虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ブロック講座6日目 ブロック遊びで、考えること、想像することが好きになる 2

2012-11-12 17:12:48 | レゴ デュプロ ブロック

↑ (ロボットの)ハエです。

 

前回の続きです。

 

② 「課題を作り出す」ことが上手になります。

サイズへの気づきが数の増減の理解につながります。

 

物作りに親しんでいると、「もっと高くしたい」「本当に水が出てくるみたいに見えるシャワーのついているお風呂がつくりたい」

など、日常の中で、「こんなことできないかな?試してみよう」という気持ちが起こりやすいです。

 

ものさしを使うのが難しい年齢の子でも

高さや長さを簡単にそろえることができるのがデュプロブロックのいいところです。

また自然に同じサイズのパーツを扱うことが増えるので、

そうしたサイズをそろえる作業が、

そのまんま数の増減の理解につながりやすいです。

 

身近な大人が、トンネルや車庫、牧場の囲い、立体駐車場、

お家などのシンプルな立体作品の見本をいろいろ作ってあげることも大事です。

 

③ 想像力を膨らませます。

 

ブロック遊びにいっしょに付き合うことで、子どもの想像力を広げるお手伝いができます。

たとえば、動物で遊んでいたなら、動物たちを調教してサーカスに出場させるようなストーリーで遊べるし、

動物の住んでいる環境(ジャングルや砂漠や氷の世界など)を作って遊ぶこともできます。

パレードをして、音楽を演奏してもいいし、サファリパークを作って子どもと車に乗って見て回るのも

楽しいです。

 

④ 科学的な力に精通します。

 

輪ゴムがあれば、デュプロブロック数個で、

ブロック電車を連結できるし、開閉するドアも作れるし、知恵の輪のようなパズルも作れます。

体操人形も作れるし、野球ゲームも作れるし、さまざまな働く車も作れるし、回転する遊具も作れます。

磁石や懐中電灯にしても虫眼鏡にしても鏡にしてうちわにしてモーターや豆電球にしても、それを使って、

幼い子でも簡単に

ありとあらゆるものが作り出せるところがデュプロブロックのすばらしいところです。

そうして遊ぶことで

その働きに精通していくことができます。

 

⑤ 理由に対して敏感になります。

論理的に考えるようになります。

 

(写真は以前のものです)

くるくる回すだけで車が引っ張られるのはどうしてなのか?

ブロック遊びに動きを取り入れることで、

疑問がたくさん生じて、理由を知りたいという気持ちが高まります。

論理的に考える力も育まれます。

 

⑥興味の世界が広がる。

(写真は以前のものです)

「清水の舞台から飛び降りる」なんてことわざがどうして生まれたのか、作ってみて納得した子どもたち。

歴史的建造物にしても、宇宙開発にしても、ブロックで気軽に作るうちに

興味がどんどん広がっていきます。

 

(今回のブロック講座は写真を少ししか撮っていなかったので、過去の写真も使用しています)


ブロック講座6日目 ブロック遊びで、考えること、想像することが好きになる 1

2012-11-12 12:47:27 | レゴ デュプロ ブロック

デュプロブロックというと幼い子向けというイメージがあると思うのですが、

わたしはこのシンプルなおもちゃの大ファンです。

ブロック講座でどうして小さいサイズのレゴを使わないのかといえば、

レゴは形やパーツが多彩で、頭を使わなくても

思い通りの形ができてしまうからなのです。

 

最初から動くように作られているパーツもたくさんありますから、

動きを作り出すためにわざわざ科学的な力について学んだり、物の構造を

探求したりしなくても、そういうものを購入すればいい、ということになって

しまいます。

 

その点デュプロは、何の変哲もないレンガのような形が2、3種類あるだけです。

知恵を絞って、

ただの四角い形にしか見えなかったものから

あっと驚くような形や動きを生み出す面白さが絶妙なのです。

 

作品を見るだけで、新しい視点や思考の仕方が

言葉を介さず伝わる良さもあります。

どういうことかというと、上の写真のような

ブロック作品を見るだけで、真上から見た図、真横から見た図、正面から見た図を

表現するとどうなるのか、

直感的にわかる、ということです。

 

上の写真のくまでしたら、

「ブロックの凸の1点だけをつなぐと、動きが生まれる」という事実から、

「それなら別のつなぎ方をしたらどうなるの?」

「つなぐ点を変えると、動く範囲は変わるの?」

「動くために隙間が果たしている役割は?」といったことに

子どもたちも目で気づいていきます。

 

「ああ、この動き方は踏切に似ている。踏切が作れるな」「ドアの開閉ができるな」

といったことを思いつく子もいるはずです。

 

そうした気づきは、最初からそれに適した形に作られていて、

そう動くようになっているものを買ってきたのでは

生まれてきません。

 

ちょっと妙なたとえなのですが、主婦が毎日、料理を作っていく際にも

同じようなことがいえると思うのです。

 

最近は便利な食材がたくさん売られていて、

「○○料理長の八宝菜の素」とか、

「卵があればすぐできるビビンバの素」といったものを買ってきて、

そこに書いてある通りに野菜を切ったり、卵を入れたりすれば

あっという間に、プロの味とまではいかなくても、

そこそこおいしい料理を作ることができるようです。

 

でも、それを続けていると、

毎日作っているという点では変わらなくても、

だいこんやかぼちゃを買ってきて、その素材を使ってどういう風に調理しようか

と試行錯誤しながら料理の腕を磨いている方とでは、

料理の腕前に開きが出てくるように思うんですよ。

 

子どもの場合、頭の使い方という点で、

日々の遊びが大きく影響してくるのではないでしょうか。

できあがっているおもちゃに遊んでもらうのではなく、

素朴なおもちゃに能動的に働きかけて、頭を使う喜びに目覚めるような

遊びの体験を用意してあげたいものです。

 

だから、デュプロでなきゃいけない、ってわけではないのです。

ティッシュ箱でも、紙コップでも、輪ゴムでも、一枚の画用紙でもいいんです。

もちろん、いつものお散歩道だってかまいません。

それをさまざまな視点から眺め、活用し、自分を表現し、探求し、味わい、イメージをふくらませ、

言葉で理解するといった経験を子どもにたくさんさせてあげたい

のです。

 

幼い子向けのブロック講座では、親御さんたちに、

そうした体験を子どもにさせるためのサポートの仕方を学んでもらっています。

どのような点に焦点を当てて関わっていったらいいのか、ブロック遊びを通して子どものどんな力が伸びるのか

 紹介していきますね。

 

① 「記憶したことを思い出す」のを

楽しむ体験を。

 

その日見たもの、気づいたことを

ブロックで再現して遊ぶと、記憶を再現するのが楽しくなってきます。

たとえば、工事現場で働く車を見た後で、ブロックをバラバラと散らかして、

手でガッとつかんで、上にもちあげるシーンを再現するだけでもいいのです。

そんなの創作じゃない、と思うかもしれませんよね。

でも、

そうした遊びが楽しければ、次は、車はどのようになっていたのか、

よく観察しようという気持ちが生じますし、

バラバラのブロックの周りを囲って、より工事現場らしくしようと

考えるようになるかもしれません。

作ることで、「夜は、工事現場はどうなっているの?」という関心につながるかもしれないのです。

 

とにかく、見聞きしたことを忘れてしまわずに、

再現して活用し、そこからアイデアや次の予測を導き出すような

頭の使い方ををするようになっていきます。

 

次回に続きます。

 

 

 


全国学力テスト  円の面積がわからない小6生 中3生

2012-11-12 09:35:44 | 算数

過去記事です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

文部科学省が、
小学6年と中学3年を対象に実施した
平成22年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果を公表しましたね。

これで気になったのが、円の面積がわからない子どもたちの存在。
19年の小6時にも学力テストを受けた中3では、3年前と同様に円の面積を求める公式を理解していない割合が1割超に上っているのです。

注意が必要なのは、
まったくわからない、知らないのではなくて、
「直径×円周」としたり「半径×円周」としたり、近いんだけど、微妙にちがうという求め方で間違えたということです。

この円の面積が求められない子たちというのは、
おそらく携帯電話の新しい機能は使いこなせる子たちで、アイドルの近況については正確に覚えていられる子たちなのでしょう。

つまり、知的な能力としたら、
「半径×半径×円周率」が3年かかっても覚えられないなんて重篤な問題を抱えている子はほとんどいないだろう……ということです。

それなら、どうしてこんなにもできないのでしょう? 
学校は何を教えているのでしょう? 
いや、学校は必死で教えてても、子どもが少しも聞いてないのでしょうか……?

私は、この問題は、「子どもにわかるように教えているか」という
先生側の問題ではないように感じています。

以前、現代っ子に共通する算数が苦手になる原因という記事で、


★ 簡単でシンプルなものを直視できない

★ 単純な情報にしっかり意識を向けていられない

現代っ子の特徴について記事にしたことがあります。

また、同様の「できない」理由をいくつか並べた
「わからない」のいくつかの形 と 対処法1という記事も書きました。
その記事には、私立小で教鞭を取られている先生から、次のような
コメントが寄せられています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今回の記事、まさに!まさに!です。
先生、見ていらっしゃった?って、言いたくなるほど(笑)
一昨日まで、5年の補習授業をしていました。
うちは、ほとんどの子が中学受験をする私学。
5・6年になれば、参加希望者対象の補習授業は当たり前。
算数補習は習熟度別に少人数指導をしています。
その中の、いわゆるしんどい子たちのクラスは、
まさにこんな子たちが集まっている状態。
どの子も、3つのうち2つ以上当てはまるように思います。
そして、中ぐらいの子のクラスでも、
「言葉の概念がイメージできないから解けない」子が多い。
計算はできるけど、文章問題になると・・・???

たかし君のお父さんの体重は75kgで、たかし君の体重は45kgです。
たかし君の体重は、お父さんの体重の何倍ですか?

間違える子が結構いますからね・・・。

これでも私学なんですよぅ。
もちろん、こんな子ばかりではありません(念のため)
賢い子は、感心するほど賢いです。

5年生になってからでも、間に合いますか?
対処法、ぜひ参考にさせてください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
コメントに書かれているとおり、子どもたちの多くは、現代っ子特有の困難さを抱いて、勉強につまずいています。

現代っ子の困難というのは、
○時は習い事、○時は宿題、○時はお風呂、○時は寝る~と、
毎日のルーティーンを何も考えずにこなしていく……

だけで、毎日が過ぎていく子が多いことから生じてくるように思うのですよ。

問題は家庭だけでなく、学校にも……。

魚を釣るときに、魚が釣れるかどうかはどうでも良い問題で、

むしろ釣れたら処理に困るような意味のない活動として魚釣りがある設定のもと、(自分の利益としては、何の体感も感情もないままに)

「何時間、釣堀にいたか」とか「釣っているフォームが正しいかどうか」なんていう内容をしつこく外からチェックされた挙句、

魚を釣っている自分は、

釣れるようになることを目指している……

という目的が
わからなくなってしまったか、最初からそこが理解できないまま何年もきた……

というのが、学校教育で生み出される「勉強が苦手な子どもたち」ではないでしょうか?

……わかりづらい例でしょうか?

授業の設定は平均的な能力の子たちのペースに沿って進みますから、
「きちんと真剣に学ぶ子」は、ただ普通にがんばるだけで、浮きこぼれてしまって、できたからといって、「もう少し面白い難しい問題を解いてもいい~」といった利益を得ることはなくて、むしろ待ち時間が増えて、
損をした気持ちになります。
そんな風に、がんばることが損と結びついた環境で、
常に自分の能力にブレーキをかけることを求められてきた子が、
いつの間にか、「基礎的なことも理解できていない側」に転じていくのは時間の問題です。

いつの間にか、学習が、他人事になってしまうのです。

妙なたとえですが、
全て自分で計画して、行き先の情報を調べたり、
切符を買ったり、ぶつかる問題を自分で解決しながら旅行するのと、

旅行会社が全てお膳立てしてくれるバスツアーとか、海外旅行のパックとか
で旅行をしている人がいたとすると、

数年後、この2タイプの人々のさまざまな能力をテストすると、どうなるのか、
だいたい予想がつきますよね。

旅行会社が全てお膳立てしてくれるバスツアーとか、海外旅行のパックとかでばかり旅行をしていると、
注目したり敏感になったりするポイントが、
どの旅行会社がいいかとか、旅行会社へのクレームとかいった部分に集中して、
実際に自分で動いて何かする能力が極端に弱まったり、
自信がなくなったりしますよね。

何のために旅行をするのか……という目的についても、
 ツアーに盛り込まれた目を引く情報に踊らされるうち、
根本的な「自分」の動機や「気持ち」や
自分の中に育っていく感性や知恵、自信といったものが、
いつまでも身につかないか、むしろすたれていく……ことになりがちです。

それが学ぶという行為でも、これに似た現象が起こっています。

主体的に体験している子ども本人が、
「遊び」とか「日常生活」で、本当の意味で主人公でなくなってしまったため、
「生きている実感がある自分」がない子が、たくさんいるのです。
「何のためにがんばるの? 誰のために勉強するの?」という問いが、
「自分が自分であること」という生きている感覚の根源的な危うさやあいまいさから
立ち上ってくる子が、あちらにもこちらにもいるのです。

「自分という身体感覚を持っている子ども本人」が不在のまま、
大人たちが次々、新しい旅行ツアーの計画でも立てるように、
「あれを教えて~」「あれを訓練して~」と躍起になっても、
うまくいかないことは目に見えていますよね。


そこから、携帯の新機能は、5分でマスターできる子が、
3年たっても、「半径×半径×円周率」が覚えられらないなんていう
驚くような結果が生まれているように
感じるのですが……。(おそらくバーチャル空間は、大人たちに占領されていないので、子どもは主役の座についていられるのでしょうね)


数日前のこと、
昨年は、多動が目立って(発達障害の診断を受けている子です)、問題に集中できず、
どの問題もきちんと解ききるまでには至らなかった子が、
1年ぶりにやってきた算数クラブで、学年相当の算数の問題を次々解くだけでなく、分配算や和差算もちゃんと理解して解いて、
ちょっと驚き、とてもうれしく感じた出来事がありました。

この子とは、金魚すくいの準備や、ボールを飛ばすマシーンや、ポケモンのチップゲームなどをいっしょに作りました。
すると、何を作るときもとても積極的で、
年下の子が困っているときは、その子の分も作ってあげる
気遣いを見せていました。
また、「ぼくね、サッカーでクラスで一番なんだよ」「絵が得意だよ」と
1年の間で、いろんなことで自信を育てていたことがわかりました。
お母さんの話では、塾などへは行っておらず、
とにかく毎日いっぱいいっぱいまで身体を動かして遊ぶうちに、多動がおさまって、学習に集中することができるようになってきたそうです。

レッスンで算数の問題を解いてもらうと、

もうすぐ3時というのが、何時頃か……

「Aくんの持っている電車のおもちゃは、Bくんの半分です」というとき、
Bくんはどれだけ電車のおもちゃを持っているのか……

AさんとBさんがすくった金魚があわせて12ひきで、Aさんの方がBさんより2ひき多くすくったという場合、
AさんBさんは、それぞれ何びきずつすくったことになるのか……

といった問題が、
自分の経験を通して、すぐにピンとくる状態でした。
遊びの力はすごいですね。

「遊び」が大事と繰り返していると、
どんな能力をアップさせるどんな遊びをさせたらいいですか?
とたずねられることがよくありますが、
基本は子どもが自由に遊び、自由に考え、自由に判断する場面が多いほどよいと感じています。

たとえば、自由に遊んでいる子は、少しでもたくさん遊びたくて、
「あと10分だけ遊ばせて~」とお母さんに交渉し、
「だったらあの時計の長い針が、8のところにくるまでだけ……40分になるまでだけよ」といったやりとりを繰り返したりしています。
そうするうちに、10分経つと、何時何分になるとか、夏は日が長くて、
7時くらいまでは明るいな……それは太陽の軌道が冬と異なるからだなとか、
○くんの家まで3分だから、送って戻ってきたら、6分くらいかかるから
それから遊べるのは~分くらいだな~」とか
自分で懸命に考えるようになるし、体感としてさまざまなパターンの時間や数がインプットされてきます。

それが、毎日、決められた行動を、ただ、こなしている子たちは、
頭を使わないだけでなく、体感しているものにゆがみがあるのです。

「10個のお菓子を3人でわけるといくつずつ?」とたずねると、
よく遊ぶ子は、
「3つと割ったやつ」と言ったり、「3個ずつで、1個はあまるから、残しておく」と言ったりします。
けれども、学習時間が長く、遊びが少ない子たちは、
「分けられない」「1個ずつ?」「2個? 10個?」と答えることがあります。


親が勉強にだけ目を向けて、子どもの生活を痩せた貧相なものにしてしまうと、

実感できるものの幅が狭くなってしまうのかもしれませねん。