虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

機能不全家族について  もう少し 16

2013-11-28 18:51:31 | 日々思うこと 雑感

機能不全家族について  もう少し 15 の続きです。

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「~12」までの自分の体験から気づいたことについて、言葉が足りないまま

別の話題に移っているので心苦しいのですが、

それについてはまた別の機会に書かせていただきますね。

 

肝心の「苦しい状態から抜け出し世代間連鎖を断ち切るための

わたしなりのひとつの答え」というのに行きつかないままダラダラと記事が続いています。

 こうだろう、という自分の体感の中に残っている答えのひとつは、

最初、自分自身の体験から得たものではありませんでした。

 

親として、わが子たちが思春期の複雑な心理状態を超えて

成長していく姿を見届ける中で、

見えてきたことです。

特に娘は、同性であり、感情や人との関係について

わたし以上に細やかな洞察力を持っていて、それを言葉で表現する力もあるので、

葛藤を抱えた心が、何を足がかりにして成熟に向かっていくのか

親のわたしが本当にたくさんのことを教わった感があります。

 

大人になっていくある時期、

母親も父親も疎ましかったり、めんどくさかったり、

生き方も考え方も、それこそ一挙一動にすらイライラと癪にさわってしょうがない時があるのに、

ふと気づくと、どれもどうでもいいことになって受容するようになり、

よその親に比べてこんないい面があると認めるようにもなり、

感謝や尊敬を口にするようにもなっていく姿。

親との境界線を保ちながら、

自分自身の弱さや不安や憧れや願望を正直に見つめながら

現実の世界と格闘していく姿。

 

そうした成長の軌跡を支え、推し進めていくのは

自己肯定感であり、

自分を信じ、認めて、欠点も弱みも含めて受容できる心なんだな、と

わが子を通して実感したのです。

また大切なのは、どんなことでもいいから、

親や他人を喜ばせるためでも、評価や注目を得るためでもなく、

自分が選んだ何かで、自信をつけていくことなんだな、ということです。

 

親のわたし自身は、結婚し、子育てに追われるようになっても、

依然として、思春期の心の状態に留まっていたところがあります。

さなぎの中から出られない自分に嫌気がさしたり、焦燥感にかられたりしながら、

長い間、そんな自分の状態を詩に綴るくらいしかできませんでした。

 

ある時、気づいたら、

その頃書いた詩の言葉は、過去のものになっていたのですが、

いつ、どうやって、何をきっかけに、そこから抜け出すことができたのかと

振り返ると、

わが子たちが思春期を卒業していく時の道筋とそっくりだと感じたのです。

また、教室の幼い子たちが、最初の反抗期を終えていったり、

葛藤を抱えて、問題行動を起こしている子たちが、その状態を脱していったり

する時とも重なります。

 

自分自身に自信をつけていくこと。

それも他人の目を通して自信をつけるのではなく、

自分で自分にOKを出す機会を増やしていくことなのです。

 

機能不全家族に育つということは、

子どもの自己肯定感を搾取する親、自分への信頼感を奪っていく家族、

どんなにがんばっても、どんなに成果をあげても、

自分に自信を持つことを許してくれない家庭で育つということでも

あります。

大人になって、自由な生き方や考え方を選べるようになって、

自分の自信を育くんでいこうと決心しても、

何もかもゼロからのスタートです。

自分の中に取りこんできた親や他人の手厳しい評価に傷ついて、

結局、本当に自分の自信につながるような何かに手をつけられない

という方は多いのではないでしょうか。

 

そうやって、自分を育てる作業から目を逸らしていると、

わが子の欠点が気になってしかたがなくなったり、

常に騒動の中にいる機能不全状態の実家の問題に巻き込まれずにはいられなく

なったりしがちです。

もちろん、現実にある問題は問題ですから、

それに対処する必要はあるのです。

でも、それは、自分自身を育てること、自分の自信につながるような何かに時間を使うことを

避けるための裏の目的になってはいけないと思うのです。

 

「子どもを健全に育てていくには、まず、自分自身と真摯に向きあい、自分の自信につながるものを育んでいくことが

大事なのではないでしょうか?」

熊本で出会ったお母さんたちにそう伝えると、

「そうです。確かに、その通りです。わが子の心配ばかりしていたけれど、実は……」という返事が返ってきました。