかなどで、程度が異なります)

を正しく把握できないことがあるからです。

 

遊びの質について考え始めるのは、子どもとの関係がある程度できあがってきた

後の方が望ましいと思っています。

 

子どもとの遊びが、遊び以前の段階にあって、

子どもとの関わりが極端に希薄な場合は、

まずこの経験共有の発達具合や共同注意について

その子オリジナルの『ものさし』を作る必要があると感じています。

 

どうしてオリジナルの『ものさし』を作るのかというと、

その子の発達の度合いを緻密な部分まで測り取れる状態にすることは

もちろんなのですが、

それより、その分野での親御さんと子どもの力のかけ方の

バランスを取る目的が最も大きいです。

 

子どもというのは常に成長していく

育っていく存在です。

自閉症のお子さんにしても、もちろんそうです。

 

でも小さな成長を見せた時、その値が+3だったときに、

身近な人々から-100とか-1000とかいう値の圧力をかけられたら、

その成長は瞬く間に

退行へと変化してしまうのです。

 

わたしが自閉傾向の強い子たちと接していて感じるのは、

子どもの内面では常にそれまでは考えられなかったような方向に可能性が芽吹いて

進歩し始めているのに、

その子の敏感さに対して

周囲の人々の反応が粗野すぎて、

芽が出始めたかなというところで、つぶしてしまう姿です。

もちろん、どの方も子どもさんがかわいくてたまらなくて

心から子どものことを愛していて、考えてもいるのです。

それに、一般的な基準では、その方々の言動は粗野でも何でもありません。

 

でも自閉症のお子さんの場合、ちょっとした表情の変化、口調の強弱、

期待による大人側の熱心さ、無理強い、甘やかしすぎる態度

などで、蓄積され始めた肯定的な変化が、

たちまち不安や嫌悪感に囚われた態度に取って代わられることが多々あるのです。

 

ですから、まずその子の独自の『ものさし』を作って、

その目盛りの大きさに合わせて、

大人側も関わり方を決めていく必要があると思っているのです。

 

次回に続きます。