前回の続きです。
★くんは
自分の頭で考えて、判断して、
自発的に動いている時に、
いきいきしているし聞き分けもいいことがわかりました。
そんな時には、★くんの表情には誇らしさや達成感や向上心が浮かんでいました。
★くんのお母さんはつい先回りして、
★くんが次にすることを言ってしまいがちでした。
すると、★くんが自分で考えたり、自分で決めたりする部分がなくなってしまいます。
そのためか、★くんはお母さんが言葉を発するより先に
目についたものに飛びついていって、「ぼくは、知っているもん」「言われなくても、わかっているもん」と
証明したがっているような姿がたびたび見られました。
レストランの入り口で漢字のプレートを見て、戸を引いたのも、
レストランの子ども用の椅子を運ぼうとしたこともそのひとつです。
もし子どものそうした姿を目にしたら、
次から、
「★くんが自分で考えて判断する機会を奪わないように
声かけに注意しよう」とか、
「自分で考えてやりとげた、と思えるような体験をたくさんさせてあげよう」
と、身近な大人は
接し方を調整する必要があるはずです。
最近になって、★くんのお母さんも、「こんなにも自分でやりたかったのか」と
気づくことが何度もあったそうです。
とはいえ、★くんのお母さんの対応は、「★くんにやらせはするけれど、考えさせはしない」
か、
「全て★くんの思うようにさせて、ちょっと触っては飽きているような遊び方をしている時も、
離れたところから見ているだけ。(放任しすぎて、精神面で満足させない)」
かの両極端に陥っていました。
★くんの知的な力を信頼し、
★くんの想像力がより広がるように会話し、
好奇心がこれから起こることを予測したり、なぜなのか推理したりする
頭脳活動を楽しめるように、
言葉を交わしながら
心を響かせあったりすることがあまりに少ないのです。
また誇りや達成感や向上心を味わえる機会を増やし、
それを言葉でも認めていくことで、
「できるだけきちんと振舞いたい」というお兄ちゃんになりたい
という憧れを育てていくこともほとんどありませんでした。
もちろん、今すぐ、それらが全てできなくちゃならない、ということはないのです。
ただ、身体をケアする赤ちゃん時期の子育てから、
知恵と心を育んでいく幼児期の子育てへとゆっくりでも変化させていくことが
大事なのです。
★くんのお母さんは、★くんが母親よりも、母親以外の大人の言うことをよく聞くことから、
何か学ばせるなら、習い事をさせた方が身に着きやすいのではないか、
と考えておられました。
習い事をすること自体は★くんに合っているのかもしれないし、効果があるのかもしれません。
でも、今、★くんの言動から伝わってくるものを感受して、★くんにどうフィードバックを返していくのか
ということを思うと、
それは結果を急ぎすぎているようでもありました。
★くんは、★くんのお母さんに伝えたいこと、わかってほしいことがあるはずですから。
また、お母さんとのより今の★くんに適した関係作りを
すっ飛ばして、いくら習い事の先生といい関係ができても、
★くんは満足しないように思えたのです。
「★くんがお母さんの指示に従うこと、聞き分けがいいこと、困った行動をしないこと」を
正解としてしまうと、
誰か子どもをしつけて教育するのが上手な人に、
★くんのそうした困った面を修正してもらい、★くんさえお母さんの思うよい子になれば
いいことになります。
お母さんの★くんへの対応は、赤ちゃん時代のままで、
★くんの思考力を奪うものであったり、★くんの自立を妨げるものであっても
いいことになってしまうのです。
でも、それだとせっかく★くんの方から投げかけられている
お母さんへのダメ出し……
つまり、「もうちょっとぼくに自分でやらせてよ」「お母さんが思ってるよりぼくはもっとすごいことができるんだよ」
という気持ちや、
「お母さんといっしょに、想像したり、推理したり、理由を考えたり、他人の気持ちを思いやったり、
アイデアを思いついたり、あれこれ思い出したりしたいなぁ」と精神的な生活の向上を求める願いが
そのままになってしまうのではないでしょうか。
★くんの認めてもらいたい気持ちは習い事の先生にも満たしてもらえるし、
そうするといい子に振舞えて、そこで知力もアップするかもしれません。
でも、★くんが一番に認めて欲しいのは、習い事の先生ではなく、お母さんでしょうし、
よい関係を築いていきたいのも、やっぱりお母さんなのでしょうから。