虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

機能不全家族について  もう少し 3

2013-10-29 13:47:38 | 日々思うこと 雑感

過去は変えられないものなのに、世代間連鎖を断ち切ることができた理由のひとつに

親以外の大人たちから注がれた愛情を挙げると、

そうした縁に恵まれなかった方に対して、何のアドバイスにもなっていないようで心苦しいです。

でも、そんな方も、

自分の子どもたちに負の連鎖をつなげないための方法として、

こうした捉え方があることを知っていただきたくも

あり書くことにしました。

 

機能不全家族で育つと、何に対しても強い責任感を持つようになる方が多いと思います。

子育てをするにしても、親のような子育てはしたくない、子どもには幸せな人生を歩んでほしい、世代間連鎖を

断ち切りたいと強く望むため、親のがんばりだけで子どもの人生をコントロールしようと

してしまいがちです。

でもそうやって一生懸命がんばる方角に向けていた針を、

あまり無理をせずに、自分が楽しく安心して暮らすことや、

子どもがより多くの人と関わり、異なる価値観に触れることを受容するような

方角に向けることが、

長い間続いてきた問題を消滅させるカギとなることもあると、自分の体験から実感しています。

 

子ども時代を通して、わたしはいろいろな人から、可愛がってもらい、

わたしの個性を大切に扱ってもらった記憶があります。

 

両親が自分の問題でいっぱいいっぱいの時も、

わたしがわたしらしくあることを望み、ありのままのわたしを好きでいてくれる人たちを

いつも身近に感じていました。

だからわたしも教室の子や近所の子らと会う時は、ひとりひとりの個性の輝きと

ていねいに接していきたいと思っているのかもしれません。

また、自分の子ども時代のことをこうした記事に書くのも、他所の子もわが子と同じように

愛せる素地のある人が、今の時代でもそうして良いと思うきっかけになればと期待しているのかも

しれません。

 

 今もはっきりと記憶に刻まれているこんな出来事があります。

友だちとおしゃべりしながら近所をぶらついていた時、やっと目が開くか開かないかくらいの子猫を見つけました。

 

わたしはそれまで何度も捨て猫を拾っては、さんざん周りに迷惑をかけてきたという自覚がありました。

一件家に住んでいる親友のお母さんは、わたしが何年かおきに拾っては押しつけた猫を飼うのに苦労していて、

わたしに会う度に、「猫拾いさん、絶対、もう猫を連れてこないでよ。おばちゃんはもう猫は飼えないよ!」と

苦言を呈していましたし、

田舎に帰省した際は、わたしが子猫を拾ったために、母が駅前で子猫を入れた箱を抱えて

飼い主探しに奔放しなくてはならなかったこともありました。

そのため、普段なら、妹たちが捨て猫にエサを与えているのを見かけても、

「団地じゃ、猫を飼えないのよ」と注意して、猫に近づくこともためらっていたはずでした。

 

ただ、その日、思わずその子猫のそばにしゃがみこんでしまったのは、

子猫の皮膚がむき出しになった白い身体を、

無数のゴマ粒のようなものが這っているのが

目に着いたからでした。

それがあまりにむごたらしかったのと

こんなに気味の悪い虫にたかられていたら、誰も子猫を拾ってくれないと心配でならなかったので、

友だちとふたりで家の風呂場で洗ってやって、もう一度元の場所に戻しておこうと決めました。

 

母はパートに出ていて、留守でした。

まだふにゃふにゃした子猫ですから、

最初はおそるおそる濡らしたタオルで拭いて虫を取ろうとしていたのですが、

相手はしつこい猫ノミで、それではとても埒が明きません。

そこで、ベビーバスで赤ちゃんを洗うようなあんばいで、洗面器にぬるま湯をためて洗ってやりました。

すると、もともと弱っていた子猫が身体の力が抜けたように、くたっとなったのです。

自分のせいで子猫が死んでしまうのではないかと

血の気が引きました。

それからタオルにくるんで移動する間も、子猫の容態が気になってしかたがありませんでした。

いざ、子猫を元の場所に置いて去ろうとした時、駆け寄ってきた女性から、

猫を捨ててはいけない、捨て猫なんてとんでもない、とすごい剣幕でののしられました。

仕方なく、ふたたび子猫を抱いて歩きだしたわたしを、その女性はずっと睨みつけていました。

 

猫を抱いている間中、わたしの余計なおせっかいで猫が死んでしまうのではないかと思うと

頭がまっ白になって、

足がガタガタ震えていました。

そうして近所中をぐるぐる歩き回った挙句、

「絶対、もう猫を連れてこないでよ。」と言い渡されていた親友の家に向かいました。

 

わたしの姿を見て、呆れかえっていたそこのお母さんは、「飼えないよ」と繰り返し釘をさしていましたが、

泣いているわたしの顔を見るに忍びなかったようで、

しまいに、「猫拾いさん」と言って、わたしの頬を少しつねる真似をしてから、

子猫を引きとってくれました。

 

しばらくしてから、遊びに行くと、部屋のあちこちに積み上げてある本の上を

猫たちが占拠していて、そのそばにわたしが連れてきた子猫もいました。

そこのお家の気立てのいい母猫が世話を焼いてくれたようなのです。

 

親友の家のリビングは、壁一面が本棚になっていて、何の本が並んでいたのかさだかでは

ないのですが、分厚い百科事典がずらっと並んでいるコーナーがあったことは覚えています。

わたしが何かたずねると、そこのお母さんがいちいちそれを取りに行っては、

事典の一節を説明してくれていました。

その内容はひとつも思いだせないのですが、百科事典を引き出す後ろ姿は記憶に焼き付いています。

 

わたしが本好きなのを知って、数駅先の図書館まで連れて行ってくれたのは、

別の友だちのお母さんです。

遊びに行く度に、美しい色板や工作素材や質のいい児童文学に触れさせてくれる方でした。

ガラス張りのベランダでセキセイインコを放し飼いにしていました。

せっかく訪ねたのに友だちがいない日には、甘いミルクティーを入れてくれて、

しばらくそこのお母さんとおしゃべりした後で、抱きしめてから家に帰してくれました。