父がどうして、少し話をするだけで、相手の弱みやコンプレックスや罪悪感のありかを嗅ぎ付けて、
それを掌握してしまうことができたのかといえば、
おそらく父にはちょっとした仕草や戸惑いや躍起になって弁解する瞬間や、言葉にしたこととあえて言葉にしなかったことから、
相手の心の動きが手に取るように見えていたからでしょう。
また父には、何かを観察する時に、結論を急がず、ひとつひとつ詳細に分析していくところがありました。
学問の世界とは無縁で、仕事も肉体労働に終始していた父ですが、
時折、「ああ、またか」と家族をうんざりさせる形で、
父の頭の使い方を知る機会が何度かありました。
母の療養のため、父母が田舎に移り住むことになった時、
「日曜ごとに競輪や競馬に通い詰めている父が、退屈な田舎暮らしに我慢できるのか」と心配していたところ、
母から、「父さん、近所にいくつかパチンコ屋があるから、けっこう楽しそうに過ごしているわ。
うまくある分でまわして、お金はほとんどかかっていないみたい。」
という報告を受けたことがありました。
が、それから少しして、母が、
「どのパチンコ屋にも出入り禁止になったらしい」と伝えてきました。
理由を聞いたところ、それぞれのパチンコ屋ごとの台の性質やどんなサイクルでどんな出方をするか
といったことを細かく調べ上げていたようです。またそれらすべてを頭に納めて、
出る台から出る台へ移っていたところ、
あまり何日も勝ち続けるので、出入り禁止を言い渡されたそうなのです。
父は粗暴で毒のある性格で、母に手を上げることも多かったけれど、
わたしは疎ましく思うことはあっても、あまり恐れてはいませんでした。
それこそ、父の顔が怒りで蒸気して、まるで射抜くような目でこちらを睨んでいるような時も
こちらはこちらでひるみもせずに父の顔を見返していた記憶があります。
気の強いはずの妹がまるで引きつけたように泣き叫んで
父の剣幕におびえているのに、
おっとりのんびりした性格の弱々しい感じの子だったわたしが、
よくそんなことができたものと呆れるけれど、
父が人の弱みやコンプレックスや罪悪感をすぐに嗅ぎつけるのと同じように
わたしには、虚勢の下に隠れた父の気の弱さやコンプレックスや罪悪感、空虚さや不安といったものが、
はっきり見て取れたのです。