私は子ども時代、教会学校に通っていて、
そこで大人から子どもに求め、期待してくる
良い子に育って~立派になって~優しくね~オーラに対して、
心の中で強い反発や反抗心を抱えて成長しました。
それに加えて、聖書の放蕩息子の例え話で、
神は父のそばでまじめに働いていた兄ではなく、
放蕩の限りを尽くして戻ってきた弟を心から歓迎するというストーリー展開をみせることに、興味を覚えて、
神そのものが、聖書という小さな世界を出て、悪いものも含む
あらゆる思想的なものに触れて旅する放蕩と、そこからの帰還を
暗に望んでいるんじゃないか……
つまり、エデンの園を作ったのも神なら、
アダムとイブに知恵の実を食べるようそそのかした蛇も神だったのではないか……
と感じていました。
子どもは、比喩や暗喩が苦手……という話を聞くけれど、
それも個人差かな~と思うのは、小学生の私はある面、バカみたいな子だったけど、
比喩、暗喩に対してだけは異様に敏感だったのです。
小学校で宮沢賢治の「やまなし」を習ったときも、
いつも学校ではボーッと窓の外見てるんですけど、その授業にはとても集中して、「やまなし」の話に対してくわしく分析して説明したので、先生からとても驚かれて褒められた記憶があるのです。
大人の「良い子に育って~」に反発ばかりしていた手前、
わが子が生まれたときは、
わが子に「こんな風に育って~」と願う気にはとてもなれなくて、
まず、自分がどう生きるか、何を選び、何を目指すか、
まじめに真摯に、毎日にどう向き合っていくのか……
それに焦点を当てていくことしか、しようがない気もしました。
これからの世界には問題が山積みです。
環境問題、食料問題、差別の問題、戦争の問題……
そうした大きな問題は、
日々の小さな問題を他人の意見に依存せず、しっかり自分で考えて、
自分の頭ではなく心で、決断していくことの先にあるものだと思っています。
自分でしっかり考えるには、自分の感情や気持ちや本音と正直に付き合っていかなければなりません。
つまり、子どもに、まるで、脳内の初期設定で「良い子」をインプットしておこうとするような方法では、生身の人としての自分と、
行動が遠ざかってしまうのではないでしょうか?
子どもは、かんしゃくがやまない自分、ワガママな自分、
人の物が欲しい自分、
いつまでも泣いていたい自分を繰り返し体験する中で、
他人の心や感情や痛みを理解して、
優しくもなれ、譲ることもできるように
なってきます。
自分より幼い子の身勝手さにも寛容になります。
(最近、良い子にしつけられてきた中学生が、小学生が騒ぐからと暴力を振るった話を何度か耳にしています)
もう少しだけ続きます。
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そこで大人から子どもに求め、期待してくる
良い子に育って~立派になって~優しくね~オーラに対して、
心の中で強い反発や反抗心を抱えて成長しました。
それに加えて、聖書の放蕩息子の例え話で、
神は父のそばでまじめに働いていた兄ではなく、
放蕩の限りを尽くして戻ってきた弟を心から歓迎するというストーリー展開をみせることに、興味を覚えて、
神そのものが、聖書という小さな世界を出て、悪いものも含む
あらゆる思想的なものに触れて旅する放蕩と、そこからの帰還を
暗に望んでいるんじゃないか……
つまり、エデンの園を作ったのも神なら、
アダムとイブに知恵の実を食べるようそそのかした蛇も神だったのではないか……
と感じていました。
子どもは、比喩や暗喩が苦手……という話を聞くけれど、
それも個人差かな~と思うのは、小学生の私はある面、バカみたいな子だったけど、
比喩、暗喩に対してだけは異様に敏感だったのです。
小学校で宮沢賢治の「やまなし」を習ったときも、
いつも学校ではボーッと窓の外見てるんですけど、その授業にはとても集中して、「やまなし」の話に対してくわしく分析して説明したので、先生からとても驚かれて褒められた記憶があるのです。
大人の「良い子に育って~」に反発ばかりしていた手前、
わが子が生まれたときは、
わが子に「こんな風に育って~」と願う気にはとてもなれなくて、
まず、自分がどう生きるか、何を選び、何を目指すか、
まじめに真摯に、毎日にどう向き合っていくのか……
それに焦点を当てていくことしか、しようがない気もしました。
これからの世界には問題が山積みです。
環境問題、食料問題、差別の問題、戦争の問題……
そうした大きな問題は、
日々の小さな問題を他人の意見に依存せず、しっかり自分で考えて、
自分の頭ではなく心で、決断していくことの先にあるものだと思っています。
自分でしっかり考えるには、自分の感情や気持ちや本音と正直に付き合っていかなければなりません。
つまり、子どもに、まるで、脳内の初期設定で「良い子」をインプットしておこうとするような方法では、生身の人としての自分と、
行動が遠ざかってしまうのではないでしょうか?
子どもは、かんしゃくがやまない自分、ワガママな自分、
人の物が欲しい自分、
いつまでも泣いていたい自分を繰り返し体験する中で、
他人の心や感情や痛みを理解して、
優しくもなれ、譲ることもできるように
なってきます。
自分より幼い子の身勝手さにも寛容になります。
(最近、良い子にしつけられてきた中学生が、小学生が騒ぐからと暴力を振るった話を何度か耳にしています)
もう少しだけ続きます。
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