前回の続きなのですが、テーマを少し変えてお話します。
大人だけの勉強会で親御さんたちが、とにかく「焦り」を口にしておられました。
工作のワークショップに集まっていた子どもたちは、どの子も想像力があって、創造的で、
集中力のある考えることが好きな子どもたちです。
それなのに、どうして親御さんたちが、わが子と周囲のお友だちを比べて
「焦り」を感じるのか、不思議に感じるかもしれません。
お話を伺うと、幼稚園の年少さん時点ですでに、
周囲の子らは、文字に計算に英語にスポーツに習い事にプリントにお受験に……と
誰もかれもがあらん限りの力を注いでいる状況なのだそうです。
確かに「わが子を除く大多数」が、「ものすごくがっばっている」という状況で、心穏やか
過ごすことは難しいですよね。
子どもが幼ければ幼いほど、親は近視眼的になりがちです。
でも、小さいうちが肝心とか、3歳までに決まるとか、6歳までが勝負とか、9歳までに……と
いった脅し文句は、
現実には、大きくなったうちの子らと同年代の子らを見渡しても、
「3歳までに決まる……といった商業的な謳い文句に踊らされなかった…なかった!です……人の子は、
自然にしっかりと成長している」
「6歳までが勝負とか、9歳までに……とあれこれ子どもにやらせすぎなかった……なかった!です……親の子が、後伸びしている」
という例の方が
圧倒的に多いのです。
なぜって、「9歳までに……」なんて脳に刷り込んで育った子が、
高校生になって奮起して、「今からでもがんばろう!」なんてとても思えないですから。
でも、本当は、本気の馬力を出して勉強に励めるのは、中学生、高校生で、
抽象的な思考力がみるみる伸びるのも、
これくらいの時期からなんですよ。
いざ、中学生、高校生になったとき、
勉強とか、自分が得意なこととか、自分の将来につながりそうなことに
本気で力を注ぎ込むことができるためには、
幼児や小学生の時期から、自分を生きていること、
自分の幸せを作りだす力があること、自分の幸福を感受する力があること、
自分で生み出した葛藤を何度も乗り越えたという自信を持っていることが大切なのではないでしょうか。
前回までの記事で「内言」の発達について書きましたよね。
自分の心のなかでつぶやく声とか、自分が自分と交わす対話の質って、
外からは見えないけれど、
お金でいうと、銀行に預けている貯金のようなものだと思います。
イメージする力、つまり想像力も同様です。
だとすると、幼児期や小学生の時期に外から見えて比べられる能力というのは、
財布や貯金箱に入れて、普段出し入れしている小銭に過ぎないのです。
近視眼的に見ていると、
しょっちゅう高い買い物をし、高価な持ち物を身に付けている人の方が
お金持ちに見えます。
でも、それはそう見えるというだけで、そこで、いくら買い物をしたか、どんな高い物を
身に付けているかで、他人を格付けしたところで、
質素に見える側の人が銀行に多額の貯金をしていて、
散財している人が貯金がゼロだった場合には、
数年後のどちらお金持ちに見えるかという判断は変わってきますよね。
変な例ですが、
幼い頃に、外にアウトプットして見える子どもの能力を比べるというのは、
あくまでも財布と貯金箱に入っている金額だけを比べているようなものなのです。
子ども本当の貯金は、いかに内なる言語を育てて、それを練って
しっかり自分の考えを追っていけるか、
想像力を膨らませて、自分の遭遇する問題を解決することができるか、
辛い体験から自分の課題を見つけられるか、失敗を次の突破力に変えられるか
といった内面の力にかかっているのです。