この記事は、過去記事の一部です。問い合わせがあったので、その部分だけ取り出して
紹介しています。
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わたしはよく子どもたちに「クイズ」や「なぞなぞ」を出します。「算数の問題」の時もあります。
他のことで遊んでいる最中も、ちょうどいい問題が見つかったという時には、
片手を半分くらい挙げて、「も、ん、だ、い、だすよ~!」とか「なぞなぞするよー!」と注意を引きつけてから、
実物の見本を見せながら、問題を出します。
広汎性発達障がいの子に問題を出す場合、
たいてい、「あたりまえでしょ?」「常識……」と誰もが感じるような易しい現実の世界についての問題を
出します。
どうしてそんな易しい問題を出すのかというと、
そうした子たちの知的なレベルが低いからではありません。
問題を出す目的が、
問題を出して、できるかどうかを試すためでも、
問題を通して、知識を増やすためでもないからです。
問題に答えるという体験自体を楽しく感じさせ、
「問題を答えることができた」という成功体験を積ませたいからです。
「あっ、問題だ!きっとできる!解きたい!」という気持ちで人の声に注目する
構えを作りたいと考えているからです。
親御さんのなかには、問えばよそ見しながらいやいやでも
何とか返事をするからという理由で、こうした子らに、
「今日は幼稚園はどうだった?」「学校は楽しかった?」といった
返事に困るような質問を浴びせて、
すっかり質問嫌いにさせてしまう方もいます。
もともと人の声の方に気持ちを向けることに
興味が薄い子らですから、質問という点で、
嫌な体験はできるだけさせず、「楽しい、面白い、自分にもできる」という
経験をたくさんさせることが大切だと思っています。
広汎性発達障がいの子らは、相手の質問に答えたり、相手の声に注目したりすること
自体が苦手です。
ですから、本人にとって考えなくてはならないレベルの問題は
いきなり問題を本人にぶつけず、
人形に問いかけたり、親自身が自問自答して考えこむそぶりをするくらいがいいかもしれません。
先ほど書いた「あたりまえでしょ?」「常識……」と
誰もが感じるような易しい現実の世界についての問題というのは、
どのようなものか例をいくつかあげますね。
毎度、毎度、トイレネタが出て下品なのですが、
自閉傾向のある子は、トイレネタが好きな子がとても多いので、
(ドールハウス遊びも最初は、「トイレ!トイレ!」とかけこむ話が多いです)
お許しください。
食べ物の話も、たいていどの子も好きなのですが、自閉傾向のある子たちは、偏食が激しい子がいて、
必ずしも食べ物に惹かれるとは限らないのです。その点、トイレの話はどの子も
すぐに飛びついてくるな~という印象があります。
たとえば、その子の弟くんがトイレに行ったとしますよね。
すると、わたしは、片手を半分ほど挙げて、ちょっとオーバーに、
「問題です!◎くん(弟)は、どこへ行ったでしょうか?」とたずねたり、
「問題です!あれあれ、だれか、ひとりここにいない子がいますよ。だれでしょう?」
とたずねたりします。
もし無視しているようなら、人形たちに「わかった、キティーちゃんでしょ!」
「きっとトイレに行ってるのは☆くん(質問されている本人でしょ)などと間違った答えを言わせます。
そこで、興味を持って、答えを言う場合もあるし、
それでも知らんふりしている場合もあると思います。
でも、こうしたその子が十分答えられるレベルの問題を何度か出していると、
「はい!はい!」と手を挙げて、答えたがるようになってきます。
また、人形に、「トイレに行ってるのは、ここにいない子だよ。
☆くん、いるね、ナオミ先生いるね、それからママもいるね、わかった!☆くんのパパだ!」と言わせてみます。
もし子どもが、「ちがうよ」とか「◎くん!」と言えば、
「どうして?どうして?ここには、パパもいないのに」と問い返すと、
懸命に頭をひねって考えるそぶりをするかもしれません。
自閉傾向のある子と健常の子の違いは何かということを
ひとことで表すと、
「一般化」することが得意か、苦手かということにつきるのでは
ないでしょうか。
「一般化」というのは、それまでの体験の蓄積から
暮らしやすく生きるためのルールを導きだしていくことです。
それも特に人間関係に関わる部分での「一般化」する力に
大きな違いがあるのを感じます。
知的な能力の高いアスペルガー症候群の子と健常の子とを
いっしょにグループで学習させていると、
教えたことをひとつひとつ記憶していくことや、それを再現してアウトプットすること、
数学の分野で「一般化」することなどは、
アスペルガー症候群の子の方が優れていることが
よくあるのです。
でもそれ以外のことを「一般化」する力が
極端に弱いために、どんなに学力が高くても、
聞き分けのない2,3歳児の子に近いような過ちを繰り返すことも多くて、
さまざまなトラブルを生みだしがちなのです。
「一般化」ということに関して
もう少し具体的にくわしく書かなくては
わからないでしょうが、まず結論から先に、
それにわたしがどう対応して問題を解決しているのかお話しますね。
まず、会話ができるようになっている自閉っ子とは、
ひとつひとつの出来事とそこから導き出されるルールについて話をする機会が
しょっちゅう持てるように気をつけています。
たいていの自閉っ子は、叱られて初めて
自分が「一般化」に間違った事実に気づきます。
でも、自閉っ子というのは、前にも書いたように
恐怖や不安にとても弱いですから、
叱られている場面では頭がフリーズして何も考えていないものですし、
意識をどこかに飛ばしたような状態で対応していることも多いです。
またくどくどと説明されると、
聞くこと自体をやめている場合もあります。
大切なのは、本人に「一般化」に関して
静かな環境で
何度も自分の頭で答えを導きださせることだと思っています。
また、それについて、日常のこまごましたことまで相談できる相手を作ることです。
自閉っ子が「一般化」をするのが苦手なのには、さまざまな理由があるはずです。
ひとつには、
「これこれこういうことをしたら」→「こうなる」
とルールを導きだす時に、
体験のなかから何が重要で、何が重要じゃないか、どれが結果と関わりがあって、
どれが一般化してもしょうがないような些細な事柄なのかを判別して、
→「こうなる」
という関わりがあるものをセットにして記憶していくのが苦手なんだな、と感じます。
この点に関しては、自閉っ子の多くが、普段、物を見る時点で、全体像ではなくて、重要さから言うとかなり
はずれた感のある細部に注目していることが多いことからして、
いかにも苦手そうです。
また、不変のルールが定められている秩序のある世界のルールを、
人の気持ちや状況でコロコロ変わるような変化の激しいものにまで
当てはめて一般化しようとするので、
日々の暮らしが辛くなっていくんだな、とも思います。
健常の子らも、2、3歳頃の、目で見える秩序に敏感な時期は、それが世界の単一ルールで、
それをその秩序で動いていないものにまで当てはめて、自信満々に意見をしてくるので、
何ともかわいらしい「トンデモ発言」をよく口にするのです。
たとえば、教室の男の子が幼い頃、
最初のうち、乗っている電車のドアが、「右、左、右、左」の順に開いていたので、
次には「右」が開くものと思っていたのに、再び「左」が開いたものですから、
「あっ、電車が間違えた!」と言いました。
でも目に見える部分だけで分類したり、秩序づけたりしていた子らが、
いつのまにか、意味で物事を分類してみたり、
周囲の人のかもしだす雰囲気で重要度を判断したりしはじめます。
↓は、年中さんのグループレッスンで、子どもたちが、「ずうずうしい」という概念を
自分のなかで一般化していくまでの過程です。
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◆くん、○ちゃん、◇ちゃん、☆ちゃんの年中さんの子たちのレッスンで、ハムスターのお人形で遊びました。
この時期の子たちは、イメージを膨らませてさまざまなことを考えることが得意になってくるので、
ごっこ遊び上のストーリー展開や会話の進展に
「どんだけ楽しいの?」と不思議に思うほど夢中になります。
↑の写真は、ハムスターが神社にお参りにいって、
ちょっぴりずうずうしい願い事を言うストーリーで遊んでいるところです。
チリンチリン~と鈴を鳴らして、
「どうぞ、神様。ひまわりの種と、バナナとお菓子とプリキュアのおもちゃと自転車と
かわいいかばんをください。朝、起きたらベッドの横のところに置いといてください。」と言うと、
子どもたちは大喜び。
自分たちも、ハムスターを手に、神社にお願い事にでかけます。
チリンチリン~「いっぱいお菓子をください。それからジュースもください」などなど。
そこで、私が、「ハムスターったら、そんなにいっぱいお願いばかりして、ずうずうしいねぇ」と言い、
ハムスターを手に、○ちゃんに、「ねぇ、人間さん。ずうずうしいってどういう意味?教えてちょうだい」とたずねました。
すると、○ちゃんは、首をかしげてとまどっていました。
わたしはこんな風に説明しました。
「神様、チョコレートを1枚くださいってお願いするのは、ずうずうしくないね。でも、
神様、チョコレートとキャンディーとクッキーをテーブルの上からあふれるくらいと、ベッドの上にお山ができるくらい
ちょうだいってお願いしたら、それはずうずうしいねぇ」
それを聞いた○ちゃんは、「本当に、それはずうずうしいわぁ」とうなずきました。
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自閉傾向のある子とこうしたやりとりをしようとすると、
健常の子らがそうしたことに敏感になっている時期には、
会話の流れを無視していたり、
「ずうずうしい」のように自分の感情に響かなくては理解できない言葉を、
音だけ真似て使っていたりするかもしれません。
でも、数年遅れで、それまで一般化する上で間違って解釈していた言葉や
ルールにとても敏感になる時期があるのを、小学生の広汎性発達障がいのある子らと
ごっこ遊びやお人形遊びをしていると感じます。
上手に適応していて、見たところしっかりしているように見える子たちも、
間違って一般化したルールをたくさん信じていたり、
ごくごく常識的な質問に「わからない」と首をかしげたりします。
こうしたお人形遊びや会話を通して、論理的に筋道を立てて考えていく方法を学びながら、
わけがわからなくて不安だった世界と上手につきあっていく術を習得できたら……と思います。