前回の会話の続きです。
息子 「マインクラフトじゃ、シンプルな素材だけの世界で、
自分がイメージして作りだしたものが特別な価値を持つゲームでさ。
最近になって、マインクラフトの人気が高まっているのは、溢れるほどたくさんある
モノに対して食傷気味の人々が自分の欲するものを探し出すより、
自分で1から作ってしまった方が早いし新鮮だって感覚を持ち始めているからかもな。
1万個ある猫のイラストから気に入る猫のイラストを探すより、
自分で描いてしまった方が楽ってこと。
そこには、物事に自分なりの意味を与えるって行為がわかりやすい形で存在するから
どんなに不出来な仕上がりになっても、一定の満足感は得られるだろうし。」
わたし 「そうね。今回のユースでそれが……意味を自分で与えるってことが……
子どもたちにとって、いかに新鮮で夢中にさせるものなのかをしみじみと感じたわ。
子どもが部屋のドアを乱暴に開け閉めすると危ないんで、開ける際にひと呼吸おくよう
外から「山」と声をかけたら「川」と答えるような合言葉を作るように提案したのよ。
忍者の合言葉を真似て。
ひとりの子が大事にしている2ひきのぬいぐるみの名前を合言葉にして、
「○○!」といえば「○○」と答えることになって盛り上がっていたわ。
途中で、合言葉を見破ろうとして思いつく限りの返事を並べる子が現れたんだけど、
見破ろうとしているわりに、同室の子らが大きい声でやり取りされてい
る「○○!」といえば「○○」を聞いて、
「あ~!○○って返事すればいいのか」と気づいてなかったわ。
自分の身体で初めて何かをする時、当然すぎるほどのことが思いつかなかったり
するのよね。
しまいに合言葉がばれると、そこは自分たちで知恵を絞って、
ドアを叩く音がすると、「○○!」と声をかけて、仲間の子は、
「マクラカバーを変えてください」と返すようにしてた。
それだと、合言葉だと思わずに、「もうすぐ食堂に集まって!」とか「部屋の掃除を
しておいてね」なんて声をかけてまわっているように見えるからでしょうね。
マクラカバーは、自分たちで考えたからよほどうれしかったみたい。
その部屋の子たちは、幼い妹ちゃんまで、真顔で、
「マクラカバーを変えてください!」と言ってたわ。
やっていることに対して、自分たちで新しい意味を作り出していくことって、
他と比べようがないほど心が浮き立つのよね」
自分たちで作ったくじびきに並ぶ子たち
息子 「人工知能が発達するにつれて……AIが囲碁でプロ棋士に勝ったり
プロ顔負けの絵を描いたりすることが話題になっているけど……
コンピューターに絶対できないこと……つまり、人が物事に自分で意味を与えようと
することだけど、その重要性を改めて強く感じるようになったよ。
競争をあおる教育の問題について、お母さんはよく気にかけているよね。
いろんな面で問題はあるだろうけど、それの何が悪いのかって、本来、子ども自身が
持っているものに、意味を与える教育がなされないことにあるんじゃないかな。
そうしたものに染まりすぎると、親も、自分の子について自分なりに意味を与えようと
しなくなるじゃん。成績とか音楽や運動の能力といった数値化できるものだけで
自分の子を捉えようとする偏った考えの人まで出てくる。
電化製品のレビューを眺めるような感じで。
目の前に存在する自分の子に対して、子どもがどのような子か、
どんな魅力を持っているのか意味づける行為を外部に任せるなんて。
コンピューターと人間を分けている境界線を無視しているようでどうなんだろう?」